「政治不信」という言葉はやめよう

 広島の河井夫婦による買収事件のテレビ報道で、評論家が「政治不信がまた高まる」と論評していました。

 この発言は、よくありません。「政治不信」ではなく、「自民党不信」あるいは「安倍政権不信」というべきです。

 悪いのは一部の政治家であるのに、政治一般に普遍化するから、政治不信・政治嫌いを広げることになります。「政治家は、私利私欲だ。利権まみれだ。汚らわしい」と思わせて、投票率を下げることになります。

 しかし、世の中には、「政治は、利権まみれの私利私欲で動いている」と考えて、逆に政治によけいに熱心に取り組む人たちがいます。その人たちは、巨額の政治献金もするし、組織をあげて応援もします。なぜなら、政治によって利権を得ることができるのをよく知っているからです。

 自分たちの息のかかった国会議員をたくさんつくれば、自分たちに都合のいい法律や制度をつくらせることができます。それによって得られるうまみは、政治献金で使う額よりはるかに大きいのです。

 利権や私利私欲を嫌悪する普通の人たちが、政治を汚らわしいと遠ざける一方で、利権の匂いに集まる人たちは、政治に熱心に取り組みます。その結果はどうなるのでしょうか。火を見るより明らかです。

 分かりやすい例を挙げましょう。
 「終身雇用制で定年まで高い給料を払うのは嫌だ。都合よく便利に使える労働力を欲しい時だけ安く雇って、用が済めば首にできるようにしたい。福利厚生に費用をかけるのは馬鹿らしい。」
 こういう思惑が、労働者派遣法をつくらせました。その結果、非正規雇用が増え、実質賃金は下がり続けています。一部の人たちの利権のしわ寄せは、政治が嫌いで選挙に行かない一般の人たちが背負わされることになるのです。

 つまり、利権で動く連中が、政治全般を汚らわしいと思わせて、みんなを政治から遠ざけることによって、得をしているのです。

 しかし、私利私欲や利権で動く政治家は、一部にすぎません。みんなのためにはどうであればいいのかと考えている政治家もいます。それは誰なのか、主権者が見定めて投票をするようになれば、利権の投票は希釈されます。一部の人たちの思惑で法律や制度がつくられることをやめさせることができます。

 投票率さえ上がれば、政治のあり方、国のあり方を変えることは、案外容易いことです。政治嫌いはやめて、自分事として政治を考え、声を上げ、投票に行きましょう。

 2020年6月28日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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