大坂なおみさんの記者会見拒否は、市民的不服従のお手本

 大坂なおみさんは、抜群の政治的センスを持っていると感じます。
 ”Black Lives Matter” のマスクにも感心しましたが、今回の記者会見拒否宣言は、市民的不服従の見事なお手本です。

 市民的不服従とは、同意できないと考える制度やルールに、非暴力で、公然と、名前と顔を晒して、懲罰を覚悟の上で、服従しないことです。それによって問題を提起して広く世論を喚起して熟議へと導き、おかしな制度・ルールを正そうとします。また、そんな目論見のないまま、単に「嫌なことは嫌!」と堂々と拒否を表明したことが、人々の共感を呼び、社会を変えることにつながる場合もあります。
 ただし、もしみんなの共感を得られなければ、ただ懲罰を受けて、立場を失うことになります。大坂なおみさんは、みずからそのリスクを背負って不服従をしているのですから、アスリートをはじめ、共感する人は、それを示して、彼女を支援するべきだと思います。

 市民的不服従の有名な事例は、公民権運動のきっかけとなったローザ・パークスさんの事件でしょう。
 市営バスが混んできて白人乗客が座れなくなり、白人専用席を増やすために席を立つように言われたローザ・パークスさんは拒否し、人種分離法違反で逮捕されました。大きな抗議運動が巻き起こり、人種分離法は違憲として廃止され、人種差別との闘いは今に続いているのです。市民的不服従は、リスクを冒して世論を喚起し、世の中を変えようとする試みなのです。

 市民的不服従が服従しないルールには、法律も含まれます。あるいは、もっと端的に、おかしな法律には従わないことが市民的不服従だ、といってもいいでしょう。「悪法でも法律だから従え」というのは、間違いなのです。勿論、冒頭で定義として述べた条件がつくことは当然です。

 世の中をよくしていく方法はいくつもあります。
 選挙によって自分の考えに一番近い候補者を議会に送り込むのもひとつです。考えを同じくする仲間と、デモや座り込み、ストライキをするという方法もあります。自分の考えを友達に話すことも大切なことです。
 憲法12条が、自由と権利を保持するために国民に要求する「不断の努力」とは、これらの行動であり、その中に「嫌なことは嫌!」と表明して拒否する「市民的不服従」も含まれます。

 ただし、立憲民主党の立候補予定者という立場から最後に付け加えますが、悪法であれ最終的に廃止もしくは改正するには、国会で議決されねばならないのですから、自分と考えの近い議員を増やす努力も大変重要です。
 それを怠って、異なる考えの議員が過半数となれば、悪法を廃止・改正できないだけでなく、おかしな法律を次々とつくられてしまうことになってしまいます。

  2021年5月31日
#そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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