「#検察庁法改正に抗議します」

声を上げ、悪法を正し、必要な法律をつくる 『そが逸郎通信22号』

◆ 「#検察庁法改正に抗議します」

ツイッターの#(ハッシュタグ)をつけたキャンペーンが立ち上がりの数日だけで430万を超えて拡大し、政府は検察庁法改正案の今国会での成立を断念しました。
「統治する権力が自分たちに都合のいい人間を検察のトップに据えられる法律になれば、権力は悪事を追及されず、やりたい放題になってしまう。許すわけにはいかない。」
そんな怒りが広がった結果です。
主権者の怒りが、統治側の人たちを恐れさせ、ひとまず強行採決はやめさせることができました。背景には、新型コロナの影響で、ネットに向かう時間が増えていたことと、外出もままならずSNS以外に抗議を表明する方法がなかったという事情はあります。しかし、ネット上の運動が成果を上げた初めての画期的ケースではないかと思います。もうひとつ懸念されていた種苗法の改悪も、今国会での強行は見送られたようです。これをきっかけに、これからも同様の取り組みが拡大していくに違いありません

◆ 声なき声、小さな声を聴く?

 岸信介(安倍首相の祖父)は、日米安保改定を強行した際、反対するデモ隊のシュプレヒコールが響く中で、「わたしには声なき声が聞こえる」と言ったそうです。
「声なき声が聞こえる」と言えば、なんでも自分の聞きたい声を聴くことができます。いうなれば幻聴であり、自分勝手な妄想にすぎません。そんなものを根拠に為政者が暴走すれば、そのツケは長く国民を苦しめることになります。
 また「小さな声を聴く」と自称している政党もあります。主権者であるはずの国民は、政府が声を聴いてくれるまで大人しくじっと待っていなければならないのでしょうか。
 そんなはずはありません。聞こえないふりをすることができないほどの大きな声で、主権者が統治者に言うことを聞かせるのが民主主義です。

◆ 子孫を増やそうと競い合うミーム

 R・ドーキンスという生物学者が、ミームという面白い考えを提起しています。生物の遺伝子が、多くの子孫を残そうと互いに競争するのと同様に、情報やものごとの捉え方(ミーム)も生存競争して増えようとする、というのです。
 相矛盾する考えは、自分こそ正しいと主張しあい、互いに相手の問題点を指摘しあいます。批判に晒され、生存競争に負けまいと考えを突き詰めることで、考えは理論武装され、ミームとして遺伝子同様に変異し、進化していきます。間違いを克服し深まっていくわけです。
 我々凡夫は、自分だけは損をしたくない得をしたいという執着で目先の反応を繰り返し、その結果かえって大きな苦を招き寄せてばかりいます。そんな凡夫が寄り集まって社会を運営しているのですが、その際に、間違いをなるべく少なくしていく方策は、批判しあい、議論しあい、考えを深めあうことしかありません。その議論の過程で、最も正しいところに近づいた考えが、説得力を得て、賛同者を集め世の中に広がることができます。
 議論の勝敗は、相手を論破して黙らせることではありません。人々の共感を集め、賛同者(≒子孫)を増やして増殖したミームが勝ち残るのです。
 最初に声を上げる人は、恐竜の支配する世界に、初めての哺乳類を生み出すようなものです。大地を揺るがす恐竜の足元で逃げ惑うちっぽけなネズミのような、頼りない新たな見解は、少しずつ賛同者を得て、補強され、深められ、たくましく育ち、やがて雄たけびを上げ恐竜を追い詰めることになるでしょう。
 「経済活動には化石燃料が必要だ、原発は不可欠だ、軍事力がなければならない」といった古い考えは、遠からず恐竜のように、あるいは天動説のように、消え去るに違いありません。
 ミームを生んで育てるという発想で、自分の考えを表明し、みんなに批判してもらい、考えを深め、賛同者を得て大きな声にしていけば、世の中を住みやすく変えることができると思います。

◆ 大きな声をあげるには

 では、どうすれば大きな声があげられるのでしょう。
 多くの人の賛同を得て声が重なれば大きな声になります。しかし、それは、最初はひとりの小さな声で始まるのです。地球温暖化を指弾するグレタ・トゥンベリさんも、はじめはひとりきりで座り込みをしていました。それまでは、目先の経済の都合だけが世の趨勢だったのに、今では共感の声がうねりとなって世界中に広がっています。
 蟻の巣穴から、堤防が崩れることもあるのです。
 声の上げ方は様々な方法があります。
 新聞・雑誌への投稿や、ホームページ、ツイッター、Facebookに書き込んだりするのもひとつです。リツイート、シェア、「いいね」をするのも広めることになります。仲間に呼び掛けて集まるのも、駅前や街頭でのスタンディングも、署名活動や座り込みも可能です。
 中川村では「全村挙げてTPPに反対するデモ」をやりましたが、手続きは警察署への届けだけでとても簡単でした。そして、新聞など報道にもたくさん取り上げられました。
 伊那市高遠の矢澤親男さんは、カジノIR関連法案に反対する陳情をたったひとりで伊那市議会に提出し、ひとりを除くすべての議員の賛成を得て、採択されました。伊那市議会は、矢澤さんの意見書を伊那市議会議長の名において衆参両院議長と内閣総理大臣に提出したのです。そして今、矢澤さんは、冒頭で触れた検察庁法の改定を、先送りではなく廃案にするように求める陳情(or 請願)を準備しておられるそうです。
 わたしがかつて伊那谷の各市町村議会に提出した「緊急事態条項に反対する請願」は残念ながらどこにも採択されませんでしたが、種子法や種苗法についての意見書は日本各地で採択され、多くの県で条例に結実しています。行政や議会を動かすことは、少人数でも(ひとりであっても)可能なのです。

 仮にどれだけ運動してもうまくいかないときには、最後の手段として、非暴力不服従があります。
 非暴力は言葉どおりで意味するところは明白ですが、不服従とはなにに服従しないのでしょうか。あえて端的に言えば、悪法に従わないのが不服従です。
 ガンディーは、イギリスのインド植民地政府が塩の取引を専売にしていることに抗議して、海岸までの行進を主導し、みずから塩をつくりました。アメリカの公民権運動では、白人専用席への座り込みが行われました。どちらも当時の法律に抵触する行為です。
 ただし、非暴力不服従は、悪法に服従せず敢えて背きますが、堂々と顔を晒して行うのです。この点は、顔を隠して暴力を用いるテロ行為とは決定的に異なります。
 悪法とはいえ法に背くわけですから、逮捕されることもあります。逮捕されれば、法廷闘争で法律が間違っていることを主張するのです。
 非暴力不服従は、ミームを拡散し、賛同者を増やしていくための最後の手段だと言えるでしょう。非暴力不服従については、沖縄でダグラス・ラミスさんから教えてもらいました。

◆ lawmaker を増やし育てる。

 悪法に立ち向かうといっても、いつまでも不服従を続けているだけでは仕方がありません。悪法を廃止、改正しなければなりません。それをする場所は国会です。国会の議決で悪法を正し必要な法律を制定するところまでもっていかないと、完結した成果を上げたことにはなりません。
 国会議員のことを英語では、lawmaker といいます。まさに「法律をつくる人」です。根本的な考え方が自分と共通する lawmaker が国会に少なければ、いくら声を上げ続けても、最終的な成果に落とし込むことができません。
 ところが、わたしが立憲民主党の総支部長の立場になって痛感したのは、主権者の政治嫌いです。特別な問題意識をもたない人だけでなく、例えば環境問題などに関心の高い人の中にも、政党や選挙を汚らわしいもののように遠ざけている人が少なくありません。
 確かに政治に汚職や利権、癒着はつきものです。しかし、だからといって、毛嫌いしていれば、政治を都合よく利用しようとする人たちが都合のいい lawmaker を増やし、自分たちに都合のいい法律ばかりをつくらせることになります。かつての労働者派遣法や、種子法の廃止、種苗法改悪などはその典型です。法人税と所得税の税率が下がり、その分消費税率が上がるのも同じ原因です。一部の人たちが政治を利用して得をしたしわ寄せは、選挙に行かない人たちに背負わされます。
 主権者は、みずから声を上げつつ、政党や政治家を、自分たちのポケモンとして育て増やし、国会というリングで闘わせることも考えねばならないと思います。

 今回の検察庁法改悪阻止を縁として、主権者がさらに知恵とノウハウと大きな視野を身につけて、国会を動かし、悪法を正し、必要な法律をつくって、世の中の仕組みをよりよくしていくに違いないと期待します。

2020、5、21  立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎

 
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種苗法改悪の動きに

 ご縁を頂いた方々にお送りしている『そが逸郎通信』21号を転載します。

 「種苗法改悪の手続きが、コロナ騒動の陰で着々と進められている。もはや崖っぷちだ。立憲民主党はしっかり立ちはだかってほしい。」

 このような要請が、『子どもの食・農を守る会伊那谷』の関島百合さんからありました。それを受け、昨晩(2020,5,10) 以下のメールを、県連と党本部に送りました。

 なんとか阻止しなければなりません。
 しかし、安倍政権は強行採決をしかけてきそう。国民の暮らしの土台を壊してまで、なぜこれほどまでにグローバル資本に阿るのでしょうか?

2020,5,11

* * * * *


立憲民主党 代表代行 選挙対策委員長 長妻昭様
      長野県連合代表 杉尾秀哉様

立憲民主党長野県第5区総支部長
そが逸郎


 まっとうな政治を実現するために日々奔走頂いていること、厚く感謝申し上げます。

 さて、種苗法について、長野5区の主権者から強い要請を頂いておりますので、お力添え下さいますようお願いいたします。

 長野5区では、『子どもの食・農を守る会伊那谷』というグループが、2017年末から種子法廃止に反対するなど、活発な活動を継続しています。その皆さんから要望がありました。

 種苗法を改悪する法案が、農林水産委員会で12日に趣旨説明され、14日にも採決されるのではないか、と懸念しておられ、立憲民主党からの委員である佐々木隆博衆議院議員に是非とも頑張って頂いて、種苗法改悪を阻止してほしい、との要望です。


 今回の種苗法改悪で最も懸念されていることは、自家採種の制限です。
 作物の遺伝子情報を知的財産として保護するためとされていますが、自家採種ができなくなって、企業から種を買うほかなくなれば、農家は経営上の大きな負担を背負い込みます。また、地方ごと農家ごとに多様な品種が育てられていたのに、農家が自分の望む品種を植えられないことにもなります。同一品種ばかりでは、病気や気候変動に脆弱です。

 そもそも日本の品種の知的財産権を守るためと農水省はいいますが、グローバル資本が跋扈する時代において、外国資本による日本企業の買収は日常茶飯事です。その場合、知的財産権も外国資本に買い取られ、日本の農家は、在来品種でさえ外国資本から買わざるを得なくなります。

 2018年春に種子法が廃止されました。これによって、都道府県の、コメ・麦・大豆の良質の種子を安定的に安価に農家に供給する義務がなくなりました。今後の農業と食の安全への影響を心配する農家、消費者の不安は強く、多くの県で、種子法に代わる種子条例が 

 制定されました。しかし、安定して種子を供給するには大変な手間と費用が必要です。根拠法がなくなって国からの交付がなくなれば、都道府県は続けることが不可能になるかもしれません。そうなれば、農家は、企業から種子を買うしかありません。

 一昨年の種子法廃止も、今進められようとしている種苗法改悪も、グローバルアグリ化学資本が、農業と農作物の流通を牛耳る目論見で日本に参入してくる道筋を整備するためではないかと分析されています。

 公的種子がなくなり、自家採種も禁じられれば、農家は企業から種子を買わざるを得ません。当然企業は競争しますが、世界の食と農を寡占する巨大グローバル資本が圧倒的に有利です。グローバルアグリ化学資本の、特許で守られた遺伝子組み換えやゲノム編集の作物しか栽培できない、食べられない事態に陥るでしょう。
 特許作物は、勝手に売ることも友人や親せきに贈ることも違反です。収穫した全量を特許をもつ企業に売るしかありません。種子の価格も、収穫した作物の価格も、農家は巨大資本と交渉せねばなりません。価格のみならず、自社の除草剤を何回かけろとか、栽培方法についても細かく定められた契約書にサインすることを要求されます。与えられたマニュアルどおりのがんじがらめの農業しかできなくなります。

 収穫のすべてを特許企業にしか売れないとなれば、その先の流通もその企業が独占することになります。遺伝子組み換えやゲノム編集は、例えば、除草剤耐性遺伝子の組み込みであり、毒素遺伝子の組み入れです。除草剤を大量にかけて育てる作物であり、虫が食べると腸に穴が開いて死んでしまう作物です。スーパーに並ぶ食材の多くがこのような農作物を原料にしており、そのような食材を日々食べ続けざるを得ない子供たちの健康が、米国では問題になっています。日本でも同様の事態が進んでいることを危惧して、主として女性たちが頑張っているのが、『子どもの食・農を守る会伊那谷』です。

 立憲民主党としても、日本の食と農を守るために頑張らねばならないと考えます。種苗法の改悪をさせてはなりません。何卒よろしくお願い申し上げます。

以上よろしくお願い申し上げます。

* * * * *

『そが逸郎通信』お送りします。
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新型コロナと緊急事態条項 又坂先生から

 信州大学名誉教授の又坂常人先生から、新型コロナと緊急事態条項に関する拙文に、ご意見を頂きました。国民の権利という根本の視点から考えるべき、というご指摘です。
 又坂先生には、野党共闘を実現させる「信州市民アクション」共同代表当時大変お世話になりましたし、緊急事態条項の危険性についても詳細に教えて頂きました。
 わたしひとりが読むだけではもったいないので、お許しを頂き、ここにも掲載します。

 

* * 又坂先生から * *

拝復
お久しぶりです
コロナ戒厳令下でほとんどの集会等が中止になり、中信市民連合が計画していたイベントも記者発表という形式で実施せざるをえない状況です。

政府の無為無策の後の緊急事態宣言でしたが、発令されるとすさまじい同調圧力が生じ、改めて日本人の「一億玉砕」的なメンタリティに危惧の念が生じます。
感染者に対する嫌がらせ、パチンコ店に対するバッシング、告げ口の横行、ネットにあふれる中韓に対するヘイト等々。嫌になるほどです。

さて、緊急事態条項に関するブログを興味深く拝読しました。いま世間で言われている憲法上の緊急事態条項の議論は、私に言わせれば極めてミスリーディングなものです。典型的なのは、「いまの憲法では緊急時に強い権利制限ができない」ので改憲が必要だというもので、1週間ほど前にテレビ番組で元衆議院議長の伊吹氏が述べていました。しかし本当にそうですか、というのが私の考えです。今回のコロナ騒動については、私の考えではいくつか押さえておくべきポイントがあります。

まず、コロナの問題は権利問題であるということです。私たちには感染症から免れる自由・権利があります。これは私権であると同時に、国家に対する権利としての公権です。これに対応して国家には一方では感染した人(患者)に対して適切な医療を提供すべき義務が、そして他方では感染していない人が感染しないような配慮を尽くすべき義務が生じます。つまり、治療と感染予防が国家に課された義務ということになります。コロナ問題は国家の命令や強制の話ではなく、私たちの権利の問題であるという意識を持つことが大事だと思います。

感染症は人から人に移る(伝染する)という特性がありますので、その予防は必然的に一定の範囲で個人に対する公権的な行為制限をともないます。通常の感染症では患者の隔離と一定地域に対する立ち入り制限ですみますが、パンデミックの場合は広く国民一般に対するある程度の強い行為制限が必要になります。そしてそれは、憲法上の基本権である市民的自由ー移転の自由、営業の自由、総じて自己決定の自由の制限をともないますが、法理的には公共の福祉による制限ということで合理化されうるものです。もちろん「公共の福祉」による制限は法律によらなければならず、行政権が勝手に自らの判断で好きなことができる訳ではなく、いまは感染症予防法と新インフルエンザ特措法がその根拠法として用いられているわけです。

そこで問題は両方に基づく行為制限措置、とりわけ特措法45条に基づく外出自粛要請や施設による営業停止の要請・指示等の措置が、先に述べた私たちの感染から免れる自由という権利を守る上で十分なものか、ということだと思います。仮に不十分であるというのであれば、行政処分としての外出禁止命令や営業停止命令を出せるように法改正すべきであるという話になります。その場合には、制限される自由と感染から免れる自由のバランシングを十分に考慮して適切な法的要件や発令手続を考えるべきでしょう。

このような法改正が現行憲法の下で不可能であれば改憲ということが課題として生ずるということになると思いますが、おそらくどの法学者に聞いても、上記のような法改正のために改憲が必要という人はいないと思います。

なお、私は特措法45条に基づく施設営業停止の要請と指示は、それに従わない場合は公表という制裁が予定されている事実上の強制力を持つ措置であって、行政事件訴訟法にいう処分(公権力の行使)及び国家賠償法1条でいう「公権力の行使」に該当するものであり、法的効果が一切生じない単なる「お願い」ではないと考えます。少なくとも後者についてはほとんどの行政法学者が一致すると思います。ただ現行法の立て付けはあまり美しいものではないので、改正は十分に考慮に値するものではあると思います。

ちなみに緊急事態条項を憲法上設けることの意味は、権利制限を課すことではなく、その根拠となる規範を法律の根拠の不必要な独立行政命令で創設できるところにあります。かのワイマール憲法48条は大統領に立法権を含む無限定の「必要な措置」をとる権限を与えたことで、ナチス独裁に道を開いたのです。こんなものは絶対に認めるべきではありません。

それから、上記とは関係ないことですが、ブログにあった立憲民主党に対する「苦言」について一部共感するところがありました。特に消費税に対するスタンスについてはなはだ不満があります。私は限時的緊急避難的措置としての減税ないし減免はまじめに検討する余地のある問題だと思います。もっとも立憲民主党が消極的なのは、学者グループの影響、とくに金子勝などの影響のせいかもしれませんね。山口二郎も否定的でしたからね。曽我さんや杉尾さんには是非がんばって欲しいと思います。

以上、とりあえずのお答えです。

 

* * 曽我からの返信 * *

 ありがとうございます!
 権利という根本の原理から説き起こして頂きました。

 こういう理解でよいでしょうか?

 日本国憲法第25条に基づき、国民には病気から守られる権利があり、国にはその権利を保障するため、感染予防と治療を行い、国民の健康を守る義務がある。
 国民の多数に感染症が広がるパンデミックの場合には、人から人への強い感染力に対抗するため、一定程度の自由の制限が必要になるが、それは憲法が想定する公共の福祉の範囲内でなければならず、国民の健康に暮らす権利を保障するための措置でなければならない。
 今回の新型コロナ対策に適用されている感染症予防法と新型インフルエンザ特措法は、憲法に基づき、国民の健康に生きる権利を守るための法律である。
 しかし、このふたつの法律は、外出禁止命令や営業停止命令を出すことまでは想定していなかったので、今後そこまでの強制力を持たせるかどうかは、検討する必要がある。(営業停止命令には休業補償がセットになるのは当然でしょう。)
 自由の制限がなされるにしても、それは憲法の基において、憲法が保障する国民の権利を守るために、法律の改定によってなされることであり、憲法を改変することではない。
 憲法に緊急事態条項を入れこもうとする自民党の狙いは、必要となった場合に国民の権利を制限できるようにすることではなく、内閣が思いのまま、好き勝手に国民の権利を制限できるようにすることである。認めることはできない。

 頂戴したメールを拝読して、読んで頂いたわたしの拙文は、ハラリの言葉に過剰反応していたと反省しました。ハラリは、世界全体に生まれた状況を大づかみで述べていたのに、わたしはそれを日本の個別の事情の中で考えてしまいました。

 自民党が憲法に加えようとする緊急事態条項と、新型インフルエンザ特措法の緊急事態宣言とを、安倍政権は、国民にわざと混同させ、国民をだまして、混乱のうちに緊急事態条項を実現させようとしています。すでに「ナチスの手口」をやり始めていると言わざるを得ません。
 健康に暮らす国民の権利を公共の福祉として守ろうとする緊急事態宣言と、国民の権利を望むときに思うままに奪えるようにしようとする自民党の緊急事態条項とが、全く別物であることを正しく理解し、安倍政権の「ナチスの手口」に騙されないように皆でお互いに気を付け合わねばならないと再確認いたしました。
 ありがとうございます。

 ご教授頂いたメール、わたしだけではもったいないので、このメールともども公開させて頂きたいと存じます。よろしくご了承賜りますようお願い申し上げます。

又坂常人先生

2020,5,4,         曽我逸郎

 

* メアドをお知らせいただければ、以後ニュースレター『そが逸郎通信』をお送りします。

新型コロナと監視社会 「緊急事態条項」

ニュースレター『そが逸郎通信』18号を書いたので、ここにも掲載します。

* * * * *

   「新型コロナウイルスは、社会のあり様を一変させた。」

 ユヴァル・ノア・ハラリが、先日(4/25)のNHK『ETV特集』で語っていました。
 ハラリは、非常に深い視点から大きく俯瞰して鋭い歴史分析を展開している歴史学者です。わたしも『サピエンス全史』などで大いに刺激を受けました。

 今、デジタル技術によるビッグデータの蓄積と分析は大変なスピードで進展しています。例えば、位置情報であり、趣味嗜好の傾向のデータです。思い出の写真が突然パソコンやスマホのモニターにポップアップされます。いつ、誰と、どこでなにをしたか、ビッグデータの中に記録されているということです。買い物サイトでは、お勧めの商品が提示されます。過去の注文履歴から趣味が把握されているのです。どんな本を注文したか、どんな単語を検索したかで、政治的傾向を含めた興味や嗜好が分かってしまう。ネット上でなく実店舗でも、キャッシュレスで買い物をすれば、購買行動は記録されます。自分で想像する以上に、我々は丸裸の状態にされているのです。

 そして、コロナ以前から監視の網は相当に広がっていました。街頭でも乗り物でもお店でも見渡せばどこにでも防犯カメラがあります。顔認識で個人を追跡することも不可能ではありません。
 トランプ氏の大統領選挙の際は、Facebookの情報をケンブリッジ・アナリティカ社が利用して、有権者をグループ分けし、それぞれの傾向に応じた情報を送り付けて投票行動を操作し、大きな問題になりました。しかし、ハラリは、これはもはや石器時代ともいうべき時代遅れ手法で、今では事態ははるかに進み、「皮膚の下の情報」までが収集されていると言います。
 確かに、スマートウオッチのようなウエラブル端末では、心拍数、血圧、血糖値、眠りの質などがモニターされています。怒り、喜び、退屈といった感情の動きも把握され、政治的な反応まで生々しく記録することが可能になってもおかしくありません。
 デジタル技術の進展が、ビッグデータの収集・分析を高度化し、大衆(=国民、主権者)のきめ細かな監視・管理を可能にしつつあるのです。

 そして、このような監視技術が進歩する中、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックによって、人々(=国民、主権者)は、国家による監視・管理・自由の制限を受け入れるようになった、とハラリは言います。「降りかかる危険を排除するためには、監視や自由の制限はしかたがない」という考え方が、広がってしまった、ということです。
 念のために言い添えると、ハラリは、「安心・安全のためには監視や自由の制限を受け入れるべきだ」と言っているのではありません。「べき論」ではなく、「そうなってしまった」という現状分析です。

 4/29の新聞報道によれば、共同通信が3~4月に実施した世論調査では、「個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法改正し新設する案に、賛成51%、反対47%」だったそうです。質問文がこのとおりだったとすると、わたしの想像より賛成が多いので、ハラリの言うとおり新型コロナの影響がでているのかもしれません。


 わたしは、「人は監視されてはならないし、自由であるべきだ。自由を守るために、人が権力を監視すべきだ」と考えます。自民党が憲法に緊急事態条項を書き込もうと画策することに、わたしは一貫して反対してきました。新型コロナ対策の緊急事態宣言についても、緊急事態条項追加への地ならしにさせてはならないと言ってきました。
 正直に言えば、9条改変以上に、緊急事態条項は危険だと考えています。なぜなら、緊急事態条項は、とても融通性があり応用が利いて、他の制度と組み合わせるなどちょっとした悪知恵で、統治権力はなんでも好き勝手ができてしまうからです。

 有名な具体的事例を挙げましょう。ヒトラーが総統となる道筋では、ナチ党による自作自演ともいわれる国会炎上事件を理由にして大統領に<緊急命令>を布告させ、それを根拠に対立する国会議員を拘束した上で、本来なら出席議員不足で不成立の議会を、議院運営規則を修正して成立したことにして、全権委任法を成立させました。こうして権力を自分に集中させて、さらには大統領と首相の権限を統合した総統という新たな地位を新設し、みずからその椅子に座りました。これが、麻生副首相が言った「ナチスの手口」です。

 しかし、ヒトラーは悪知恵だけで総統になったわけではありません。大衆(=主権者・国民)が強力な権力集中を望んだ一面もあったのです。

 今回の新型コロナ対策の緊急事態宣言に、立憲民主党を含む大方の野党は賛成しました。マスコミには「宣言は遅きに失した」との意見も目立ちました。大衆の気分は、監視や自由の制限を渋々受け入れたというよりむしろ、安全の代償としてみずからそれを望んだとみることもできます。
 
 もしも、ハラリが言うように、「べき」とは関係なく、事実がそうなってしまったのだとしたら、わたしたちは、どうする「べき」でしょうか。
 今回の新型ウイルス騒動が去った後も、国際紛争や異常気象、天変地異、次のパンデミックがあるかもしれません。食料不足やエネルギー枯渇、移民の大量受け入れなどの可能性もあります。そういう状況になった場合、国民は平穏な暮らしを守るために強力な統治権力による支配を望むかもしれません。「緊急事態条項は許せない」と否定しているだけでは、大衆に置き去りにされる可能性があります。人々が監視や自由の制限を望んで、緊急事態対応がなされるに至った場合の対応も考えてみておくべきだと思います。そんな想定をするのは緊急事態条項を招きいれる利敵行為だと非難する方もおられるでしょう。しかし、可能性を想定してそれに備える一種の思考実験だとお考え下さい。

 先に、わたしの根本的な考え方を少し書いておきましょう。
 わたしは、人は皆、凡夫である、と考えています。凡夫というのは、自分かわいい、自分が大事、という我執の反応である、ということです。刺激を受けるたびに、我執によって自動的に反応します。
 危険を感じると、人(=凡夫、サピエンス)は、いつの時代もいかなる文化でも、自分を守ろうとします。大勢が一度に巻き込まれそうな危険であれば、集団で暴走してしまいがちです。パンデミックが起こって、監視や自由の制限を受け入れるのも、権力にたよって身を守ろうとする集団反応です。
 統治する権力もまた、凡夫です。自分の支配力を強めたいという我執を宿しています。そのために人々を不安にさせて自分に頼るように仕向け、あるいは義憤を煽って操ろうとします。支配力を強めたいという権力者の我執が、危険から守られたいという大衆の我執につけいるのです。(この結果、大衆は戦争などもっとも恐れていたものを、しばしば逆に招き寄せることになります。)
 このことをよく理解して、緊急事態対応の仕組みを考えねばなりません。なぜなら、この仕組みは、今の政権のみならず、未来にいかなる政権が出現しても、それによって使われる仕組みだからです。いかなる権力によっても好き勝手に使われることのないように、都合よく利用される可能性をつぶしておかねばなりません。

 衆知を集めないと、わたしひとりの浅知恵ではたかが知れていますが、たたき台として思いつくままに書いてみます。

 三つの段階で考えましょう。緊急事態に入る際の条件、緊急事態中に過度の支配をさせないように政権を束縛する仕組み、そして緊急事態を終わらせる手続きです。

◆ 緊急事態に入る際の条件
 自民党の改憲案にあるような、首相が非常事態だと宣言すれば、みずからに強大な権力が与えられるような仕組みは論外です。緊急事態対応を命じるものは、それを執行するものとは別でなければなりません。緊急事態監視委員会というような組織を、あらかじめ常設で設けておき、事が起こった時に、緊急事態だと判定するか、また、内閣に特別な対応を命じるか、判断します。
 そのメンバーは、国会議員は必要でしょう。ただし、日本の議院内閣制では、首相は与党のトップですから、与野党バランスよく選出されるよう制度設計が必要です。
 ドイツが脱原発の方針を決めた際は哲学者や宗教家も討議に加わったそうです。それを見習い、国会議員ではない見識ある人も加えるべきです。自治体の代表や弁護士もよいと思います。今の状況を見れば、医師や保健衛生の専門家も必要でしょう。
 自分が属する「業界」の利害を考え政権に忖度されては困るので、業界団体(例えば弁護士会や市長会、大学学長会)の現役ではなく、先代の長がいいかもしれません。恣意的な人選を排除するため、「人物本位」をあえて基準にせず、「当て職」(なにかの役職にある人が自動的に役割を負うこと)にした方がいいかもしれません。
 この委員会は、国民が(執着の反応を暴走させ)緊急事態として国家の強権を求めた場合でも、その必要がなければ国民を説得する役割も担います。
 (例えば、大量の難民が押し寄せて、その排除・隔離など憲法・法律に反する対応を国民が求めた場合に、冷静な判断を呼び掛けるとか)

◆ 緊急事態中
 過度な統制が行われていないか、緊急事態監視委員会が監視します。内閣は委員会に対応状況を報告せねばならない義務を制度化します。違反があれば、緊急事態は自動的に終了します。委員会は公開すべきでない情報には守秘義務を負います。内閣が国民に報告すべき事柄を報じていなければ、委員会の判断で公表します。緊急事態中のすべての公文書、メモ、メール、通話などのデータは保存され、しかるべきタイミングで公開されねばならないと定めます。
 緊急事態でも、政府批判を禁止することは禁止です。人々の暮らしや緊急対応の現場の状況を知らない政権は、間違った指示をして予算と時間を無駄にし、現場を混乱させます。まさに今、我々はそれを目の当たりにしています。批判がなければ、間違いを正すことはできません。監視委員会は、受けとった行政批判を匿名化して原則公開し、実態を調査の上、必要なら改善命令を出します。マスコミは、watchdog の役割を強化すべきです。

◆ 緊急事態の終了
 緊急事態で手にした強い支配力を権力は持ち続けようとします。緊急事態を長期化しようとするかもしれませんし、監視や自由の制限を一部でも残そうと画策するでしょう。そうさせないために、緊急事態が自動的に終了し、緊急事態対応で発令したすべての政令が自動的に廃止となる条件を、恣意的な解釈ができない具体的な形で、緊急事態をスタートさせる際の条項に書き込んでおきます。
 「危険が去るまで」といったあやふやな表現ではなく、たとえば今の新型コロナウイルス対応でいえば「国内の新たな感染者数が一桁である日が、**週間続いた場合、この緊急事態は自動的に終了する」といった文言を開始時に設定し、国民に公開しておくのです。その文言を定めるのは、緊急事態監視委員会です。

 ざっと考えて、以上のようなタガが必要だと思いました。まだまだ押さえておかねばならないツボがあると思います。緊急事態条項の危険を皆でしっかりと認識したうえで、研究を重ね、自民党の思惑に対抗せねばなりません。

 新型コロナウイルス対策で多くの政府が権限を強めたことについて、姜尚中氏が、別の番組でこんな趣旨の発言をしていました。
 「強い権力に拮抗できる強い民主主義があってこそ、社会は緊急事態を克服することができる。拮抗する強い民主主義がなければ、権力は(危機を自分のために利用しようとするなど)見当違いの暴走をして、新型コロナの封じ込めに失敗するだけでなく、余計な害まで生むことになる。」(うろ覚え)

 自由闊達に気兼ねなく発言し、批判しあい、学びあい、考えを深めあうのびのびとした空気が、常日頃から、そして緊急事態においても、大切だと思います。  

2020,4,30 そが逸郎 立憲民主党長野県第5区総支部長

信州大学名誉教授、又坂常人先生からご意見を頂きました。『新型コロナと緊急事態条項 又坂先生から』 是非ご一読ください。

* メアドをお知らせいただければ、以後ニュースレター『そが逸郎通信』をお送りします。

非武装中立論 理想と現実の視点から

 ご縁を頂いた方々にお送りしている『そが逸郎通信』。
「理想と現実の視点から、非武装中立論をどう考えるか」という質問を頂いて、返事を書きました。

(写真は、辺野古の海。海保のゴムボートの後ろは米軍キャンプ・シュワブ「弾薬庫」方面。2017年1月、曽我撮影。撮影地点の下あたりが、問題となっているマヨネーズ状の軟弱地盤)

* * 長沼昌司さんから * *

そが逸郎 様

 コロナ禍の昨今、如何お過ごしでしょうか。
 いつも「そが逸郎通信」を送信して頂きまして、ありがとうございます。大変に勉強になります。
 13号を拝読いたしましたが、理想を追うことと、目先の利得を追う者との違いがよく分かりました。私は、理想を追うことが大事だと思います。特に政治家は、国家のこと国民のことを考えて、現実の問題を解決することは、責務だと思いますが、やはり、最後に理想的な国家や国民を如何に築き上げることができるかを考え、悩み、熟議することが大事かと思います。また、公明正大が求められるものだと思います。誤魔化しや言い逃れなどは許されるはずがありません。
 そのことを立憲民主党に大きく期待するところです。私の仲間と共に応援していきます。頑張ってください。
 
 こんな俳句ができました。「正論がゆゑの空しさ冬銀河」
 正論と言えば、石橋政嗣氏の「非武装中立論」がありますが、御見識をお聞きできたら、幸甚に思います。

      令和2年4月13日  長沼 昌司

* * 曽我からの返信 * *

 ご意見ありがとうございます。
 正直に申し上げると、「非武装中立論」という言葉は知っていますが、内容はきちんと承知していません。石橋政嗣さんも、お顔は分かりますが、社会党の政治家でいらしたというくらいで、恥ずかしながらそれ以上の知識はありません。
 ツボを押さえたことは書けませんが、お許しください。

 「9条を守れ」と主張する平和主義は、現実に目を向けない理想主義である。そのように揶揄する人たちがいます。
 しかし、その人たちの「現実主義」は、現実をさらに悪化させていると考えます。

 安全保障のジレンマです。
 「相手が軍事力を高めている。この現実の前では、しかたがない。こちらも軍事力を増強するほかない。」
 お互いに自分の安全を高めるためと主張しながら、眼前の現実に妥協することで、かえって危険を高めあっています。

 向こう側の政治家は、軍事力増強を「相手が悪いから、しかたがない」と弁解しますが、本当は、自分たちがそれを望んでいるのです。敵を仕立て、その幻影を誇張することによって、統治権力は自分たちへの支持を高め、支配力を強めようとします。現実主義者が主張する「危険な現実」は、そういう思惑で始まります。
 思惑でつくりだされた幻影は、しかし、すぐに勝手に膨張し、現実の危険に発展します。「現実主義」が幻想の危険を現実化するのです。軍需産業で儲ける連中の思うつぼです。

 人は誰も、欲望や不安や憎悪に走りやすく、過剰反応をします。統治する側は、権力を自分たちに集中させたいという欲望から、敵を仕立て、大衆に不安と憎しみを植え付けます。相手方は当然「現実的」な対応をすることになり、その結果、対立するもの同士、それぞれの国民を巻き込んで、疑心暗鬼と憎悪はエスカレートしていきます。悪循環が雪だるま式に膨らんで、ある時ふとしたきっかけで緊張に火が付き、恐れていた危険が現実化するのです。
 この悪循環を、どこかで誰かが断ち切らねばなりません。

 疑心暗鬼に陥って破壊の道具に富をつぎ込むことの愚かさは、誰にでも理解できる単純なことです。国民が懸命に働いて生み出した富は、暮らしを豊かにすることに使うべきです。それぞれの国や地域が豊かになって、助け合えば、みんながさらに豊かになります。

 ところが、いつまでたっても恐怖や疑心暗鬼を抜け出せません。それは政治や外交が愚かで貧弱だからです。愚かで貧弱な政治・外交が、大量破壊兵器・大量殺人兵器を手にしている。これは大変危険なことです。軍事力に頼らずに、信頼しあい助け合える国際関係を築くことができる政治力・外交力を育てねばなりません。それが非武装中立論だと思います。

 非武装中立論は、理想主義でありましょう。しかし、理想は、理想として掲げるだけではダメで、どのように達成するかが重要です。
 そのために必要なのは、たとえば情報収集力と情報分析力です。現実になにが起ころうとしていてどう進展していくのか把握できなければ、正しい対応はできません。
 そして、それ以上に重要なのは、理念です。目指すべき理念を突き詰めて考え、血肉化することです。
 幸いなことに、理念はすでにあります。日本国憲法の前文です。
 「主権が国民に存することを宣言し、」「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思」い、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」っています。
 これが日本の政治・外交を貫く理念であると、全世界に発信し、理解してもらわねばなりません。そういう発信力・広報力も必要です。
 そして、現実の政治・外交の複雑な利害関係の中で、その理念に基づき一貫して行動することが大切です。
 最後が一番難しいでしょう。目先の損得に惑わされない高潔さ、圧力に屈しない気丈な勇気、相当な腹のくくりが必要です。

 しかし、本当にこの理念に基づき、「自国のことのみ」ではなく「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏を免かれ、平和のうちに生存する」ために汗を流すなら、日本は、世界中の人々から尊敬され、愛される国になれるでしょう。わたしたちにとっても誇れる国にすることができます。憲法前文が「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」というのは、「日本は世界に手本を示すぞ」という心意気の表明です。これこそが、最高の安全保障でもあると思います。

 ところが現実の日本は、「国家の名誉にかけ、全力をあげて…達成することを誓」いながら、その努力を一度でもしたことがあったでしょうか。「自国のことのみに専念して」米国にひたすら阿諛追従してきたと言わざるを得ません。

 憲法前文に掲げた理念を実現していこうとするとき、大きな障害となるのは、米国との関係でしょう。これまでのような米国盲従ではなく、米国とも理念に基づいた外交をしようとすれば、米国政府はどうするでしょうか。

 米国政府の意向以上に、米国に忖度する日本の官僚がどう動くかも気がかりです。
 在日米軍と官僚の間で諸問題を日常的・定期的に協議する日米合同委員会というものがあります。ここでの取り決めは、国会にも報告されず、憲法にさえ優先する効力を有するそうです。官僚の中でもエリートが出席し、これに参加していたことでさらに出世していくそうですから、日本の官庁の多くは、政治家の顔でも国民の顔でもなく、在日米軍の顔色を見ているのかもしれません。
 普天間の米軍基地の辺野古「移設」に関して、当時の鳩山総理が「最低でも県外」をいったんは約束しながら撤回し、政権は短命に終わりました。しかし、これは、実は外務官僚が鳩山氏をだましたからだと言われています。
 また、村長として何度か東京に行った折に見聞きして感じたことですが、自民党の中には、ロッキード事件がトラウマになっていて、「米国に逆らうとつぶされる」という恐怖があるようです。小沢氏が陸山会事件で起訴されたことも、大勢の国会議員を連れて訪中したことで米国の怒りを買ったことが原因だと考える人は少なくありません。
 つまり、米国そのものよりも、米国を過剰におそれる日本の政治家と官僚が、米国に忖度して日本国憲法前文の理念に基づく政治と外交を邪魔しているのかもしれません。
 日米合同委員会については、米国の国務省にも否定的な意見があるそうです。米国市民の中には、日本国憲法前文の理念に共感してくれる人も少なくないでしょう。米国との関係をまっとうなものにしていくことは、非常に難しいことかもしれませんが、まったく糸口のないことではないと思います。

 もうひとつ大きな障壁になりかねないのは、ほかならぬ主権者です。先ほど書いたとおり、人は不安や憎悪を煽られかねません。大衆の怒りや心配にプロパガンダで火をつけることは容易です。それを警戒して、細心の気配りをしながら進めていかねばなりません。
 ですから、非武装中立が理想だといっても、一気にそこに飛び移れば失敗します。当面は、国民が不安を抱かない程度の抑止力は保ちつつ、同時に、他国が脅威と感じるような軍事力増強はせず、政治力・外交力を高め、情報収集力・分析力を磨き、理念を伝える広報力をつけ、個々の外交問題に理念に基づいて真摯に対応する。そして、世界中の市民が、自国の政府に「日本のやり方を見習え」と言ってくれるような実績を積んでいくのです。このようにして、焦らず丁寧に時間をかけて、軍事力に頼らず、外交力・政治力、理念の力へと重心を移していくことが必要だと思います。

 そのためには、保身のために米国に媚を売るだけの自民党から政権を奪取した後、長期的安定的に政権を維持しなければなりません。

 たくさんの難題が立ちふさがるきわめて困難な道筋です。しかし、だからといって、あきらめて「現実」に妥協していれば、いつまでたっても世界をよくすることはできません。身をよじりつつ隘路を広げ進んでいくしかないと思います。

 またご意見お聞かせください。

2020年4月21日 そが逸郎 立憲民主党長野5区総支部長

新型コロナ対策 文化への支援

 先日公開した記事に、飯田にお住いのある著名な方からこんなアドバイスを頂きました。

「こんにちは、立憲民主党はコロナ対策は文化に対して支援を全面に出すべきです。消費税や現金支給については与党と議論をしても意味がありません。ライブハウス、映画館など文化活動を支援に全力を挙げるべきです。是非、曽我さんも5区でも発信しましょう。新たな支持者が見えてくる。」

 確かに、と思いました。

 新型コロナ経済対策については、先に
1)家賃、光熱費、食費など命を支える出費がままならなくなった人たちに間を置かず対応するため、申請・審査なく、すべての個人に無条件に一律平等に給付をすること(ベーシックインカム的給付)
2)消費者への自粛要請ではなく、中小零細・個人事業者に対して、事業継続のための十分な資金を迅速に支給した上で、休業要請すること
が必要だと考え、それを表明しました。

 アドバイスを頂き、これだけではなく、もう少しきめ細かく見ていかねばならないと気づきました、
 地域の人たちの思い出のつまった劇場や、若い才能が育つライブハウスがなくなり、伊那谷の暮らしが、ただ働いて食べて眠るだけになってしまっては、わたしたちもつまらないし、誰も来てくれず、若者はさらに出ていくばかりになるでしょう。
 都会ほどお金はなくてものびのびと自分らしく楽しく暮らせるのが伊那谷の魅力だし、それを伸ばしていくべきだと思います。ユニークな才能が、夜空の星のようにたくさんキラキラしている伊那谷にしたい。「キリギリス」は、イソップ童話が言うように苦労なく気ままに「不要不急」の遊びをしているわけではないし、人類社会に必要なのです。

 文化的な事業は、中小零細事業のうちに入ると思っていましたが、他とは違う独特な事情もあるでしょう。
 伊那谷には、複数の和太鼓集団、アフリカの太鼓・ダンス集団、サックス奏者、レゲエ、ラテン、ミュージカルなど、音楽やイベントにかかわる仕事をしておられる方が大勢おられます。また、中川村には、たくさんの工芸作家が住んでおられます。お考えを教えていただければうれしいです。

 頂いたご意見は一覧で見られるようにして、みんなで考えたいと思います。
 「キリギリス」の皆さん、思いをお聞かせください。

2020,4,14  #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

「れいわ」と対比した「りっけん」批判に答える

 厳しいご意見が届きました。公開を了解して下さったので、わたしの返事ともども多くの方に読んで頂き、みんなで考える機会にできればと思います。

◆ ◆ ◆ 頂いたご意見 ◆ ◆ ◆

如何お過ごしですか?
消費税増税とコロナ対応のデタラメによって国民は疲弊してます。
ミサイル戦争の最中に丸腰より竹槍でもとあればというのがマスク2枚が配布のコロナ対応てすから低能児並の政府対応てす。
本当に国民は、救われない棄民政策の犠牲者になっています。
本題に入りますが、
立憲民主党は完全に自公政権の補完勢となっております。まっとうな政治は吹き飛んでおり世間は、枝野の政党を「一見民主党」と揶揄しています。
国会中継を国会開催中はいつもユーチューブで見ていて、立憲民主党も質問はなかなかいいとこついていても肝心なところで追求不足になり結果的には、自民を擁護するようになっています。
枝野の幹部たちは、昼は野党で夜は野盗か与党と言われています。
枝野や赤松、長妻昭達は毎夜毎夜労働組合幹部達と赤坂見附付近でカラオケ騒ぎをやっているのです。
この危機的最中に枝野は、何の有効な動きをしてません。自民党に舐め切られて識者らに呆れられているのです。1昨日一ヶ月ぶりに記者会見をやりましたがなんの変哲もないコロナ対策をいうのですが対策でもなんでもない時間つぶしの会見でした。
枝野、赤松などに三行半を突き付けたのが、山尾志桜里さんです。
誠に勇気ある立派な行動です。
昨年12月からずっと毎日毎日何時間もユーチューブと山本太郎の動きをみていました。
問題あり過ぎる自公の動き、国内外の社会情勢も未だかってないほど関心を持ちながら関心を持って見て来ました。
曾我さんが立憲民主党で立候補なさった理由は、以前お会いしたとき、れいわ新撰組からお誘いがなかったからだといわれましたが、立憲支持を決心されたときと現在では政界は激変しています。
立憲民主党は、見るものが見ましたら隠れ自民党・第2自民党です。
野党というのはまやかしです。
立憲の立場は、労働貴族党で非正規労働者や中小企業者などいわばアウトカーストたる人を救うことにはどうでもよいということだが、言葉の上では、自公の政策に反対するふりはするけども実際は肝心なところで自公を補完しているだけです。
自公の補完政党が立憲民主党や維新党です。枝野や小池百合子が前回の衆議院議員総選挙のとき余計なことをいったため野党が政権取りそこねたのです。
駄目な野党議員は沢山いますが、とりわけ枝野、赤松は、優柔不断で自分で絶対責任はとらない自己中心的な卑怯者卑劣漢です。
彼等が労働貴族その者の対応であることは、私はある問題が起きて、枝野に直接会って話した時に身を持って実体験しております。
原発事故のときの対応をみても「直ちに死にはしない」旨の発言を思い出してもお解りでしょうが、問題が起きても自分では適切な処置もできず、絶対に自ら動かず、都合が悪くなると、すべて他人に火の粉を振り払わせる自分で責任をとらわない卑怯な人物なのです。
枝野は、泥を被って他人を救うようなことはまずにやりません。
この度の国民民主党との党首会談でも玉木氏を目下扱いにしているため合流を躊躇わせているのです。
立憲幹部は、山本太郎を完全に恐れています。
太郎さんの動きをユーチューブや実際に街頭記者会見で会いずっと見守ってきました。
寒い街頭での長時間の演説に殆どの聴衆は山本との対話から離れません。
聴衆は、山本太郎の話は真剣であるから引き込まれ、山本太郎の話は自分のことと考えることができるようになるのだとおもいます。
毎日のユーチューブで街頭演説を見ていると日々に山本太郎は進化しているのが手に取るように分かるのです。
記者会見での愚問・奇問に対する対応は実に見事です。
四十代の人間が、毎日こんなに進化して大きくなるのかと対話集会の中で実体験しました。
各地での街頭記者会見の中でみせる当意即妙の受け答えは、実に感心することばかりです。
よく勉強しているのが分かります。
私も西郷隆盛伝説の本はいくつか読んでいますが、勝海舟だったかが言った「大きく打てば大きく響き小さくうてば小さく響く」そのものですが、山本太郎の街頭演説は、待機説法そのものです。
大西郷も山本の人間性には負けるとおもいます。
驚くべき対話説法である事が分かるのです。
菩薩様の化身がいるような気分になります。
彼の言動は、ちゃんと人の話を聞き、マトモな学者・専門家のレクチャーを受け現場に足を運び身につけたものですから不自然さがないうえに身を低くし、傲慢さ・不遜さが全くないのです。
年末年始に路上生活者のために何年も前から炊き出しを密かにやっていたとは世間には余り知られていません。
こんな代議士がいるとは!と、最後の黒幕といわれる朝堂院大覚も参ったといわせました。
太郎は、真の大政治家になりました。驚きです。
人間がこんなにも進化するものかと始めて経験したのです。
このような人であるから、その魅力にボランティアの人はますます惹きつけられ、応援団は急激に増えているのです。
ボランティア活動はみな手弁当です。
私も赤坂見附の事務所に行って現場を見てボランティアの人達とも話しました。山本太郎追っかけで遠方から駆け付けてきています。
寄付者もぞくぞく集まっています。
従って寄附額も相当あつまりますが、選挙が始まると判れば驚くほど寄付金は増えるとおもいます。
今はコロナで動きが取れない状態ですがユーチューブで発言しています。
全国各地への出張街頭記者会見で寄付金の大半を大分使っているようですが、選挙間近になればぐっと増えるので候補者は100人を超えるでしょう。
候補者募集ですでに六百人を越えているほどの勢いです。
マスコミのインチキ数字以上の支持があるのは街の人の意見です。
私が知っている人の意見だけで全国の人達の意見は知りませんが、テレビで山本太郎の顔と意見が放送されると一気に山本太郎の支援者が増えるとおもいます。
選挙が迫れば大マスコミも報道が報道せざるを得なくなってますます「れいわ新撰組」は支持を増やすこと必定です。
12月も新宿や池袋の街頭記者会見にゆきました。その時ののボランティア活動に四十代の女性がボランティアでチラシを配ったり、聴衆の整理活動をしていたのでどこからきたのですかと聞いたら、名古屋から来ました、安倍や麻生、菅達の悪党を倒すため太郎さんを応援に来ましたと言ってました。
五十代のボランティアは、[つくば市から来ていますが、元は別府出身です]といい、遠方からも沢山の人が手弁当で来ているのには驚きです。
笑ってしまうのは、右翼でさえ現場で邪魔な演説をすると、そんなところで喋らないでこちらのマイクをかすからこちらで話してくださいというものだから、右翼も逃げ出すしまつで、右翼も対話してゆくと山本ファンになっているのです。

出来れば曽我さんは泥舟・第三自民党と袂を分かったほうが良いと思います。
兎に角いまは安倍を倒すことに全力を尽くす、そのためには野党共闘を実現しなければならないときに枝野は、金がないのか国民民主党にすりより金はだせ、玉木には自分の子分になれ、新党の副代表にはしてあげるが、何から何まで立憲の方針にしたがってもらうからなというような
言動では、玉木氏らもあきれられて馬鹿にするなと見放されることは必定です。
曽我さん、今ならまだ間に合います。
れいわ新撰組かオリーブの木と一緒に運動を始められたほうが良いのでないでしょうか。
立憲民主党にはすでに公認されて、ポスターや選挙カーなど便宜を受けられ身動きが取れないのでないかと危惧しています。
「れいわ」が消費税0%のところを5%で譲歩して、野党が塊になって安倍政権を倒すことに全力をしたいということに賛同して下さいと願っていましたが、コロナ騒ぎで自民党の中でさえ0%を叫ぶ安藤議員達もでできました。枝野は、絶対消費税減税を否定してます。
消費税減税は、経済を活性化させ結果的には税収は増えます。財源は、企業と個人の累進課税を以前と同じくすれば済むことです。消費税増税分の大半が大企業の減税分に回されているのですから、立憲は庶民の敵そのものなのです。

曽我さんに提案しますが、立憲民主党が消費税減税を呑まないということを、そのことを理由に立憲を外れて「れいわ」か「オリーブ」に乗り換えたらどうでしょうか?
山尾さんの跡を追いかけてください。
山尾さんや小川淳也さんはいずれ山本太郎か黒川敦彦の陣営に参列すると思います。
枝野<一見民主党>は完全な泥舟です。
今の情勢から「れいわ新選組」は資金的にもボランティア活動の寄附で100人以上の候補者を擁立出来ると思います。
変な義理に囚われてはダメです。
次の選挙では「れいわ新選組」は、完全に立憲民主党を超える得票を得るだけの賛同者になるとおもいます。
曽我さんの夢を壊すようですが今の佐々木の心境です。

佐々木恭治

◆ ◆ ◆ わたしの返事 ◆ ◆ ◆

前略

 手厳しいご意見を頂戴いたしました。大変ありがたいことと感謝申し上げます。
 また、公開することを快諾していただいたことも、うれしく思います。同じように感じておられる方もいらっしゃると思いますので、この機会に政党政治についてわたしの考えを述べ、熟議のきっかけにできればと存じます。

 拝読して最初に思ったことは、よく言われる、左翼の分裂・細分化の歴史です。左翼はある意味潔癖で、考え方の重点や戦術のわずかな違いにこだわり、「そこだけは譲れない」と反目しあって分裂していく、という反省です。
 それに対して、政権を握る側は、派閥争いを繰り返しても、最後は妥協して協力し合う、あのしたたかさは見習うべきだ、などと言われてきました。

 この違いは、どこから生まれるのでしょうか。それを考えると、右翼・左翼とか保守・革新という単純な対比でとらえることが、ポイントを不明瞭にしていると分かります。

 いわゆる左翼とは、世の中の矛盾、不平等、不公正を正そうとする人たちです。それに対立する人たちは、現状の問題ある仕組みをそのまま容認した上で、その中で利得を得ようとする人たちです。乱暴に割り切れば、理想を目指す人たちと、利得を目指す人たちとの違いということもできます。理想を目指す人たちは対立しがちだけれども、利得を目指す人たちは最後はまとまります。なぜなら、一番強いものについた方が得だからです。

 社会あっての個人か、個人のための社会か。こんな問題設定もしばしば行われます。ここでいう「社会」は「国家」に置き換えたほうが、問題がより鮮明になります。国家あっての個人か、個人のための国家か。
 国家のため、社会のために、自己犠牲を美化・顕彰する人たちがいます。その人たちは、国民みんなのためを考えているのではなく、現状の国家・社会を、今のまま保持したいのです。そのためには個人を犠牲にしても気にかけない。それは、その人たちが、現状の国家・社会のシステムによって利得を得ている(または、利得を得ようとしている)からです。この人たちが、犠牲になる側には立つことはありません。

 個人を犠牲にして、システムを温存しようとすることは一貫して行われてきました。公害、原発、沖縄の米軍基地、非正規雇用などがその典型です。もっとも大規模なものは、戦争でしょう。それぞれのシステムを牛耳る者たちが、兵士たちの肉体・生命を消費して自分たちの利得を争うのです。年金や医療や福祉の制度においても、制度を温存するために、救われるべき人々の権利を切り捨てられています。今回の新型コロナ対策でも、人の命よりシステムの都合が優先されています。

 わたしは、これとは逆に、個人個人が自分の思うようにのびのびと生きることができるように環境を整え下支えするのが国家の任務だと考えます。村長の時に、自治体の仕事の本質は何かと考えて、行き着いた答えです。
 我々が国家・社会を個人の役に立つように変えていこうと考えるなら、社会を不公正のままにして利得を得ようとする人たちの勝手を許すことはできません。そのためには、社会をよりよくしたいもの同士、対立・分裂するのではなく、連帯が必要です。ではどうすればいいのか。

 少し横道にそれて、わたし自身の経験を書きます。

 中川村長を退いた2017年、小池新党(希望の党)の踏み絵事件のごたごたが原因で、市民連合から衆院選に急遽出馬しました。そのあと「信州市民アクション」のメンバーになり、前回の参院選で野党共闘を実現させる取り組みに参加しました。
 候補一本化の調整には時間がかかりましたが、仕上げとなる、各市民運動と野党各党(立憲民主、国民民主、共産、社民の各党。「れいわ」は長野県には不在)との政策協定書の文言は、思ったよりよりあっさりと同意が得られました。つまり、どうのような理想を目指すかについては、スピード感などの違いはあっても、野党間に大きな隔たりはない、ということです。

 そうこうしている間に立憲民主党から総支部長の打診がありました。衆院選の予定候補者という位置づけです。「れいわ」に入らなかったのは「れいわ」から声がかからなかったから、とわたしが答えたとメールに書いておられますが、あれは冗談です。立憲民主党以外どこからも誘われていません。
 はじめは「自分がやることではない」とお断りしていましたが、安倍政権のあまりの非道ぶりに、お受けすることにしました。辺野古県民投票でしめされた民意の無視が最後の決め手でした。安倍政権を終わらせるには、自民党議員をそれそれの選挙区で減らさねばなりません。解散総選挙が近いとも噂される中、長野5区における一番手っ取り早い方法として、自分で出るほかないかと考えました。

 お受けする際には、小池新党の「踏み絵」が念頭にあったので、「党の方針に常に従うことは約束できない。異なる考えを表明することもある。調整のつかないときは、わたしが離党することもあるし、除名されることも致し方ない」と申し上げ、それが認められたと理解しています。

 立憲民主党は、確かに頑なで融通の利かないところはあるかもしれません。残念ながら枝野代表とはまだ会話をしたことがありませんが、消費税に関しては、2月の中旬に東京で開かれた『立憲フェス』で参加者との質疑を聞きました。消費税減税に消極的である理由を問われた回答はこうでした。
 「消費税減税は、豊かな人にも貧しい人にも恩恵のある政策である。たくさん消費する金持ちほどメリットが多いともいえる。もし減税するだけの財政的余力があるなら、それは貧しい人に集中して使ったほうがいい。」
 一理あるかもしれませんが、共感は得にくいだろうと感じました。
 (わたし自身の消費税に対する考えは、HPの『そが考』の中の記事、『野党共闘 消費税 れいわ新選組/頂いたご意見への返信』https://bit.ly/2JYeQEB をご覧ください。)
 立憲民主党長野5区では、「もしも自民党が先に消費税減税を言い出せば、りっけんは立場を失う」との意見もありました。実際、書いておられるとおり、先月末、自民党若手議員の一部は、新型コロナ対策に絡めて消費税減税を主張したそうです。これは、単なるはみ出し者の暴走ではなく、選挙になったら消費減税を言い出すことができるように、計算づくで党として下準備しているのかもしれません。

 ともあれ、消費税減税に「れいわ」ほど積極的でないからといって、立憲民主党は、けして野党のふりをした与党補完勢力ではありません。最初に書いたことに関連づけていえば、矛盾、不平等、不公正をなくして、よりよい社会に変革していこうとしています。利得ではなく理想を目指しています。

 だとすれば、どうすればいいのでしょう。社会を理想に近づけようとするいくつかの勢力を比べて品定めして、どれかひとつを選んで他を捨て去るべきなのでしょうか。しかし、それは、これまでの「左翼の轍」を踏むことです。

 社会をより平等で公平なものにしていこうとするもの同士、力を合わさねばなりません。しかし、その前にもう一つ課題があります。それは主権者と政党の関係のあり方です。

 前回の衆院選は、無所属で出馬しました。今回は、立憲民主党の所属となったわけですが、少なからざる人が「無所属ならよかったのに…」と失望を露わにしました。これは、けして立憲民主党が嫌だということではありません。どの政党かを問わず、政党政治一般に対する嫌悪感があるのだと感じます。なにかの社会テーマに熱心に取り組んでいる人でも、政党に対しては「自分たちを利用しようとしている」と警戒する傾向があります。社会問題に意識の高い若者が「自分たちはさまざまな課題に向き合っているから、政党間の権力争いにかかわりあう暇はない」と述べた発言にも考え込まされました。
 本当なら、どのような社会的取り組みであれ、自分たちだけの自己満足に終わらせず、社会全体の改善にするためには、法律・制度にまで落とし込まねばならないはずです。そのためには、今の日本の政治制度においては、政党をうまく使う必要があります。にもかかわらず、政党は毛嫌いされている。これが投票率の低さにも現れていると思います。(それに対して、自民党を応援する人たちは、それによって得られるであろう利得に期待して、大変熱心に選挙に取り組みます。)
 世の中をよくしたいと思っている人たちには、政治を自分事として捉え、政党をポケモンのような、自分たちのために闘ってくれる存在として受け止めてもらいたいと願います。政党は、自分勝手に闘う野良犬ではなく、飼い主(主権者)の意向にそって闘うポケモンにならねばなりません。

 この点において、れいわ新選組は大いに参考にすべきです。政党と支援者が近く、共感度が高い。既存政党とは異なるオーラを発揮し、そこに集う主権者が世の中を変えられると感じています。
 山本太郎さんには前回衆院選の際に飯田まで応援に来ていただきましたし、集会などで何度かお話をしたこともあります。問題をご自身で深く突き詰めておられると感じます。太郎さん個人のキャラクター・能力による部分が大だと感じるので、誰でもが真似できるものではありませんが、学ぶべきだと思います。

 ただ、だからと言って立憲民主党かられいわ新選組に乗り換えるべきかというと、そうではありません。立憲民主党を、主権者はもちろん他の野党やさまざまなグループ団体にさらに開かれた政党にしていくこともとても重要だと思います。
 一言でいえば、熟議を重ねる政党です。安直な妥協・合意ではなく、多数決では勿論なく、批判しあい、学びあい、研鑽しあい、考えを突き詰めて深めあっていく。主権者にプロセスが見える形で。これができれば、反目しあうのではなく、違いを乗り越えていくことができるでしょう。その結果、互いに異なっていた考えも、正しいところに寄り合っていくはずです。理想に向けて社会を変えようとする大きな連帯の輪が広がれば、日本の政治は大きく変わるでしょう。

 ご意見をいただいたとおり、立憲民主党にはまだまだ改善すべき点がありますので、内部で努力をしたいと思います。外と熟議を交わすより先に、内部で熟議を積み上げねばなりません。山尾さんにもそうしていただいた方がよかったのではないかと感じます。これがうまくいけば、れいわ新選組はもちろん、他の野党やさまざまな組織とも熟議・連携して、日本をよりよい社会に近づけていくことができるでしょう。

 佐々木さんからのメールは、熟議の機会を与えてくださいました。改めて感謝申し上げます。
 今後ともまた是非ご意見お聞かせください。

草々

佐々木恭治様

2020,4,12     曽我逸郎

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ご意見お聞かせください。

新型コロナウイルス 経済対策

 表題の件、なんとかせねばならんといろいろ考えた試行錯誤を、メールニュースで発信しました。ここにも掲出します。

◆ そが逸郎通信 第9号 3/22

 <新型コロナへの緊急経済対策として国民に現金給付するのは間違い>

 新型コロナウイルスによる経済的打撃が広がっています。それに対する緊急経済対策として、自民党は国民への現金給付を検討している、との報を耳にしました。
 これは間違った施策です。

 国民への一律の現金給付は、新型コロナウイルスの影響に苦しんでいる人たちの救いにはなりません。一番困っているのは、旅館などの観光業、飲食店、映画館やコンサートなど人を集めて楽しませる商売です。そこに客足が途絶えてしまったのは、客にお金がないからではありません。病気に罹るのが心配だからです。また、工場の生産ラインが止まってしまった原因は、部品の供給が滞っているからです。したがって、国民に現金を給付しても、客足や部品供給は回復せず、資金繰りの行き詰った人たちを救うことにはなりません。

 国民全体への現金給付ではなく、これらの、新型コロナの影響で本当に困っている人たちに的を絞って対策をとるべきです。大企業の救済は無用。中小零細、個人事業主を対象にして、例えば、簡便・迅速な繋ぎ資金の融資でまずは急場をしのげるようにした上で、昨年(または過去数年)の同時期の売り上げ・利益と今年の実績を比較して、減少分の一定割合を現金給付するといった方策はどうでしょうか。
 個別にはさまざまなケースがあるでしょうから、きめ細かく設計せねばなりませんが、ともあれ、ながらくビジネスを続けてきた人たちが、一時の流行り病のために廃業に追い込まれるなら、経営者や労働者といった当事者のみならず、消費者にとっても大きな損失です。そうならないように、実効性のある対策をとらねばなりません。

 苦しんでいる人たちの救済にはならないのに、自民党は、国民一般への現金給付を新型コロナウイルス対策としてやろうとしています。これは、新型コロナウイルスを口実にして、国民の歓心を買おうとしているのだと思います。選挙にむけた思惑でしょう。極めて大規模な買収行為です。しかも、税金を使った…。福祉を削る時には財政赤字を喧伝するのに、自分たちの選挙のためには、的外れで効果のない(選挙対策にはなる)税金の無駄遣いをするのです。

 今、新型コロナウイルスに悪乗りをして、わざと物議をかもすような施策を打ち出し、やっている風を装う政治家が湧いています。不合理・的外れな思い付きですが、それを指摘・批判されると、「やる気のない評論家はでしゃばるな」と威圧します。自民党が検討している国民への現金給付も、その類だと考えます。

 以上が今回の『そが逸郎通信』の主題です。

 ところで、国民への現金給付と言えば、ベーシック・インカム(BI)もそうです。実はわたしは、BIに大いに期待しています。今の逼塞状態を打開してくれるかもしれないと考えるからです。自民党が検討するコロナ緊急経済対策とBIとの違いについても論じておきましょう。

 BIというのは、条件をつけずにすべての個人に健康で文化的な生活に必要な現金を一律に給付するという考えです。BIの場合は、永続的定期的に現金給付するのに対して、自民党の緊急経済対策は、一回限りの単発です。BIは、一時的な今の救済だけではなく、将来にわたる見通しと安心感をもたらします。それによって、人は、自分はどう生きたいのか、じっくりと考えることが可能になります。贅沢をあきらめれば、自分らしい生きたい生き方を可能にするのがBIです。生存のために意に沿わぬ仕事に縛られることはなくなります。人の嫌がる仕事の対価は、必然的に上がることになるでしょう。勿論、贅沢な生き方をしたければ、BIを受給しながらしっかりと稼ぐことも可能です。
 一時的な「緊急」経済対策とは違い、BIは、人々の人生観、ひいては文明のあり方さえ変える、根底からの変革なのです。

 降ってわいた新型コロナウイルスのずっと前から、日本社会・日本経済は長期的・構造的な問題に陥っていました。
 昨年10~12月の実質GDP成長率は、消費税増税によって、年率にするとマイナス7.1%という惨憺たる結果になっていました。消費増税の大失敗をコロナウイルスが攪拌隠ぺいしたといえます。
 そもそもそれ以前から、株価ばかりが吊り上げられ、「穏やかな景気拡大」と喧伝されながら、実質賃金はマイナス、国民の購買力は失われて内需はやせ細っていました。非正規雇用が当たり前になり、年金もあてにできず(麻生氏の2000万円発言)、将来が見通せない若者は結婚など自分事とは思えない状況に置かれ、その結果、少子化はますます進み、人口減少によって経済は一層縮小するという悪循環に陥っています。これは、ひょっとすると資本主義経済制度の行き詰まりであり、人類の文明史な隘路に一番先に踏み込んでいるのかもしれません。

 これを脱却して、文明史の次の時代を拓く可能性があるのがBIです。人々の人生観・労働観も一変させる根本的な変革になります。それだけに、拙速に実行すればどのような副作用があるか分からず、慎重な制度設計が必要です。(不十分な金額のBIを口実に生存が保障されたとして、福利厚生や福祉、セーフティネットをなくすことを目論む輩もいます。)

 わたしは、自民党が検討している新型コロナ対策緊急経済対策の現金給付に反対し、BIの可能性には、期待しています。

 (BIについては、『ベーシック・インカムは妙案かも』http://mujou-muga-engi.com/b-income/ をご覧ください。)

2020年3月22日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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◆ そが逸郎通信 第11号 3/27

 <新型コロナに対応する生活保障私案 政府通貨+ベーシックインカム的現金給付>

 前々9号(3/22)の新型コロナウイルス緊急経済対策に対する考えに、3通ほど返信を頂きました。どれも賛同のメールでしたが、同時に非正規雇用の皆さんを心配する言葉もありました。

 わたし自身、9号を発信した後、考えが不十分だったと反省していました。事業継続だけを念頭にして、雇い止めされた非正規雇用の方や、不幸にして事業をたたまねばならなくなった経営者やその被雇用者の方々の暮らしをどう支えるか、考えを巡らせていなかったのです。

 今回の大規模な経済縮退に対応する生活支援を、煩雑な手続きの間を置かず迅速に実行するには、条件をつけない国民一律の現金給付は、有効な方法かもしれません。
 折しも、アメリカ上院では昨日、大人一人に1200ドル(≒15万円)、子供には500ドルの現金給付を可決した、との報道があります。
 年収7万5000ドル以下という条件があるようですが、そういった条件の審査に時間がとられるなら、無条件にしてもいいでしょう。コロナ禍が収まった後、とるべきところからその分の税金を集めればよいのです。すべての個人に等しく給付して、とるべきところから税金を徴収するというベーシックインカムの考え方です。

 MMT(現代貨幣理論)の考えからすれば、コロナ対策給付を後から税金で回収する必要も、必ずしもないのかもしれません。また、もし国債を積み上げることの悪影響が危惧されるなら、思い切って政府通貨を必要額発行することも検討できるでしょう。
 (政府が国債を発行して日銀から日本銀行券を利子付きで借り受けるのではなく、政府みずからが通貨を発行するのが政府通貨。現行の日本のお金は、お札は日銀券だが、硬貨は政府通貨。政府通貨の素材や額について縛りはない。政府通貨を発行しても、だれかに返す必要はないし、当然金利も発生しない。)

 勿論、現金給付であれ、実行するにはクリアすべきさまざまな課題があります。窓口で現金を渡すのか、口座に振り込むのか、口座番号の登録をどうするか、住民票のある役場に行かねばならないのか、対象者は日本国籍に限定せず住民票のある人全員にすることでいいいか、などなど。
 しかし、これらはどんな支援策でも工夫して対処しなければいけないことです。やらない理由にはできません。

 今回のコロナ禍からなんとしても暮らしを守らねばなりません。そして、そのために智慧を絞った結果として、コロナ禍以前から現れていた現代資本主義経済システムの行き詰まりを克服する新たな仕組みのヒントが見つからるなら、災い転じて福となる、です。

 (MMT、政府通貨(≒公共貨幣)については、拙ブログ https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ を参照ください。)

2020年3月27日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

なぜ辺野古の新基地建設をやめられないのか?

思い付きで始めた誤りを訂正できない政治の危うさ

 沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんのお話を聞きました。(2/23松本市あがたの森文化会館)

 北上田さんは、土木技術の専門家です。辺野古の浜のテントには、北上田さんの他にも海中写真や様々な専門分野のオヤジ集団が、梁山泊のごとく集っておられ、わたしも弁当をいっしょに頂いたり、炭火にあたりながら話を聞いたりしました。実は、北上田さんは、わたしの大学のクラブの先輩でもあります。(京大山岳部。わたしは一年もたずに退部)

 冒頭、「安倍政権は、県民の反対の声を無視し、既成事実を積み上げることで、県民(主権者)に無力感を味わわせ諦めさせようとしている」との指摘。これは沖縄だけでなく、国会答弁にも言えることだと思いました。国民があきれはてて諦めるのを待っています。
 しかし、国民を諦めさせ無気力にさせて、どうして経済も文化も花開くでしょうか。みんなが人の顔色をうかがうことなく、のびのびと発言し行動できてこそ、活力ある社会は実現されます。政治についても、自由闊達に議論し合う風土にしていかなければ、世の中をよくしていくことはできません。そのような社会を作り上げていくことは、政治の大きな任務です。
 それとは真逆の政府に対峙するには、「勝つ方法は諦めないこと」しかありません。

 北上田さんは、辺野古の工事の問題点を次々に指摘していきました。
 汚濁が拡散している様子を撮影されるのを嫌がって、ドローンを禁止し、市民の監視の眼をふさぐ。しかし、汚濁防止のみならず、サンゴの移植も、埋め立て用の土砂の調達も、どれも決められたルールに則って問題が出ないようにちゃんとやろうとすれば、膨大な時間と手間とコストが必要になる。計画の工期では完成できない。

 しかも、マヨネーズ地盤の問題も発覚しました。マヨネーズと同程度の軟弱な地盤が、滑走路の末端付近(B27地点)に海面下90mまで堆積しているのです。これに対して防衛省は、「これは業者が自主的に行った調査で、厳密なものではなく、重視すべきではない」としています。しかし、この調査会社は米国の会社であり、調査が行われた裏には米軍側の意向が働いているのではないかと推察されます。
 現状の計画のままでは、護岸が崩壊するとの指摘もあります。また、海底の地盤改良は世界でも海面下70mの実績しかなく、90mまで届く工事は前例がありません。なんとか工事を終えて一旦完成したとしても、継続的沈下は避けられず、米軍が滑走路に要求する平坦さの基準を満たすことはできず、完成後もジャッキアップなどの維持補修工事が際限なく必要になります。

 講演を聴きながら、かねてからの疑問がわいてきました。
 いつ完成するかも分からず、できたとしても欠陥滑走路。完成後も維持に莫大な費用がかかる。補修工事ばかりしていれば、運用にも支障が出るだろう。地球温暖化による海面上昇の問題もある。にもかかわらず、辺野古新基地建設に固執するのは、安全保障に真剣でないことの証左ではないのか。
 自民党はことあるごとに「緊迫する安全保障環境に迅速な対応が必要」と主張するが、実はそれは口実に過ぎず、莫大な税金を投入する工事がだらだらと長く続けば続くほど利権も続いてうれしいのではないか。
 しかし、米軍はどう受け止めているのか。自分たちはグアムに退くから、欠陥滑走路であれ何であれ、日本政府が造りたければ勝手に造ればよい、という考えなのか。あるいは、辺野古新基地の欠陥はかえって好都合で、普天間基地を使い続ける口実にしようとしているのか。
 その旨、質問しました。

 北上田さん。
 「工事業者は確かにそうだろう。しかし、日本政府は、石垣島などに自衛隊の基地も作ろうとしており、それらがすべて利権のためで防衛は純粋に口実、ということではないだろう。米軍に関しては、防衛省はこの案件については、他の案件とは比べ物にならないほど緊密に米軍に報告し協議している。米軍がそれを要求しているのだろう。米軍も、どうでもいい、勝手にやれ、と考えている訳ではなさそうだ」との答え。

 日本政府の本当の考えも米軍の考えも腑に落とせず、もやもやしていましたが、新型コロナウイルスへの安倍政権の対応をみて、こうなのかも、と思い至りました。

 ひょっとすると、日本政府には、深い考えはないのかもしれません。長期利権にしようという考えさえない。米軍への阿諛追従かなにかで、突きつめた検討もせずに決定して、後から様々な問題が露呈したが、いまさらやり直しは体面上できないので、弥縫策を継ぎはぎしながら進むしかない。残念なことに、これが実際のところではないでしょうか。

 新型コロナウイルスのクルーズ船への対応や一斉休校の判断は、幅広く検討し、突きつめて考えた上のものではありませんでした。要は、思い付きだったのです。
 政府は、拙速な指示・命令を発出した後、それによる問題が現れ、批判の声が上がっても、邪険にしてめったに真摯には取り合いません。なおざりな対応でお茶を濁すことを繰り返すうち、問題はどんどん肥大しますが、それでも考えを改めることはできません。逆に、ますますその方向に突き進みます。間違いを認めれば、これまでやってきた過ち(例えば、辺野古の海の環境破壊)を遡って元に戻さねばならなくなるからです。

 北上田さんは、講演の冒頭で「政府は、既成事実を積み上げることで、県民を諦めさせようとしている」と指摘されました。しかし、積み上げた既成事実に縛られているのは、実は日本政府の方なのです。やがて、山積した問題がにっちもさっちもいかなくなって、破綻することになります。

 思い返せば、先の戦争でも、同様のことが繰り返されました。

 インパール作戦は、当初から兵站(物資の補給)に無理がある、という指摘がありました。しかし、牟田口司令官は、弾薬や装備を水牛などに運ばせ、いざとなればそれを食糧にするとして、これをジンギスカン作戦と豪語し、上層部を説き伏せ、作戦を強行しました。現実には、水牛に荷を負わせて山道を歩かせるのは無理なことで、しかも攻撃を受けた動物たちは驚いて遁走し、食糧のみならず、貴重な装備弾薬まで失うことになりました。前線からの補給の要請に牟田口司令官は応えることなく、現場の(精神的)努力で状況を克服することを要求し、「白骨街道」と呼ばれる悲惨な結果を生みました。
 攻撃を受ければ、動物は逃げ去ることなど、誰にでも想像できます。

 航空機による体当たり「神風」も、イメージとは異なり、与えるダメージの乏しい攻撃でした。爆弾は、ぶつかって甲板を突き破った後、艦の中で爆発するように設計されています。しかし、航空機の突入スピードは、投下した爆弾の落下速度よりずっと遅く、しかも航空機自体がクッションになるので、爆弾は艦の表面外側でしか爆発せず、艦の構造に届くダメージにはなりません。そんなことは、日本軍の中でも多くの人が分かっていたはずです。しかし、「神風」は中止されず、多くの航空機と若い命が消耗されました。

 他にも、特攻機「桜花」など、立案の時点から破綻している作戦は、たくさんあります。そもそも、中国への侵攻は、先の見通しもないまま、場当たり的、それいけどんどん的、なし崩し的に進みました。その延長として米英との戦争状態に突入したわけですが、その際にも、国力の差は認識しながら、相手の準備が整わないうちにギャフンと言わせて講和に持ち込むというラッキーなシナリオだけを想定し、うまくいかなかった場合のことはまじめに考えていませんでした。その結果、敵味方のおびただしい命に悲惨な最期をもたらし、無条件降伏に至ったのです。

 深く考えず安易に都合のいい想定で事を始め、批判に応えることなく、みずから積み上げた既成事実に縛られ、後戻りできなくなる。そして、どうしようもない状況に陥ると、努力で解決せよと現場に要求する。これは、インパール作戦でも、新型コロナウイルス対策でも、辺野古新基地問題でも同様です。辺野古の問題では、防衛省の現場職員が安倍政権や米軍から対応を押し付けられて苦労していることでしょう。しかし、破綻して被害を被るのは、政府でも政府の現場でもなく国民です。残念なことに、これは我が国政府の歴史的な傾向であるようです。

 ただし、わたしは、政府の政策は常に完璧であるべきだ、と主張するわけではありません。人間はみな凡夫です。凡夫とは、平凡な普通の人という意味であり、それは執着に基づいた反応だということです。完璧ではあり得ません。間違いを繰り返します。
 間違いを繰り返す凡夫が間違いを少なくする方策が、熟議の民主主義、すなわち、少数意見も含めて互いに批判し合い、批判から学び合って、考えを深め合うことです。多数決ではありません。執着する凡夫は、正しいものではなく、強いものに群れやすいからです。そして、批判してもらうためには、情報公開も必要です。

 これと正反対の考え方が、自民党が憲法に加えようとしている緊急事態条項です。首相が「緊急事態!」と宣言しさえすれば、権力が首相に集中し、国会が制定するのと同等の効力を持つ政令を好き勝手に発することができ、国民の権利も制限できる制度です。

 思い付きの愚策で問題を引き起こし、後戻りどころか突き進んでさらに事態を悪化させて「緊急事態」を作りだし、それを根拠にして独裁的権力を手中にする。
 愚かな凡夫に権力を集中させれば、悲惨な結末が待っています。その結果を背負わねばならないのは、権力者ではなく、普通の人たちです。

 賢い政権にするのではなく、情報公開をしてきちんと批判・議論に応じる政権に替えなければならないと考えます。

2020年3月8日  立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎

ゲノム編集の危険性

 昨日、『食の安全はどこへ★遺伝子組み換えとゲノム編集★河田昌東さん講演』(於:伊那市図書館、主催:「伊那谷いのちがだいじ!連絡会」)を聞きました。

 遺伝子組み換えとゲノム編集の違い、それによるゲノム編集の危険性がよく理解できたと思うので、以下ご報告します。(とは言え、素人の理解なので、文責は曽我)

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 遺伝子組み換えの場合は、外来遺伝子を「空気銃で打ち込むようなもの」であり、それが宿主生物の遺伝子のどこに挿入されるかはランダムで、大抵の場合、宿主生物の遺伝子を損傷し、害をもたらす。そのため、外部遺伝子を「打ち込んだ」のち、細胞を培養して、問題のないものだけを選別する必要がある。

 一方、ゲノム編集は、改変したい形質にかかわる遺伝子はどの部分かを特定したうえで、その部分を狙って、切り取り、あるいは外部遺伝子に置き換える。

 わたしは、漠然と「遺伝子組み換えが外部遺伝子を押し込むのに対して、ゲノム編集は、もとからの遺伝子の一部を切り取り、破壊するだけ?」と思っていたが、ゲノム編集でも外部遺伝子の挿入は行われ得る。一部遺伝子の破壊(ノックアウト)に比べて、外部遺伝子の挿入・置き換え(ノックイン)は法律や規則上の制約が大きいので、ノックアウトの件数が多いというだけのようだ。

 ともあれ、上記のような説明だけを聞けば、ゲノム編集に大きな危険があるとは思えないかもしれない。しかし、以下のような多くの問題がある。

 一つ目の危険は、オフターゲットの問題である。誤認によって狙っていない遺伝子が破壊されてしまうことだ。狙った部分を、塩基配列(4種類の塩基がどういう順番で並んでいるか)によって見分けて切り取るのだが、別の似た塩基配列部分も誤認され破壊されてしまうことが排除できない。当然その部分が関わる形質に影響がでる。

 二つ目の危険は、改変した遺伝子部分が、変更しようとした形質だけではなく、別の働きにも関与していた場合に、予想していなかった思いがけない影響が現れる可能性だ。ゲノム編集は、ターゲットととして狙う部分がひとつの機能しかもたないことを前提にしている。しかし、複数の異なる働きに関与している場合も少なくないのである。

 三つめは、マーカー遺伝子がもたらす危険だ。特に抗生物質耐性が拡散することが危惧されている。
 少し詳しい説明がいる。
 ゲノム編集技術は、四つの要素で構成される。DNAを切断するDNA分解酵素(Cas9と呼ばれるものが使われる)。どの部分の塩基配列を切断するかを識別するガイドRNA。ゲノム編集が成功したかどうかを判別するためのマーカー遺伝子。そして、それらを対象細胞の核に運ぶベクター(ウイルスなどが使われる)である。ベクターを対象となる細胞に感染させて、他の三つの要素を細胞の核に入れる。(先に触れたオフターゲットの切断は、ガイドRNAが似た塩基配列を誤認することによって起こる。)
 狙った部分一か所を改変するには、これら四つのセットが一組あれば済むというわけではない。現実には10万から1000万、場合によってはそれ以上がひとつの細胞核に投入される。多ければ多いほどオフターゲットの危険は増す。そして、それだけ投入してもなお、改変が100%成功するわけではない。そこでうまく行った細胞を分別するために使われるのがマーカー遺伝子だ。クラゲの発光たんぱく質の遺伝子や抗生物質耐性遺伝子が使われる。編集作業後、光る細胞や抗生物質をかけても死なない細胞は、ゲノム編集が成功したと判別できる。

 つまり、「外部遺伝子は挿入しない、遺伝の一部を切り取るだけ」と称するノックアウトのゲノム編集においても、外部遺伝子は使われるのだ。ゲノム編集作業で持ち込まれる膨大な数の外部遺伝子は、戻し交配によって取り除けるとされるが、多くの時間と手間が必要な作業であり、本当に徹底されるかどうか疑わしい。
 既に、遺伝子組み換えで害虫抵抗性(虫が齧ると死んでしまう形質)を与えられた作物の場合、組み換えが成功したかどうかを判定するために、抗生物質抵抗性の遺伝子がマーカーとして使われている。害虫抵抗性の飼料を与えられた家畜において、腸内細菌が抗生物質耐性になっていると報告されている。飼料からマーカーの抗生物質耐性遺伝子が腸内細菌に取り込まれたのだ(遺伝子の水平伝達)。人間の場合も同様のことが起こる。それらは糞便にまざって排泄される。
 今、抗生物質の安易な使用が広く行われており、環境中に抗生物質耐性の遺伝子が増えている。それを一層加速するのが、遺伝子組み換えであり、ゲノム編集だ。抗生物質の効かない病気が蔓延することが危惧される。

 また、別の危険として、Cas9によるアレルギーも指摘されている。Cas9は、黄色ブドウ状球菌などの細菌も持っており、人類はそれらに日常的に接しているので、Cas9に対する免疫抗体を持っている人が多い(米国人の場合6~7割)。Cas9が多く残留した食材がアレルギーを起こす危険もある。

 河田さんは、講演の最後を提言で締めくくられた。ゲノム編集についての安全審査を厳格化すること。そして、きちんとした表示を義務づけ、消費者の選択する権利を守ることである。供給側が、遺伝子組み換えの表示によって遺伝子組み換え作物が普及しないことに懲りたので、ゲノム編集については、表示をしなくてよいようにしようと画策しているそうだ。消費者・市民は、法制度の動向に注視し、おかしな動きには厳しく指弾し、対抗せねばならない。
 それはそのとおりだ。しかし、わたしは、安全審査の厳格化と表示義務化に加えて、そもそもすくなくとも食材に関しては、ゲノム編集を禁止する法律を定めるべきではないかと思う。その旨質問したが、回答は、「安倍政権は、ゲノム編集を「成長戦略のど真ん中」と位置づけ、外国との競争に突き進もうとしている。この状況において、その可能性はほとんどない」とのこと。
 しかし、講演の冒頭、「ゲノム編集は原発と同じ」との発言もあった。新技術がもたらすかもしれない経済効果に目がくらみ、安全性を忘れている、という意味だ。であるなら、安倍政権に替わる日本政府が、内外の市民と連携して、ゲノム編集技術の乱用に対してタガをはめるべく世界のリーダーシップを執るべきだと思う。

 また、質疑では、学校給食のオーガニック化の取り組みも話題になった。
 安田節子さんや山田正彦さんから教えて頂いたことも総合すると、米国などでは、食材をオーガニックにすることで、子どもの健康(特に、情緒面など)が改善されたとの報告があり、オーガニック食材の普及が進んでいる。(確か安田さんからお聞きした話では、遺伝子組み換え作物が子どもの腸壁を傷つけ、完全に消化されきっていない食材が、まだ分子数の大きい状態で血管の中に漏れ出すことが原因ではないかと案じられている、ということだった。)学校給食をオーガニック化することで、子どもの健康が守られる。同時に、オーガニック食材の消費の基盤が生み出されることで、有機農業に取り組もうとする志の高い農家が増え、ひいては学校給食以外にもオーガニック食材が広がっていくだろう。波及効果は大きいと期待できる。
 日本の現状は、基礎自治体(市町村)レベルの取り組みが始まっている段階だが、韓国などでは国レベルでの模索が進んでいる。例えば、学校給食のオーガニック化に対して国が市町村を支援する制度をつくれば、この取り組みは一挙に普及するかもしれない。

 ゲノム編集技術への規制をはじめ食の安全を守るためのルール強化と学校給食オーガニック化支援とによって、大きな成果が上げられるのではないだろうか。

 今回の講演にお誘い頂いた「伊那谷いのちがだいじ!連絡会」に感謝します。

* * * * *

 これに関連した内容の講演が、高森町やすらぎ荘であります。『食の安全とタネのはなし4』2月29日(土)13時半~。印鑰智哉さん、安田節子さんがスピーカー。

 同日、同時刻に、立憲民主党長野県連代表の杉尾秀哉参議院議員、辻元清美衆議院議員の話を聞ける「新春の集い」を、飯田市エスバードで開催します。わたしも登壇して、2020年代の10年間でどういう社会を作り上げていくべきか発言します。どうぞご来場ください。

2020,2,9  そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長