公共貨幣 経済・財政の視野を広げてみる

 『公共貨幣』(山口薫著・東洋経済新報社)を読んだ。9月2日に衆議院第一議員会館で行われたフォーラムに参加した際、購入したものだ。今のシステムとは非常に異なる考え方が、具体的なシミュレーションとともに述べられており、頭の中の枠組みが大いに拡大され、期待のもてる可能性を知ることができた。
 まだ未消化で、文章にするのは早すぎるかと何度も思ったが、とりあえずまとめてみる。ご批判、間違いのご指摘を頂きたい。
 (著者、山口薫氏は、カリフォルニア大学バークレー校で経済学博士を取得後、米国の複数の大学、日本の大学で教鞭をとり、現在はトルコ国立アンカラ社会科学大学専任教授)

◆ 今、国家財政の赤字累積が問題とされ、それに対処するためには、国民負担を増やし、福祉を削るほかないと喧伝されている。
 しかし、国家財政悪化のしりぬぐいを国民に押し付けるのは、理不尽だ。おまけに消費税増税や保険料アップ等によって国民の購買力は失われ、その結果経済は収縮し、かえって税収は落ち込む。財政は、持ち直すどころか、さらに悪化するだろう。

 雪隠詰めのこのような状況をなんとか打開せねばならない。そこで、新しく反緊縮の考え方が提出されている。例えば、最近話題になっているMMT(現代貨幣理論)だ。

 聞きかじりを繋ぎ合わせただけなので、間違いがあれば指摘いただきたいが、公共貨幣を考える前段として簡単に紹介しよう。MMTは、こういう考えだ。

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 金融政策で手を尽くしても、今の経済状況では借り手が足りないので、お金が市中に出回らず、経済は勢いを取り戻せない。金融政策でお金が増えることを期待するのではなく、赤字国債をおそれず政府が借り手となって財政出動し、直接市中にお金を供給すべきである。
 自国通貨を発行する政府は、どれだけ赤字が累積しても財政破綻はしないから、ハイパーインフレにはならないようインフレ率には気をつけつつ、必要な財政支出は赤字国債を発行して行うべきだ。こういう考えである。
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 MMTは、財政規律は、歳入を基準にするのではなく、インフレ率で考えるべきだ、と主張する。税は、必要な事業を行うための財源確保の手段ではもはやなく、お金が多すぎるところからお金を回収する手段という位置づけになる。

 MMTが主張の正しさの証拠に挙げるのは、皮肉なことに日本だ。日本の債務残高の対GDP比率は、200%を超えており世界で最も高い。その状況でなお、マイナス金利や異次元量的緩和などあらゆる手を尽くしたにもかかわらず、2%のインフレ目標を実現できていない。MMT論者は、日本はデフレ脱却のために金融政策ばかりでなく、もっと赤字国債を発行して財政出動すべきだと主張する。
 (自民党にも最近これに同調する議員が現れている。しかし、安倍政権下で反緊縮を行えば、ますますお友達ばかりを潤し、大企業に内部留保として(海外のタックスヘイブンに)お金が死蔵されることにしかならない。国民みんなのために正しくお金を使うまっとうな政権にしてからでなければ、この政策は百害あって一利なしである。)

◆ 『公共貨幣』の主張は、MMTとは異なる。
 一冊読んだだけで突っ込んだことを書くのはリスキーだが、自分の理解を整理するためにも、まとめてみたい。

 公共貨幣は、MMTよりradicalだと感じる。radical とは、より根底からの変革という意味だ。
 MMTは、中央銀行や国債の発行、民間銀行による信用創造などを、現行のまま前提としているのではないだろうか。
 一方、公共貨幣の考えは、それらすべてを否定している。利息という考えも拒否してる。借金にも預金にも利子はつかない。
 公共貨幣がMMTよりradicalだということは理解して頂けるだろう。

 公共貨幣という考えが目指すところは、三つある。
 ◎ ひとつは、好況・不況、バブル・恐慌といった、景気の波を鎮めること。バブルの時に巡り合えば贅沢三昧で、不況の時代に当たれば悲惨というのでは、不公平だ。
 ◎ 次に、政府債務(累積財政赤字)をなくすこと。
 ◎ 三つめは、グローバル金融資本の経済支配に対抗すること、である。
 一つずつ順番に見ていこう。

◆ まず、景気の波を鎮めることについては、預金準備率を100%にして民間銀行の信用創造をなくす、とする。

 現在の制度では、市中銀行は、預かった預金のうち、預金準備率として定められた一定の割合を中央銀行(日本なら日銀)に預けなければならない。その残りは、別の個人や法人に貸し出すことができる。当然金利をつけてだ。預金準備率は、金融機関の種類や、預金の種類、預金残高の規模によってまちまちだが、今、日銀のHPで調べると、1.3~0.05%である。逆に言えば、預金の98.7~99.95%は、他に貸し付けることができる。貸し出しと返済受け入れを繰り返すことで預金は増えていき、預金準備率を1%とすれば、結果として最初に預かった預金の99倍の貸し出しができることになる。その分だけ、世の中に出回るお金の量が増える。これが信用創造だ。
 景気が過熱してバブルになれば、モノの値段はどんどんあがっていくので、人々は借金をしても投資をして儲けようとする。貸出量は増加し、市中にお金は溢れ、さらに景気は過熱する。逆に、景気が悪くなれば、借金をして投資したのに赤字になり、さらに利息もとられるから、人々は借入金を返済し、その結果世の中からみるみるお金が減っていく。景気はますます悪くなる。つまり、民間銀行による信用創造の仕組みは、景気のブレをさらに激しくするのだ。

 これを避けるために、公共貨幣論は、預金準備率を100%にして、銀行による信用創造をなくすべきだ、と主張する。しかし、これには反論があるだろう。活発な経済活動のためには信用創造は不可欠だ、という意見だ。これに対して公共貨幣論は、経済を不安定化させる信用創造に代えて、政府が公共貨幣を必要とされる量だけ発行すればよいと返答する。

 公共貨幣は、国債ではない。中央銀行に代わって、国が発行する利子のつかないお金である。国は、自分自身でお金を発行できるのだから、法的にいえば民間企業である中央銀行から利子を払ってお金を借りる必然性はない、と著者はいう。
 中央銀行による貨幣発行はやめて、政府が公共貨幣を発行する。貨幣発行以外の中央銀行の必要な業務は、中央銀行を解体し政府内に再編した公共貨幣庫が引き継ぐ、としている。

 福祉や教育やインフラ整備など、必要な事業は、国が公共貨幣を発行して賄う。勿論、野放図な歳出は許されない。 新たに設置される公共貨幣委員会が、公共貨幣の発行量を決める。 物価変動を2%以内(対前年?)におさめられなかった担当大臣は辞任する、と著者は設定している。(失業率やジニ係数も、辞任判定の指標にすべきかもしれない。統計数字を改ざんする自民党政権では、このタガは意味をなさないが…)
 公共貨幣制度においては、MMT同様に歳出は、歳入に縛られない。税は、必要な歳入を得るための手段ではなく、世の中のお金が多すぎるとき、またはお金がどこかに偏っているとき、余分なお金を回収するための手段になる。
 景気のブレを拡大する民間銀行信用創造がなくなれば、物価の安定や失業率を抑えることも、かなり容易くなるだろう。話題のAIも、物価や失業率の動向を予測するのに役立つかもしれない。ともあれ、景気任せではなく、公共貨幣制度では、人(政府の担当セクション)によるコントロールの重みが増す。お金の量が、人々の欲望のままに膨張したり、人々の恐怖のままに縮退したりするのにまかせるのではなく、物価変動が2%の巾に収まるようにコントロールするのだ。

 ただし、物価や失業率を指標にして公共貨幣の発行総量をコントロールしたとしても、それをどんな目的でどこにどう投入するかは、重要な政治テーマになる。軍備拡張、お友達の事業への投入、産業振興、インフラ、教育、医療、福祉、、、。要するに、政治がなにを考えてなにを重視するかが、今まで同様、あるいは今まで以上に問われることになる。

◆ 次に、政府債務、累積赤字をなくすことについては、発行済みの国債を公共貨幣に置き換えていくことで可能だという。

 現行の債務貨幣制度で、赤字国債を発行すれば、利付きの債務として積みあがっていく。国は、利子分の返済だけでも、毎年巨額の支払いをしなければならない。利子の分だけ歳入が食われ、必要な事業さえ削らねばならなくなる。現在の状況だ。これを脱しようとすれば、緊縮財政で大幅な歳出削減(福祉の切り捨てなど)をし、大幅な増税も必要となる。それによって国家財政は健全化されても、国民生活と経済は破綻する。
 それに対して、利子のつかない公共貨幣を政府自身が発行する仕組みであれば、副作用を引き起こさないまま数十年で国債の償還は終えられると著者はシミュレートしている。

◆ グローバル金融資本による世界経済支配についても、公共貨幣はそれに対抗する手段になると主張している。

 金融資本が支配を拡げる際の手段は、ふたつある。利息によって富を吸い取ること、そして株式所有による支配だ。

 まず利息について考えるため、投資の場合と比べれば、投資の場合、投資した事業がうまくいかなければ、リターンはない。リターンのみならず投資した分も失う可能性がある。それに対して、貸し出しの場合は、相手の事業が失敗したとしても元本と利息を請求できる。万一倒産に至っても担保を取っているから、貸し手は損をしない。
 勿論金融機関もいつも安泰というわけではない。欲のまま突っ走って、リーマン・ショックのような問題も引き起こした。ところが、窮地に陥った銀行は、「大きすぎてつぶせない」という理由で、米国の連邦準備制度から巨額の融資を受けて救済された。救済された20の銀行の内の半数は、米国の銀行ではない。にもかかわらず、米国連邦準備制度によって救済された。グローバル金融資本の頂点のネットワークが、人的にも資本的にも強固に結びついていることの証であろう。
 それに対して、「大きすぎない」一般の事業者は、不況期の利息の支払いが足かせとなって倒産に至るケースが多い。利息の支払いが、企業経営への圧迫となって、途上国における児童労働のような劣悪な労働条件や環境破壊を生む一因になっていると著者はいう。であれば、利息による支配がなくなれば、企業倒産は減少し、倒産に伴う失業も減少するだろうし、労働条件も環境への配慮も改善される余地は広がる。

 もうひとつは株式所有による支配だ。
 極々少数のグローバル金融資本が、世界経済の非常に大きな部分を牛耳っているという研究が紹介されている(チューリッヒ工科大学、2011出版)。ピラミッドの裾野から幅広く吸い上げた利息が、ピラミッドの頂点を支えるている。また、グローバル金融資本は、不動産やメディア、物流その他、さまざまな事業領域の寡占企業を傘下におさめ、それらをうまく組み合わせて、支配の手段にしている。

 このような大きな支配力をもつグローバル金融資本に対抗することは、一国では不可能であり、世界各国が公共貨幣制度に移行しなければならない。それができれば、グローバル金融資本の外堀を埋めることができ、徐々にその支配力を衰えさせることができるという。

 しかし、グローバル金融資本の世界経済を牛耳る力を考えると、それに対抗するのは、極めて難しいことだろう。
 政府通貨の発行は、イギリスの支配から脱するためにアメリカ植民地政府が行ったし(独立戦争の原因のひとつになった)、リンカーンやケネディも行っており、けして最近の思い付きではない。ところが、リンカーンもケネディも暗殺されている。民間企業である中央銀行が債務貨幣を発行するシステムを問題にすることは、長らくタブーになっているそうだ。著者自身、日本の私立大学の職を失った。
 もっといえば、トランプ政権にせよ、安倍政権にせよ、グローバル金融資本の世界経済支配の道具になっているのではないだろうか。グローバル資本は、国家の枠を超えて世界中から利益を吸い上げ、国家の枠を超えてタックスヘイブンに利益を蓄積し、国家に税を納めない。はたしてトランプ政権や安倍政権は、この状況に物申す気があるのだろうか。

 このような状況で、グローバル金融資本に抗して、公共貨幣を実現できるのだろうか。明るい見通しは持てない。実現できたとしても、副作用はないのか、大きな混乱なく移行できるのか。著者はできるというが、今のわたしには、判断できない。

 しかし、公共貨幣という考えは、「巨額の国家債務があるから、緊縮財政だ、福祉予算カットだ、増税だ、消費税をあげねばならない」という雪隠詰めの思い込みを打破し、さまざまな可能性があるということを教えてくれた。

 ベーシック・インカムという発想も、実現可能か、副作用はないのか、確信は持てないが、魅力がある。ベーシック・インカムと公共貨幣を組み合わせれば、今の閉塞感を粉砕して、明るい社会を生み出せるのではないかと夢想する。じっくり勉強してみよう。
 <ベーシック・インカムについては、『ベーシック・インカムは妙案かも』http://mujou-muga-engi.com/b-income/ を参照>

2019,12,21     立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎

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