まっとうな政治の実現を、羽田次郎氏とともに

 昨日(2021、2,22)、マールマガジンに配信した記事です。ご批判ください。

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 昨年末、立憲民主党参議院議員の羽田雄一郎さんが亡くなりました。新型コロナに罹りながら、すぐに検査してもらえなかったためです。残念でなりません。

 立憲民主党長野県連合会は、後任に弟の羽田次郎氏を選出しました。参議院選挙区第2総支部長として、24日に公認される予定です。
 長野5区総支部長のわたくしとしては、杉尾ひでや参議院議員、羽田次郎参議院第2総支部長の二人と力を合わせて、伊那谷に暮らす皆さんのため、さらには長野県、日本に暮らす人たちのためにしっかり頑張る所存です。

 今、私たちの前には、眼前の新型コロナのみならず、たくさんの深刻な課題が迫っています。
 温暖化など地球環境の破壊は、回復不可能な段階に差し掛かりつつあります。エネルギーをはじめとして、社会の仕組みを抜本的に切り替えねばなりません。資本主義そのものが制度疲労に陥り、限界に達しているとも感じます。時間の猶予はありません。

 グローバル資本は、国境を超えて貪欲に成長を目指し、世界を蚕食し続けています。
 国家がグローバル資本の前に膝を屈するような状況も見受けられます。資本に貢ぐために税金を徴収する集金装置になり下がったのか、とさえ思います。国民の暮らしのために、必要であればグローバル資本に対峙する気概が、国家には必要です。
 発達した(=末期の)資本主義の時代、世界の富は極端に偏在し、格差が拡大しています。勝ち組が勝ち続けるために、弱い人たちばかりがさまざまなしわ寄せを負わされています。
 日本においても、非正規雇用が増大し、シングルマザーなど、たくさんの人が苦しい生活を強いられています。先進国の中で日本だけ実質賃金は右肩下がり。国民の可処分所得・購買力が落ちて、個人消費・内需は低迷しています。
 労働分配率を上げ、所得の再分配を強化せねばなりません。ベーシック・インカムの可能性を研究することも必要だと思います。成長よりも分かち合いが大切なのです。

 かつてジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた日本は、今ではあらゆる分野で後れを取っています。この歴史の曲がり角において、世界に正しい方向を提示する能力が、今の日本にあるとは思えません。
 その原因は、場当たり的な対応に終始し、先を読んで準備をすることを怠ってきたからです。その場しのぎのはぐらかしではなく、互いに批判しあい、議論を深めて、正しい答えを見つけ出す熟議が必要です。
 その前提には、当然情報公開がなければなりません。情報を公開して、みんなで真摯な議論を重ねて考えを深め、将来を見通した準備をする。これが「まっとうな政治」です。
 衆知を集めて熟議を重ねる以外に、今の世界史的な問題を乗り越えるすべはありません。

 もし今の政権に、その能力がなく、その気もないのであれば、交代してもらうしかないでしょう。
 羽田次郎、杉尾ひでや、そしてわたくしそが逸郎は、政権交代のために頑張ります。

立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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ハイテク農機は農村集落を救うのか 2021,1,24

   「ドローンやGPS搭載の自走農機を導入すれば、日本の農業の未来は明るい。」
 そんな記事を信濃毎日新聞でしばらく前に見た。宮下一郎衆議院議員の主張だ。氏は、自民党の農林部会長である。つまり、それが自民党の考えなのだろう。

 しかし、これを農業政策の柱に据えれば、かえって日本の農業は疲弊する。補助金をつけるのだろうが、農家も負担させられるに違いない。結局のところ、農業機械メーカーを潤すだけ。これまでと同じだ。省力化だけを推し進めれば、農村集落の高齢化・人口減は、ますます深刻になる。

 重要なことは、農業出荷額や生産性ではない。農村集落の暮らしを守ることだ。協同作業やお祭りといった伝統と文化を担う共同体を引き継ぎ、それをいきいき楽しいものにすること。農業以上に、農村集落を守りたい。中川村長として目指したことだ。

 先日、三上元さんから、「コロナ対策は、業界や企業ではなく、困っている人の暮らしを直接支援すべき」とのご意見を聞いた。((13) そが逸郎の「おはなし聞かせてください」 – YouTube
 農業も同じだ。農家への戸別所得補償や就農支援を手厚くすべきである。学校給食の食材に有機作物を補助推奨する制度によって、安全安心な食の提供を志す地元農家を支援し、有機農業を拡大することも、国内農業育成など、いくつもの成果をもたらす。農村での暮らしを夢見ながら、踏み出せないでいる若者も多い。兼業農家も大切だし、出荷せずとも農村集落の一員となってくれるだけでもありがたい。

 都会の大企業の目先の都合ばかりを優先する政治は終わらせて、誰もがのびのびと自分の生きたい生き方ができる社会を目指すべきだと思う。

2021,1,24     そが逸郎

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ベーシック・インカムとは 2021,1,11

 ベーシック・インカムについてお便りをいただき、説明する返事を書きました。多くの方にも読んで頂きたいと思い、ここに掲載します。
 ご批判お聞かせください。

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2021年1月11日

〇〇 〇 様

 お葉書頂きました。有難うございます。

 新型コロナが猛威をふるっていますが、具体的な備えがまったくなされていなかったことが露呈しています。国民への精神論的呼びかけばかりで、戦時中の日本もこうだったのだろうと想像します。「コロナとの戦争」という表現がありましたが、まさにそのとおりで、合理的に先を読んで準備することのできる指導部でないと、多くの国民の命が危険に晒される。政権交代が必要だと痛感しています。

 さて、ベーシック・インカム(BI)について葉書を頂きました。
 コロナ対策としての可能性や、また竹中平蔵氏による真意不明のBI提案などで、BIがまた少し注目されているようです。

 残念ながら、BIの定着した日本語はまだありません。わたしなりに定義すると、こうでしょうか。

 全個人を対象に無条件・無審査で定額の生活保障を定期的に継続して給付すること

 対象は、世帯ではなく、個人という点が、ひとつの味噌です。BIがあれば、家庭内暴力など高圧的な人間関係からの離脱が容易になります。
 逆に、何人かでそれぞれのBIを持ち寄って生活すれば、暮らしは楽になりますから、結婚する若者も増えるでしょう。生まれた子供にもBIは支給されますから(何歳からかは、制度設計による)少子化対策にもなります。いろいろな形の共同生活が増えると思います。

 失業保険のように、働く気があるけど仕事のない人だけが対象ではなく、働いて収入のある人、大金持ちの資産家も対象です。それどころか、働く気のない遊び人も対象です。それゆえ、生活保護のような、申請や審査は必要なく、プライバシーをあれこれ詮索されることもなく、役所の手間もかかりません。申請してから給付されるまでの待機期間もありません。大金持ちも初めから定期的にもらっているのですから…。BIは全員に等しく給付されます。

「なぜ金持ちにまで?」という疑問があるでしょう。けれども、税金は所得に応じてしっかり払ってもらえばよいのです。BIは、税制度の抜本的改革とセットです。

 働く気のない人にも給付する、という点に多くの人は反発するでしょう。しかし、今、競争社会のストレスで鬱になる人も多い。なにか全く新しいことを創造しようと呻吟している人も、周囲からは遊び人にしか見えないでしょう。お金にはならないけれど、社会貢献に邁進する人もいます。賃労働だけが労働とされる社会は歪です。
 反対に、大きな利益を上げているけれど、世の中に害をもたらしているとしか思えないビジネスもあります。
まっとうなBIは、生存のために不本意な賃労働に甘んじることから解放してくれます。生存のためではなく、みずから感じる意義、やりがいのために働くことが可能になります。
 また、近い将来、AIが多くの仕事を奪う、とも言われています。その状況になった時も、BIは救済策になるでしょう。コロナ対策にもなるはずです。

 それでも、「BIなんかを始めたら、みんなが遊んで暮らすようになる」と考える人もいます。実際、ヨーロッパでのアンケート調査ではそういう答えが多かったそうです。しかし、「では、あなた自身はどうしますか」という問いには、多くの人が、「今の仕事を続ける」、「別の仕事をする」と答えました。つまり、この心配は他人への猜疑心にすぎず、「他人は遊ぶだろうが、自分は働き続ける」のです。

 わたしは、人間は意義を感じられない生活には耐えられない、と思っています。BIを得て遊んで暮らしたとしても、せいぜい数年が限度でしょう。なにか自分なりに意義あることをやり始めまるはずです。

 BIの危険性を敢えて言えば、新自由主義者に悪用されることです。冒頭でふれた竹中平蔵氏の意図もこれではないかと危惧しています。つまり、名ばかりの低額のBIでセーフティネットは確保されたと強弁して、最低賃金や社会保障を廃止しようと考えているのかもしれません。
 本当のBIは、繰り返して申し上げれば、意に沿わない賃労働を辞めることを可能にする額でなければなりません。逆に言えば、人の嫌がる仕事の賃金は、BIによって正当に上昇するでしょう。

 結論的に言うと、BIは、人をしがらみから解放し、生きたい生き方を可能にしてくれるのです。贅沢を諦めれば、自分のやりたいことに時間をつぎ込むことができます。勿論、金もうけがしたければ、存分にそれに打ち込むこともOKです。また、農山村で農業などをして暮らしたいという若者が少なからずいますが、彼らの背中を押すことにもなるでしょう。地方の人口減に歯止めがかかり、農村社会に活力が戻ると思います。

 BIは、人生観や社会に劇的な変化をもたらすでしょう。大変革過ぎて何か副作用もあるかもしれず、慎重な研究が必要ですが、外国では実証実験なども行われており、わたしは大きな期待を感じています。

 またご意見お聞かせください。

そが逸郎

BIについては、以下の記事もご覧ください。
 https://itsuro-soga.com/2020/09/04/
 http://mujou-muga-engi.com/b-income/

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コロナ対策 こうあるべき 2021,1,12

 一昨日、立憲民主党長野5区関係の役員会で、「立憲民主党の新型コロナに対する主張が見えない」との批判があり、共感の声が上がった。

 当然のことながら、主張している。
 医療の最前線への支援、医療体制の拡充、飲食店などの事業者への支援、国民一般への生活支援をはじめ、教育関係など多岐にわたっている。
 詳細は、ホームページ(https://cdp-japan.jp/)のトップページの真ん中に、大きく掲載されている。
 国会でも提案、要求しており、HPには達成度の記載もあるが、マスコミにはなかなか取り上げられない。「HPを見てほしい」とお願いしても、立憲民主党関係役員はともかく、国民一般の方々には届かないだろう。地道な努力を重ねるしかない。

 立憲民主党の取り組みはHPを見て頂くとして、わたしの考えを申し上げよう。
◆ まず、コロナの抑え込みに全力で集中する。経済という二兎目は一旦忘れねばならない。
◆ 医師、看護師、公衆衛生の専門家から率直な意見を広く聞いて、熟議で対策を練る。
◆ 最悪のシナリオを想定し、それに備えた科学的具体的な準備を整える。
 例えば、コロナ専用検査施設、入院施設を日本各地に多数準備する。仮設の建物でもいい。最近は優秀なエアーテントもある。今の経済情勢で空いた施設や使われていない駐車場も、たくさんある。
 電話ボックス型の処置室や患者さん用個室陰圧テントを大量生産し、上記施設に設置し、隔離を徹底して処置のできる体制を作る。
 少ない医療者でも負担なく大量の検査と処置ができる機器でシステムを構築する。
◆ 支援については、国家財政を理由にして出し惜しみするようなことがあってはならない。
 飲食店などの事業者には、罰則規定ではなく、「これだけの支援があるなら、休んだ方が得だな」と思ってもらえる支援をする。迅速な対応のため、前年利益による自己申告をもとに支給する。コロナ収束後の確定申告で差額調整すればよい。
 国民一般にも、生活支援を単発ではなくコロナ収束まで定期的に給付する。その約束があれば、国民は安心できる。

 「多額の累積赤字がある中で、そんな大盤振る舞いはできない」という反論があるだろう。
 しかし、この緊急の状況で、国民生活を支えるために必要な支出を出し惜しみすることは許されない。平時に無駄遣いをしてきた結果が、今の財政赤字なのだから、それを理由に国民への支援を絞るのは筋が通らない。
 また、これは、立憲民主党の中でまだ広く共有されてはいない考えだが、「歳入で歳出を縛ろうとするこれまでの財政規律の考え方は、間違いだ」とする学説が認知されつつある。過度なインフレにならない限り、必要な歳出は、歳入を超過してもやるべきだという考え(現代貨幣理論MMT)だ(詳細は、立憲民主党長野5区HP https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ に)。
 この緊急状況においては、MMT理論や金利のつかない公共貨幣(政府通貨)の活用も考え、十分な支援と対応をするべきだとわたしは思う。
 

2021,1,12 #そが逸郎立憲民主党長野県第5区総支部長  

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新年の思い

 明けましておめでとうございます。
 新型コロナや経済的理由などで、つらい状況に苦しんでおられる方々にとって、明るい展望が実感できる年となる事を、心より祈念いたします。

 今年は、衆議院改選があります。わたしも、明るい展望の一助となれるよう、努力を積み重ねてまいります。ご意見ご批判を頂ければ幸甚です。

 さて、新年の思いとして、「全国首長九条の会ニュース」に送った原稿を掲載します。「全国首長九条の会」は、「憲法九条を堅持すべき」と考える市町村長(現職・元職)の組織です。東北地方の市町村長を母体に、全国組織に拡大しました。わたしは、設立当初からのメンバーです。

  * * 憲法前文の「崇高な理想」で世界をリードする日本に * *

 アメリカファーストを標榜したトランプ大統領は、世界への責任を放棄したまま去ることになった。中国も、自由や自治を本土に拡散させないため、香港への圧力を強めている。二大国が理念に背を向け、利己的な本性を露わにしているのだ。

 一方、話題の『人新世の「資本論」』は、議会制民主主義ではなく、市民の直接参加型の抗議運動を高く評価している。現に日本の外ではそういった活動が活発だ。
 すなわち、国家の存在意義が低下しているのである。
 「メッキが剥げただけで、国家とはもともとそんなもの」、そういう冷めた見方も可能だろう。しかし、現状においては、国家が法律や条約を適切に制定し運用しなければ、温暖化防止であれ、核兵器廃絶であれ、実効性のある対策にはならない。地球全体の未来を考えて行動する国家が現れないと、世界はますます混迷に陥る。
 そこで思い至るのは、日本国憲法前文だ。日本国民が、国家の名誉にかけ、全力をあげて達成すると誓った「崇高な理想と目的」とはなんだったか。
 「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という法則に従い、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」し、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」。そんな世界を実現するために真摯に努力する。日本国民は、そういう国家に日本を変えねばならないのだ。
 主権者としての新年の思いである。

* * *

ご意見・ご批判をお聞かせください。
  2021、元旦   立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎 

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動画/飯田での街宣 2020,12,21

 動画をYouTubeに掲出しました。ご覧になってください。

 https://youtu.be/BkU8FP1BQc8

 杉尾秀哉参議院議員と二人でしたが、データ容量の関係で、わたしの部分だけ紹介します。申し訳ありません。

 先進国の中で、日本だけ実質賃金が下がり続け、庶民が自分や家族のために使える可処分所得は減少しています。特に若い人たちの多くは、自分一人生きていくのが精いっぱい、結婚して子供を育てることなど夢物語の状況に置かれています。地方、特に中山間地の集落では、高齢化が進み、集落の維持が困難になっています。

 しかし、これは、けして時代の必然の流れではありません。

 政治が、都会の大企業の目先の都合ばかりを優先し、地方や農林業を犠牲にし、若者を非正規雇用などで使い捨てにしていることが原因です。
 国民負担を庶民にばかり押し付けて大企業やお金持ちを優遇する政治を終わらせて、みんなの暮らしにきちんと目を向けるまっとうな政治に変えれば、地方を含めて日本全体を元気にすることができます。

 自分たちの利権のために政治を操っている連中から政治を取り戻すためには、みんなで選挙に行けばよいのです。そうすれば、みんなのための政治が実現できます。

 ご意見ご批判をお聞かせください。

2020,12,24   そが逸郎

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『ママがイキイキと輝くために~』 新作パンフを紹介します。

 幸せな結婚生活を夢見ていたのに、日々の暮らしの大変さに追われているママたちに読んでもらいたい。
 ご意見お聞かせください。

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国家とグローバル民主主義

2020,12,14  そが逸郎

 国家とグローバル民主主義について考えています。

 国家と政党と主権者のあるべき関係。また、グローバル資本やグローバル民主主義と国家の関係。あるいは、国家をどのようにして克服、あるいは変革すべきか。

 もともと問題意識はありましたが、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平・集英社新書)を読んで、あらためて気になりました。

 『人新世の「資本論」』については、既に紹介していますが( https://itsuro-soga.com/2020/11/10/ )、再度かいつまめば、晩年のマルクスの、コモンに根差した「脱成長のコミュニズム」こそが資本主義が今直面している困難を克服する道だと主張しています。
 そして、その実践については、コモンを共同で自治管理し、連帯して資本に対抗する市民の参加型民主主義の取り組みに期待が寄せられています。

 しかし、その一方で、国家に対する期待は、ほとんど感じられません。「気候変動の対処には、国家の力を使うことが欠かせない」とは書いています。改めて精読する必要がありますが、多分国家への肯定的評価はこの一文だけだったと思います。

 確かに国家というシステムの弊害は少なくありません。
 先進国と途上国の格差がいつまでも解消されないのは、前者が後者の資源や労働力を安く買いたたき、弱みにつけ込んで利用し、また必要不可欠なものを囲い込んで高く売りつけているからでしょう。専制的な支配者は、国家という形式をとることで、独占した暴力を合法的に思うままに使うことが可能になります。さらには、外国からの批判に対して「内政に干渉するな」と反論することも。また、資本に都合のいい法律・制度を定め(例えば、廃棄物処分の基準を緩くして外国の廃棄物を大量に受け入れ、ずさんな処分投棄をするなどして)私腹を肥やす例もあります。税率を極端に下げて、外国資本に合法的脱税の手段を提供することもできます。為政者は、地位を保つために、しばしば外国への憎悪を煽り、また現実に戦争を起こします。

 そもそも国家は、資本主義が発生して以来、自国の資本が富を蓄積することを助け促進するシステムであり続けてきたと思います。また、消費者に喜ばれる商品サービスを提供して対価を得るビジネスではなく、国家に税金から支出させて安直に儲けようとする「ビジネス」も近年目立ちます。
 そして、今や、資本はグローバル化し、資本関係や提携関係でネットワークを作り上げ、世界をすっぽりと覆っています。しかし、これまで資本に仕えてきた国家は、資本がグローバル化してもこれまでの思考・行動パターンを踏襲しています。水道などの公共サービスを民営化したり、日本政府が種子法を廃止し、種苗法を改悪して自家採種を難しくするのも、グローバル資本への便宜です。グローバル資本は、国家を使って水や種子といったコモンを自分たちしか提供できない希少なものにさせて、高く買わせようとします。国家は、グローバル資本の方に顔を向け、グローバル資本が国民から富を吸い上げることを手助けしていると考えざるを得ません。

 国家の顔を、資本ではなく国民の方に向けさせねばなりません。あるいは、国家ではない別のシステムがあり得るのかもしれません。しかし、だとしても、そうするためには、暴力革命を起こすのでもない限り、国家という制度の内側から変えるしかありません。国家を是正、克服するために、国家というシステムの力を使わねばならない。これが難題です。

 あるいは、『人新世の「資本論」』が危惧する温暖化、もしくは世界戦争などによって今の国家システムが破綻し、p118 などに示された「四つの未来の選択肢」の第4象限「野蛮状態」(統治権力が弱く不平等な状態)に陥って、その混乱の底からの再生として、よりよい仕組みが創造されることになるかもしれません。しかし、カオス状況が長く続いた後も専制体制になる可能性が高いだろうし、野蛮状態に陥らずによりよい状況に移行する方法を考えねばなりません。とすれば、我々は、国家というシステムがあるうちに、国家システムの中から新たなシステム(国家システムの改善であれ、国家に替わるシステムであれ)を生み出す必要があります。

 しかし、この点に関しては、『人新世の「資本論」』は、残念ながらほとんど参考になりません。コモンに立脚する参加型民主主義が、いかにして国家を変革、または超克するか。その道筋についての議論は不十分です。

 『人新世の「資本論」』は、選挙によって改革を実現しようとしても、議会政治は資本の力に直面すればそれを突破できない、と述べています。そのうえで、既存の議会とは別の、市民が自主的に立ち上げる市民議会に期待しています(p213~)。
 しかし、異議申し立ての直接抗議運動だけでは、限界があるのではないでしょうか。それは、国家の外側での運動であり、国家の力を使っていないからです。国家の外からの圧力に加えて、国家の内側から国家というシステムを使って国家に変革を起こそうという力が伴わなければ、変革はおそらく実現できません。将来においては、国家システムのない世界があり得るのかもしれませんが、その場合でも、一旦は国家というシステムを使った国家変革・国家解体というステップを踏むことになると思います。(暴力革命や温暖化等の影響で国家システムが崩壊するのでなければ。)

 国家変革のための国家システムとして考えられるのは、議会でしょう。そして、議会において国家の進路を定める上で、政党の役割は重要です。

 先に『人新世の「資本論」』について考えた際( https://itsuro-soga.com/2020/11/10/ )には、政党を、主権者に育てられ調教されて、主権者のために国会でバトルするポケモンとして位置付けました。主権者の意向をうけたポケモンたちの議会でのバトルによって必要な変革を実現することが、あるべき姿だと考えます。しかし、現実には、政党ポケモンは主権者の手を離れ、勝手にバトルをし、大方の主権者も政党を自分たちのポケモンとは思っていないのが実情です。(利権のために政党を使おうとする一部の「主権者」は、多額の政治献金をし、組織を上げて特定のポケモン政党を飼いならし、思いどおりに成果を上げていますが。)

 もやもやした思いを持ちながら、ジョシュア・ウォンの『言論の不自由: 香港、そしてグローバル民主主義にいま何が起こっているのか』(河出書房新社)を読みました。香港の一国二制度を守ろうとする運動の中心にいる若者によるドキュメントです。
 返還前の香港にしばらく暮らしたものとして香港の現状は気になります。すでに思うところを述べた一文( https://itsuro-soga.com/2019/08/29/hello-world/ )を書いていますが、それへのご批判も頂いたので、彼の本は読まねばならないと思いました。

 香港の自治を維持しようとする民主派は、街頭デモや広場などの占拠といった非暴力不服従の抵抗運動だけでなく、仲間を議会に議員として送り込むことにも多大のエネルギーを注ぎました。大規模デモで逃亡犯条例改定を撤回させるという大きな成果もあげましたが、せっかく当選させた議員の資格をはく奪され、さらに今月に入ってジョシュアたちは禁固刑を宣告されました。香港を本土並みの統制下に置きたい北京政府からの圧力は頑強です。香港の自由が本土に拡散することを恐れているのでしょう。香港への厳しい対応は、北京政府の弱さと度量のなさの表れです。
 ジョシュアたちの頼れる寄る辺は、外国(特に米国)からの共感・支援です。彼ら民主派の若者の思いは、確かに一途で純粋です。ただ、同書「第3幕」で、中国の戦略を警戒する一方で、米国を単純に美化する見方は一面的だと言わざるを得ません。
 米国は、第二次世界大戦後も世界各地で戦争や軍事行動を繰り返していますし、アブグレイブやグアンタナモを取り上げずとも、例えば、日米地位協定において、日本の法律も憲法さえも蹂躙していることは明らかです。そんな米国を民主主義の守護神であるかのように考えるのは、ナイーヴすぎると思います。
 勿論米国にも、市民の自由や権利が世界中で尊重されねばならないという純粋な思いから活動している人やグループはいます。しかし、米国政府はそうではありません。一連の「カラー革命」の後ろには、米国のCIAなどの、状況を流動化させたい思惑があったという見方は消せません。

 ただ、これは米国だけのことではありません。中国も同様のことをしているでしょうし、ロシアも同じです。自国の利害のために様々な思惑でプロパガンダや地下工作をしています。大国だけではなく中小の国も、程度の差はあれやっていることでしょう。

 民主的自治を手放すことはできないという香港の若者の思いを、米国は、中国を揺さぶる材料として利用したいと考えているのは間違いないと思います。そもそも、一国二制度そのものが、香港を取り戻したい中国と、中国に政府に抵抗する「民主化」の種を植え付けたい英国はじめ西側の、同床異夢の思惑が練りこまれた妥協点だったのかもしれません。
 ジョシュアのような自由や自治を求める純粋な思いは、大国間のつばぜり合いの真ん中に挟まれています。ジョシュアが純粋でも、そのまわりに大国の思惑が渦を巻いている。では、我々はどうするべきか。

 そんなことを悩んでいる中で、国家の役割について、一つの可能性を思いつきました。 資本主義の行き詰まりを克服するために『人新世の「資本論」』が期待する「市民の参加型民主主義」や、香港のジョシュアたちのような自由と権利を確保しようとする闘い、その他多くの非暴力不服従の抵抗運動を、自国の利害のために利用するのではなく、理念として、自国の利害とはかかわりなく支援する国があるべきではないか。
 そういう国に日本がなれたら、すばらしいことです。良心的抵抗者の寄る辺になるべきだと思います。

 たやすいことではありません。自由や権利や自治、民主主義の寄る辺になるということは、自国においてまず、それらを厳格に尊重せねばなりません。そして、これらに関して地球のどこであれ問題があれば臆せず堂々と指弾する。そのためには、これらの問題だけでなく、地球温暖化対策、原発・核兵器の廃絶、プラスチックなどの廃棄物処理、貧困や格差の撲滅、途上国の人たちを搾取せず迷惑を押し付けない公正な貿易などについても、揚げ足をとられないように自らを律する必要があります。そして、国内だけではなく、地球全体で、温暖化対策をはじめとして環境が守られ、途上国の人たちが搾取されず健康で文化的な生活が送れるように、真摯な取り組みを重ねるのです。

 言い換えれば、軍事力や経済力でまさる大国に対して、理念の力で対抗できる国になるということです。
 要は、日本国憲法前文で、日本国民が国家の名誉にかけ全力をあげて達成すると誓った「崇高な理想と目的」、すなわち「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において名誉ある地位を占」め(=その取り組みの先頭に立ち)、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」世界の実現のために努力するのです。
 いかなる国であれ、資本であれ、この理想に敵対するものは、臆することなく批判せねばなりません。軍事力による恫喝や経済的制裁による強制は、相手国民を人質にする恥ずべき行いとして自らに禁じ、理念において間違いを批判する。

 空想的理想論だと笑われるでしょうか。国際的な政治・経済の競争の中で、どの国も生き残りをかけて必死に闘っているのに、その厳しさを知らない空理空論であると。
 しかし、その競争は、結局のところ資本間の支配力拡大競争であり、資本に癒着した利権の生存競争ではないでしょうか。その結果、温暖化をはじめとして、地球の環境は破壊され、「途上国」の人たちのみならず、「先進国」の市民も巻き添えにされ、さらにはすべての生物の生態系までが破壊されようとしています。

 この状況に異議を唱える市民の声に応えて立ち上がる国家が必要です。

 軍事的・経済的大国や巨大資本に対してそんなことができるのか、という意見があるかもしれません。しかし、あらかじめ自ら考える理念を強固に鍛え上げ、世界に堂々と明示し、それにふさわしいふるまいを続けることで、それは可能になります。世界市民の共感と敬愛を集め、国際世論を味方にするのです。そうなれば、大国も、露骨な軍事的・経済的圧力はかけにくくなります。国際世論の批判を無視することはできないでしょう。なにか仕掛けてくるとすれば、暗殺・冤罪のような非合法な裏工作もあり得ますが、まずはプロパガンダで日本国内に反対世論を惹起しようとするでしょう。残念ながらそれに操られる人もでてくるでしょう。いつの時代も理想よりも自分の目先の利得を優先する「現実」派はいます。そちらの方が多いかもしれません。人は誰もが、凡夫であり、目先の損得に過敏に反応します。となるとここでも、事態を決するカギを握っているのは、国民=主権者ということになります。

 話は、振出しに戻りました。
 経済的利益だけを目指して激しい競争を繰り広げる資本主義が突き当たっている問題を克服するために国家を変革するにも、変革した国家を維持し国家の力を正しく地球環境や人権のために発揮させ続けるにも、主権者=国民が揺るぎないスタンスを堅持することが重要だいうことになります。プロパガンダで目先の損得や不安を煽られず、冷静に判断できる能力が必要です。

 ポケモンである政党が、飼い主である主権者・国民にそれを要求するのは僭越です。しかし、政党とて主権者・国民の一員です。そう捉えれば、政党も、みずから主権者・国民の一員として人権や環境のために働くべきだし、他の主権者・国民と呼応して、世界中の人権・環境のために闘えと飼い主たる主権者に命じられて頑張るなら、本望であるはずです。(政治家もまた凡夫。票をもらうために腰砕けになる可能性もありますが、政党の内部でそうならない努力をすることが必要だし、そうさせない主権者の強い声も必要です。)

 わたしも、日本を世界中の人々のために全地球的な規模で人権や環境を守る先兵とするために、働きたいと思います。
 
 ご意見ご批判をお聞かせいただければ嬉しいです。
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政党に出番は? 『人新世の「資本論」』

2020,11,10

『人新世の「資本論」』(斉藤幸平著・集英社新書)を読みました。
 斬新な視点からの大変刺激的な本です。
 しかし、国家に対する評価は、概して否定的であり、特に後半では、政党に役割はないのか、という問題意識が沸きました。破滅に向かう人類史を転換する上で、市民運動や自治体の取り組みが期待されているのに比べて、国家や政党への言及は多くありません。特に政党についてはまったく触れられていなかったと思います。
 こんな印象を持ったのは、政党の一員になって以来、多くの主権者の政党というものに対する否定的な態度を思い知らされているからでしょう。

 この本の要点はこうです。
 人類の活動が地球環境に甚大な影響をもたらしている。
 地質時代として、「人新世」に突入したと認識すべきだ。
 マルクスが晩年にたどり着いたコミュニズムは、脱成長のコミュニズムであり、これこそが「人新世」の危機を救う。
 このように主張しています。

 わたしなりに要約してみます。

 資本は、みずからの価値を高め、増殖していこうとする。そのために、できるだけ多く生産し、消費させようとする。また、ブランド化や囲い込み(一部の人以外の排除)によって、希少性を捏造し、商品価格を吊り上げる。そのようにして利益を増大させようとする欲望が資本主義の原動力だ。資本主義と経済成長は、一体である。
 資本主義は、経済成長のために歪みを生み出さざるを得ない。しかし、それを外部(植民地や途上国)に押し付けることで、「先進国」から見えなくしてきた。資本主義が生み出す歪みとは、資源の乱獲、大量の廃棄物生成、低賃金労働、劣悪な労働環境などである。しかし、肥大してグローバル化した資本主義は、歪みを押し付けるべき外部をもはや失って、限界に到達している。(例えば、非正規雇用の増大などの格差は、これまで外部でおこなってきた労働搾取を、先進国内部でやるほかなくなった結果だと思います。)
 あまたある歪みのなかでも、気候変動は、外部に転嫁できない課題であり、これまで資本主義のうまみだけを堪能してきた先進国も逃れることはできない。行き詰まった資本主義は、地球環境と人類文明を破綻させようとしている。

 さまざまな対策が提起されているが、どれも気休めのアリバイ作りにすぎず、本気ではない。たとえば、国連が提唱するSDGsは、危機に対処している気にさせてくれるだけで、罪の意識をしばらく忘れるためのアヘンにすぎない。なぜなら、SDGsをはじめとしてさまざまな取り組みが提唱されているが、それらはどれも、経済成長を前提としているが故に、資本主義の枠の中にあり、それが生み出す歪みを超克できない。

 これまでマルクスの思想とされてきた伝統的コミュニズムも、経済成長を目指す枠組みの中にあった。マルクスのコミュニズムも、当初は、生産第一主義、進歩史観・ヨーロッパ中心主義の考えだった。しかし、資本論第一巻を書いた後、マルクスは、それらを脱却し、脱成長のコミュニズムに到達した。その転回をもたらしたのは、ロシアの農民共同体ミールやゲルマン民族のマルク共同体などを知ったためである。このことは、これまで注目されていなかったが、残された手紙やノートを精読すれば、見えてくる。しかし、この晩年の着想はあまりに画期的、根本的な転換であり、マルクス自身、著作にはできなかった。盟友エンゲルスも理解できず、エンゲルスが編集した資本論第二・第三巻は、経済成長主義の中にとどまっている。その結果、これまでのコミュニズム解釈は、資本家に替わって官僚が成長を目指す国家資本主義とでも呼ぶべきものに留まるしかなく、破綻した。今までコミュニズムと呼ばれてきたものは、いうなれば資本主義の一変種にすぎなかったのだ。

 それに対して、マルクスが晩年に到達した脱成長のコミュニズムは、資本主義を根底から覆すものである。
 資本主義の歴史では、人々が共同管理してきた共有財(コモンズ、例えば入会地)を、産業革命以来、資本が一貫して囲い込み、そこから人々を排除してきた。共同管理のもと誰もが無償で潤沢に利用していたものを、資本は囲い込み、独占して利潤追求に利用してきた。必要を超えて生産しつつ、広告やブランド化などによって人工的に希少化して高価格をつけて販売し消費させてきた。それによって数字の上の経済成長が生まれるが、それとともに、格差や貧困、環境破壊も生み出す。
 今や地球環境は、ポイント・オブ・ノーリターンに差し掛かっている。マルクスが最後に到達した、脱成長のコミュニズムこそが脱出口になる。コモンズを資本から奪還し、資本がでっちあげた希少性に踊らされず、もともとあった潤沢さをみんなで共有する。商品価値ではなく使用価値のために働くようになれば、ブルシット・ジョブ(無用なクソ仕事)はなくなり、労働時間は短縮される。これによって、利益のために生産と消費を拡大することはなくなり、環境に負荷を与えず、平等で、真に潤沢な社会が実現される。

 そして、そのためのさまざまな実践が紹介されています。
 たとえば、わたしも理事の末席にいる協同総研が法制化に取り組んできた、協同労働の協同組合(ワーカーズ・コープ)が取り上げられていて、うれしく思いました。(資本主義社会の企業が、株主などによる所有と、経営と労働の三つに分離されているのに対して、ワーカーズ・コープは、所有も経営も労働もすべて労働者の組合が行うというあり方です。)
 黄色いベスト運動やサバティスタ、国際農民組織ヴィア・カンペシーナのような市民の抵抗活動、またバルセロナなどの自治体の取り組みを、脱成長のコミュニズム実現に向けた模索として、著者は高く評価しています。

 しかし、このような取り組みだけで、気候変動の危機に対処することはできるのでしょうか。本の前半で危機の切迫度が強調されているだけに、そう感じざるを得ません。スピードが足りないだろうと思います。利益拡大を目指す世界中の株式会社を、一挙にワーカーズ・コープに置き換えることはできないでしょう。
 人新世を改める大きな方向として脱成長の考えは正しいと思います。しかし、それと同時に、著者が評価していない技術革新や他の「経済成長の枠内の」対策なども積み上げねばならないと思います。

 さて、では、冒頭に書いた問題意識です。
 この本の全体的なトーンは、国家に対しては否定的です。
 確かに、国家は、資本を支え、資本と手を携えて成長を競い合ってきたと言えるでしょう。国家は、資本が利益を追求するための環境を整え資本主義を支えるシステムの一部分である、と捉えることも可能です。最近では、国家は、グローバル資本によって、国民から利益を吸い上げるための集金装置として使われていると思うこともあります。そして、そのことに国家は抵抗していないようにも感じます。

 しかしそれでもなお、国家を使わねば、必要な変革は実現できないのではないでしょうか。
 国家は、暴力を独占し、徴税し法規制を強制する力を持っています。国家を置き去りにしたままでは、迅速に秩序をもって必要な変革を実現することはできないでしょう。「3.5%の人々が立ち上がれば、世の中は大きく変わる」と著者は言っていますが、気候変動に関しては、国家の姿勢を変えることで、世の中を変えるしかないのではないでしょうか。著者自身、「気候変動の対処には、国家の力を使うことが欠かせない」と書いています。そのためには、民主主義の刷新がかつてないほど重要だとも言っています(p355)。つまり、人々の力で民主主義を刷新し、それによって国家を変え、国家の力を使って危機に対処せねばならないと考えます。

 国家の考え方、方針を変えねばなりません。国の方針を変更し、それを広く普及させるには、法制度を変更せねばなりません。それは、国会議員(lawmaker)の役割です。となれば、多数の国会議員を擁して法案を成立させようとする政党は、やはり重要です。
 ただしそれは、これまでとおなじように重要だということではありません。刷新された民主主義のもとでの新たな役割を果たすことが重要になります。すなわち、政党の様態も刷新されねばなりません。3.5%の人たちが先頭に立ち、人々が大きなうねりを作り上げる。政党は、そのうねりに応えてそのうねりとともに国家を変えるために働くのです。

 これまで政党は、「自分たちの手で国を変える」などと高揚しながら、現実には、政権保持(奪取)、議席確保(獲得)のために、権謀術数に走り、数合わせの談合を繰り返し、選挙の時だけ主権者におもねてきました。それによって、政党に愛想をつかしている主権者も多くいます。そういうあり方ではなく、主権者に使われる政党にならねばなりません。わたしが以前からいっている、ポケモンとしての政党、飼い主である主権者に育てられ、調教され、主権者に命じられ主権者のために闘う政党というあり方です。

 しかしながら、そういう状況を、政党の側からどうやってつくっていくべきか、わたし自身まだよく分かっていません。人々のうねりを待ってそれを受け入れ、対応するだけでいいのか。あるいは、こちらからもっとアジテーションすべきなのでしょうか。
 主権者に使われる政党といっても、主権者からの評判を気にして、そのつど言説を変えるのではないでしょう。それはこれまでのやり方ですし、主権者を敬っているように見せながら、実は見下しています。そうではなくて、主権者ときっちりと議論することが、すくなくとも必要ではないかと感じます。

 結論のない尻切れトンボになりました。
 残念ながら、現時点で書けるのはここまでです。
 ご意見お聞かせいただいて、主権者と政党のあるべき関係について、さらに考えたいと思います。

そが逸郎 立憲民主党長野5区総支部長

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市民と野党の共闘@飯田市エスバード

昨日の集会の様子、わたしの部分だけで申し訳ないですが、動画で報告します。

230人の方々が来てくださり、大変盛り上がりました。主催の伊那谷市民連合はじめ、皆様に感謝いたします。

「自民党は、どぜいとる!」
なんとかせねば、という思いがますます高まっています。

https://www.youtube.com/watch?v=gUbsW-72d0w&t=180s

2020,9,28

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リニア新幹線について

 一昨日(2020、9、13)、飯田市龍江で行われた「リニア発生土置き場候補地、現地見学会」に参加しました。

 清水沢川を工業団地の脇から下流にかけて埋めるという計画で、長さ約600m、巾105m、高さ35m、搬入量は、約40万立米だそうです。

 『龍江の盛土を考える会』では、大規模な土砂流出が発生することを危惧していました。気候変動によって豪雨災害の頻度が上がっている中、下流域にはいくつもの集落があり、万一の場合には、甚大な被害が心配されます。地形の特徴から、地震などの際には、表層ではなく、底面から崩落する危険性もあるようです。
 地元へのメリットは、工業団地につながる道のカーブが一か所改良できること以外には見当たらず、盛土によってできる平坦地の利用計画もないのに、なぜ前のめりになるのか理解できない、と「考える会」では首をかしげています。

 中川村長の立場でJR東海と交渉したわたしとしては、工事終了後の維持管理を誰がするのかが明確になっていないようであることも気にかかりました。
 盛土の下流部は、安定勾配1対1.8~2.0の傾斜にして、崩壊を防ぐための大規模な構造物は造らないとのこと。そうであれば、小規模な土砂流出などが日常的に発生するであろうし、大規模な崩壊を防ぐにはこまめな維持管理がますます重要になります。それを誰がするのか。
 中川村長時代に聞いたJR東海の回答は、「安全性を納得してもらった上で、引き渡す」というものでした。つまり、「引き渡し後の責任は、引き受けた自治体にもってもらう」という意味です。
 JR東海の考え方が変わっておらず、また地元メリットが大きくないのであれば、飯田市は慎重に考えた方がよいと思います。

計画されている盛土の末端からすこし下流の場所。コンクリートの柱は三遠南信自動車道の橋脚。

 
しばしば質問を受けるので、リニア新幹線についての考えも書いておきます。

 大都市を点と点で超高速で結ぶというビジネスモデルは、もはや古臭いものになりつつあると思います。例えるなら、大艦巨砲主義の象徴、航空機に沈められた戦艦大和のように。完成の見込みは予定よりずれ込むようですが、その時にはどのように受け止めらることになるのでしょうか。

 また、昨日の見学会にも来ておられた地質学の松島信幸先生がいつも仰っておられるように、山に大きな穴をあければ、甚大な結果をもたらしかねません。動植物や地域住民の暮らしへの影響も心配です。
 中川村長の当時、工事の進め方について、住民の生活環境を損なわないようJR東海に繰り返し求めましたが、いつも杓子定規かつ事務的な回答で、住民の暮らしへの影響に気を配ろうという姿勢は感じられませんでした。沿線各地で住民が我慢を強いられることになりはしないかと危惧します。

 加えて、これはJR東海にとってはよけいなお世話かもしれませんが、リニア新幹線の採算性も心配です。もともといぶかる声がありましたが、今、新型コロナの影響で、新幹線の利用は減っています。ITを使ってリモートで仕事をすることが新しいスタイルとして定着していく中、今後の事業見通しを再検証する必要があるのではないかと思います。
 JR東海が単独で独自事業としてやるのならいざ知らず、安倍政権は、大阪への延長にむけて、巨額の国費も投入するとしました。甘い見通しによってJR東海の経営が行き詰って、投じた税金が無駄になる事がないように、きちんと検証しておくべきでしょう。
 リニア新幹線の成否のみならず、例えば飯田線のような今ある路線までが、経営不振を理由にして、駅の無人化にとどまらず廃線ということにでもなれば、地域住民は生活の足を奪われてしまいます。そんな事態を招いてはなりません。

 リニア新幹線が地域にもたらすかもしれない未来を夢見る前に、採算性を再検証する必要があります。住民の暮らしや自然環境に悪影響をもたらさないように、JR東海には、法制度さえ守ればよいという姿勢ではない良心を持ってもらわねばなりません。自治体も過度に心踊らさせず、長期にわたって住民に不利益がもたらされることのないよう、目配り気配りをしてもらわねばならないと考えます。

 中川村長時代は、外部資本に過剰に依存せず、村の可能性を活かした内発的発展(特に住民の個性が発揮されること)をめざそうと考えていました。風土を大切にし、住民がのびのび活躍するかたちで、地域の持続可能性を育むべきだと考えます。
 国の政策は、地域のそういう取り組みをバックアップするものにせねばなりません。

2020,9,14    #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長


ご批判お聞かせください。

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ベーシック・インカム

 ベーシック・インカム(BI)が最近話題になりかけています。新型コロナウイルスが暮らしにもたらす脅威にどう対処すべきか。それを模索する中で注目されているのでしょう。ミニ集会でもなんどか質問を受けました。

 BI については、もう12年も前から注目し、何度も発言しているのですが、ここには BI をタイトルにした文章を掲出していないことに気づきました。
 先日、メールマガジン『そが逸郎通信』で BI を紹介したので、ここに転記します。

 ベーシック・インカム(BI)というのは、すべての個人に、生存に必要な基本的な所得を、一切の条件を付けず、定期的に給付する、という考えです。

 無条件ですから、働けない人や仕事を探している人だけではなく、ばりばり稼いでいる人にも、働く気のない人にも給付します。

 そんなことをすれば誰も働かなくなるのでしょうか?

 真の BI は、意に沿わないあり方・人間関係からの離脱を可能にし、生きたい生き方を可能にします。忖度無用の生き方ができるようになるのです。
 現行の福祉制度が抱える矛盾も解決します。人の嫌がる仕事の対価を上げることにもなるでしょう。
 労働観のみならず、「どう生きるか」といった人生観・価値観にも大きく影響するに違いありません。
 貧困問題のみならず、少子化や東京一極集中の解消、地方の持続可能化など、多くの課題の特効薬になるだろうと思います。

 一方、抜本的すぎるかもしれない変革であり、副作用のある劇薬であるかもしれません。
 名目だけの少額の BI で「生存は保障された」として、セーフティネットを削減しようとする新自由主義者が現れそうです。

 BI は、これまで財源問題が課題でしたが、最近のMMT(現代貨幣理論)や公共貨幣といった新しい主張と組み合わせれば、解決できるかもしれません。
 (MMT、公共貨幣については、https://bit.ly/32dnklnを参照ください。)

 中川村長時代に書いた文章が、BI を網羅的に的確に論じていると思うので、紹介します。ご意見・ご批判をお聞かせください。

   https://bit.ly/2Yu0TpM

 また、BIを解説する動画をつくってネットに上げることも計画しています。これに参加して、質問や問題点の指摘をしていただき、議論を深めてくださる方がおられれば嬉しいです。

  2020,9,4      #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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農村集落を持続可能に

 8月30日は、村の防災訓練と集落で実施する地区作業と風祭がありました。
 その日は、松本の市民連合主催による市民と野党の共闘の集いがあり、わたしは杉尾参議院議員の代理で立憲民主党代表として出席せねばならず、防災訓練の後の地区作業と風祭には参加できませんでした。

 今回の地区作業は道路沿いの草刈りで、隣組ごとに受け持ち区域が決まっています。わたしの組は9軒ですが、高齢化でビーバー(エンジン草刈り機)を扱える人は、6人しかいません。わたしが欠けるわけにはいかないので、事前に、6分の1+アルファの草刈りをしました。
 写真の道路左下は、息子のワインブドウの畑です。遠望は、伊那谷(下伊那郡北部)。

草刈り後の村道とブドウ畑

 中川村長時代、『日本で最も美しい村』連合に加盟したり、子育て支援、創業支援、住宅補助などの対策を講じて、転入人口が転出を上回った年もありましたが、少子化・人口減少の流れは逆転できませんでした。
 どの市町村も、厳しい財政の中で同様の工夫をしています。しかし、市町村でできることには、限界があります。

 国の考えが、都会の上場企業重視で、株価だけ吊り上げておけば経済は好調だと言い募れるという態度であるかぎり、地方の暮らしは悪くなる一途です。
 東京集中を是正し、今の、庶民に偏った国民負担のあり方をまっとうに正して、国民がもっと自分の将来のためにお金を使えるように可処分所得を増やし、地方でも希望をもってのびのびと暮らせるようにせねばなりません。
 そうしてこそ農村集落は未来に引き継がれていきますし、少子化も克服できると考えます。

2020,9,2 #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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敵基地攻撃論に頂いたご意見に 2020,8,17

 

 先日の小論「敵基地攻撃論は、へぼ将棋」https://bit.ly/3gZ4ljj にいくつかご意見を頂きました。

●兼宗真さんより
 長年の疑問があるのですが、個別自衛権の行使も憲法違反なのではないでしょうか? もしご意見を頂ければ幸いです。

●中川賢俊さんより
 この国の政治に危険極まりない軍事力を制御できる力があるかどうかの問題だと考えます。勿論、自公の与党や一部野党にはありません。では野党にはあるでしょうか。甚だ心もとないものがあります。自民党政権は『専守防衛』を掲げて、ここまで軍事力を増強し、同時に韓国や中国との緊張対立を煽ってきました。その政権に対峙する野党の中心も、同じく『専守防衛』を掲げています。これでは軍拡競争から抜け出すことなどできないと考えます。

●Masakiyo Sibuya さんより
 私は曽我さんのお考えに同意します。非現実論だとか、絵空事だとかいう意見もありますが、戦争からは何も生み出さない現実を認識し、平和を享受できる世界を作ることは、政治家の使命です実現に向け、ご努力をお願いします。もちろん、近いうちにある総選挙頑張っていただくとともに、少なくとも私は支持します。

* * *

 良い刺激を頂きました。ありがとうございます。

 兼宗さんのおっしゃるとおり、虚心に読めば、日本国憲法は個別的自衛権も否定していると、わたしも思います。9条は集団的自衛権は勿論、個別的自衛権も放棄しているとしか読めません。「9条にもかかわらず個別的自衛権は認められる」という憲法解釈は、国際法など日本国憲法以外の論拠を持ち込んでの屁理屈だと思います。

 しかし、日本国憲法が書かれた後、朝鮮半島情勢などを背景に、GHQの占領政策が「逆コース」と呼ばれる向きへ逆転され、警察予備隊などを経て自衛隊が創設され、冷戦の中、米軍を補完するためにどんどんと増強され、冷戦が終わったにもかかわらず、ついには集団的自衛権によって、血税で米国から贖った兵器もろとも自衛隊員を米軍に差し出すに至りました。

 理屈の上では、GHQの「逆コース」の要求を憲法をたてに拒絶し、戦力をもたないままでいることもあり得たかもしれません。砂川事件伊達判決に則って、日米安保条約を違憲とすることも、論理的には可能だったでしょう。
 しかし、現実には、警察予備隊が創設され、多くの旧軍関係者がそこにはせ参じました。戦争責任は、うやむやにされたわけです。

 戦争中、兵士らに「鬼畜米英」と叩きこみ、無意味な万歳突撃を強いて死なせておきながら、敗戦後のこの媚米ぶりは一体なんなのか。「英霊」に顔向けできるのでしょうか。
 昭和天皇も、かつて平家から源氏に乗り換えたように、天皇を護る征夷大将軍的役割を帝国陸海軍に替えて駐留米軍にやらせようとし、米国の思惑はともあれ、実際そのようになっていると感じます。(『昭和天皇・マッカーサー会見』豊下楢彦、岩波現代文庫を読んだわたしの感想です。「昭和天皇沖縄メッセージ」も同じ考えから発せられたのでしょう。)
 戦後日本の、愛国者と自称する人たちの媚米ぶりや、戦争責任に知らぬふりをしている背景には、こういう裏事情があると思います。

 このようなねじくれた歴史の果てに、安倍政権は集団的自衛権まで合憲ということにしてしまいました。さらには敵基地攻撃まで狙っています。しかし、仰るとおり、日本国憲法の本来の考えは、個別的自衛権さえ認めていないと考えます。

 ただしかし、だからといって、今すぐ個別的自衛権とすべての戦力を放棄すべきだとは考えません。急ぎすぎると揺れ戻しの逆効果を生みかねないと思うからです。

 中川さんがおっしゃる「専守防衛は軍拡を正当化する口実」も、そのとおりだと思います。いずれの軍事大国も、他国の脅威を口実にして、軍備増強を図ってきました。専守防衛という言葉は、軍拡の免罪符として使われてきたのです。
 ですが、そうであっても、「専守防衛」の軍事力も即刻放棄するというのは、拙速で危険だと思います。危険というのは、外国に攻め込まれる危険ではなく、主権者・国民が不安に耐えられず、軍事力増強を要求し始める危険です。

 わたしは、仏教の始祖・釈尊の考えを勉強してきました。
 「人は皆、凡夫であって、繰り返し執着の自動的反応となって、苦をつくってばかりいる。」
 釈尊はこのように考えました。「苦をつくってばかりの凡夫が寄り集まって、どのように世の中を運営すれば苦を少なくできるか」を模索するのが政治だと、わたしは考えています。

 当然、日本のみならず、どの国であれ、与党であれ野党であれ、すべての政治家は凡夫です。官僚もまた凡夫です。政治家も官僚も、凡夫としてメンツや権力欲、功名心、保身、金銭欲、等々から愚かな反応を繰り返します。世界は、「制御能力のない者が危険な道具をもっている」ということわざどおりの状態だと言えましょう。
 権力が暴走しないように立憲主義でタガをはめ、熟議の民主主義によって、批判しあい、間違いを正しあい、考えを深めあっていくことで、凡夫が軍事力を持つことの危険をいくらか低下させることができます。

 しかし、凡夫であるのは、政治家や官僚だけではありません。主権者・国民もまた、凡夫です。
 「あの国が攻めてくるのではないか」と思えば不安になるし、「あの連中は、人々を抑圧している。自然環境を破壊している」と思えば「許せない」と義憤にかられます。不安は自分を守りたい反応ですし、義憤は一面では善なる自分を高めたい衝動であり、ともに執着の現れです。

 不安や義憤を煽り、執着を利用して人々を巧妙に操る技術が、プロパガンダです。人々の執着は、付和雷同しやすく、同調してひとつの方向に走り出しかねません。プロパガンダは、そこにつけ込みます。その結果、しばしば甚大な苦を生み出すことになります。
 多数決だけの民主主義は、付和雷同の執着にお墨付きを与えることになるので、危険です。これを防ぎ、プロパガンダに対抗するには、少数意見であれ批判を尊重する熟議の民主主義が必要です。そのためには、情報公開と言論・批判の自由が大切です。

 話が少しそれました。
 元に戻すと、わたしが危惧するのは、拙速に個別的自衛権や専守防衛までも直ちに否定すると、主権者・国民(=凡夫)の不安を煽るプロパガンダにつけ入るチャンスを与えかねないことです。頭上を超えるミサイル(または飛翔体)をどこかの国に一発撃ってもらえば、国民世論を簡単に敵地攻撃論歓迎へと導くことができるでしょう。

 急いてはことを仕損じます。
 「疑心暗鬼に陥って互いに兵器を向け合うのは愚かである。国民の暮らしを支えることにこそ税金を使うべきだ。」
 こういう考えが、多少のプロパガンダなどでは揺るがないしっかりした常識として、自国民だけでなく、世界中の市民に常識として共有されるよう、努力していくべきだと考えます。
 それまでの間は、けして軍拡には踏み込まず、国民が不安に耐えられる適度の「防衛力」は残しながら、上記の努力によって緊張を低減し外国政府とも協調して軍事予算を削減し、すこしずつ日本国憲法前文が掲げる「崇高な理想と目的」の実現に近づいていくのが「現実」的だと考えます。

* * *

 ところで実は、反対のご意見も頂きました。メールをそのまま紹介することはできませんが、沖縄出身で交渉学や紛争解決学の研究をしておられる方からです。このような趣旨です。

● 平和が一番であるし、武力よりも、政治の力、そして対話の力が一番だが、戦後日本が本格的な紛争を免れてこられたのは、9条に加えて、在日米軍の存在のおかげでもある。正義の女神ユースティティアは左手に天秤、右手に刀を持つ。素手での交渉はあり得ない。力なき正義は無力である。

 わたしも、これが今までの常識だと思います。しかし、「現実」的な考えであり、申し訳ありませんが、「現実」に妥協して現実を悪化させる考えだと言わざるを得ません。
 正義と正義が力で対決し、そのはざまで女性や子供たちを含む多くの人々が巻き添えにされているという状況を停止すること。それが我々の課題です。

 確かに、軍事抑止論が大規模戦争をためらわせたという事実はあったでしょう。しかし、同時に、抑止のためと称する軍事力が、機器のトラブルや人的ミスによって世界戦争を勃発させかねない事態もありました。
 例えば、1983年ソ連の警戒網が米国からのミサイル攻撃を感知しましたが、担当将校がそれをエラーだろうと判断したために、全面核戦争を免れました。本来なら、相互確証破壊戦略に基づき、ただちに報復攻撃が行われ、米国もそれに反応して、『渚にて』の世界が現実になっていたはずです。つまり、軍事抑止論が世界を滅亡の寸前まで導いたが、服務規則に逆らった一個人の判断が世界を救ったのです。
 軍事抑止力は、抑止のために破壊力を十分に高めねばならず、その結果、世界を戦争の危険から守るよりも、世界を破滅させる危険をもたらす、と言わねばなりません。

 確かに、現在に至る歴史を振り返れば、軍事的防衛力は必要だったと認めます。しかし、交通やコミュニケーションの手段は発達し、地球は小さくなりました。人類は、文化の多様性を知り、相互理解も広がりつつあります。経済的な相互依存は、急速に深まっています。平和的にものごとを解決する可能性は、以前より高まっています。

 また同時に、人類は、大量生産・大量消費によって資源を枯渇させ、環境を破壊し、地球温暖化による気候変動を引き起こしています。今は、新型コロナウイルスに晒されています。環境変化に伴い、新たな感染症が発生する頻度も上がっていくでしょう。克服しなければならない喫緊の課題は、目白押しです。安全保障というような、本気になれば話し合いで解決できる問題に愚かな予算を費やすゆとりはありません。

 例えば奴隷制度を考えてみれば、それがない世界を夢想することは、かつては夢物語、お花畑だったことでしょう。しかし、今では、奴隷制度の復活を主張しても、誰も相手にしてくれません。
 奴隷制度と同様に、「平和のための戦力」という論理破綻も、歴史の教科書で習うだけのものにしなければなりません。ただし、あせらずじっくり時間をかけて丁寧に、世界に問いかけていくことが重要です。
 その任務に先頭で取り組むのが、日本でありたいと思います。

2020年8月17日 #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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敵基地攻撃論は、へぼ将棋(2020 ナガサキ原爆の日に)

◆ 平和主義はお花畑か?

 「お花畑」というのは、インターネット上で使われる言葉で、「現実をわきまえない夢物語」というような意味です。 ネトウヨ(インターネットを匿名で徘徊する反サヨク思想の持主)は、「平和主義はお花畑」と揶揄します。また、「東アジアの緊迫する安全保障環境の現実を直視すれば、国民を危険に晒しておくわけにはいかない」と、軍備の増強を主張する人たちもいます。突然大手を振って語られるようになった敵基地攻撃論は、そのひとつです。

 はたして、平和主義は、お花畑なのでしょうか? 反対に、軍事力増強論は、現実的なのでしょうか? 検証したいと思います。

◆ 敵基地攻撃論は、へぼ将棋

 へぼ将棋とは、自分の手作りばかりに夢中になって、相手がどうでるかを想像していない下手な将棋です。 こちらの行動は、必ず相手の反応を引き起こします。 敵基地を攻撃すれば、どういう反応があるのでしょうか。あるいは、敵基地攻撃能力を備えるだけで、または、口にするだけでもどういう変化をもたらすのでしょう。

 まず、攻撃を察知して、事前に相手の基地を攻撃すれば、それで戦争は終わるのでしょうか? 太平洋戦争の開戦にあたって、日本は米国の国力を認識していましたが、「緒戦に勝って戦意をくじき、和平に持ち込む」というお花畑な見通しを立てました。確かに緒戦には勝ったものの、案の定、生産力の差は歴然で、その後は敗退を繰り返し、アジアの人々を含む大勢を犠牲にして無条件降伏に至りました。一度始めた戦争は、簡単に終えることはできないのです。

 敵基地攻撃能力を口にするだけでも、相手は反応します。「こちらも備えねば」と考えるに違いありまりません。そうなれば、またその新たな「現実」に対処するのが「現実的」ということになってしまいます。きりのないシーソーゲーム。危険の度はみるみる高まります。愚かな安全保障のジレンマです。

 すでに北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のミサイルには、単純な弾道ではなく、軌道を変えながら飛行するものがあるそうです。今のミサイル防衛システムで撃ち落とすことはできません。となれば、これに対応する新装備を開発して配備し、その後も同じようなイタチゴッコを繰り返すのでしょうか。 飽和攻撃(防御能力を上回る攻撃を一挙にしかけること)をされないためには、どれだけの迎撃ミサイルが必要になるのでしょう。

 抑止力というような無益なことに国の富を費やすより、お互いに国民を幸せにすることに励んだ方がいいに決まっています。

 ソ連が経済的に軍拡競争についていくことができなくなったために、アメリカは冷戦に勝つことができました。軍事抑止力増強論を主張する人たちが想定している相手は、おそらく中国でしょう。では、日本は、中国と軍拡競争をしてついていくことができるのでしょうか? 際限のない軍拡競争に突き進む覚悟を決めた上で、敵基地攻撃能力を主張しているとは思えません。

 縁台将棋なら「待った!」も言えるでしょう。しかし、目先の「現実」に恐れおののいて反応するだけの、近視眼的なへぼい「現実主義」は、現実をさらに悪化させます。

◆ 軍備増強論者にみられる「リスクのつまみ食い」

 中川村長を務めていた時、自民党国会議員が野党側でない伊那谷の市町村議員を集めた会に呼ばれて、参加したことがあります。 安全保障に詳しいと紹介された国会議員が来賓として講演し、「日本は原発がたくさんあって危ない」と切り出しました。「自民党が原発の危険を説くとは!」と驚いていると、「だから、原発を守るミサイル防衛網が必要だ」という話の展開でした。リスクを利権につなげるしたたかさと牽強付会にあきれました。

 原発は、軍事的には自爆装置、自爆核爆弾に他なりません。狙われたら大変なことになるのは仰るとおりです。だからこそ、すみやかに原発依存をなくし、廃炉せねばなりません。しかし、自民党は、再稼働を進めています。

 ミサイル攻撃など持ち出さなくても、原発は、いつ起こってもおかしくない地震の危険を抱えています。なのに地震のリスクには頬かむり。 軍備増強論者は、ミサイルのリスクばかり喧伝しますが、ミサイルは単なる運搬手段にすぎません。核爆弾を持ち込もうと思えば、他の運搬手段はいくらでもあります。原発を狙う気であれば、核爆弾も必要ありません。小説『原発ホワイトアウト』の結末は、豪雪の日に山中の送電線を倒され、外部電力を奪われた原発が、冷却能力も失い暴走するのを手をこまねいてみているしかない、というシーンでした。

 自民党は、金になる都合のいいリスクは騒ぎ立てる一方で、都合の悪いリスクはほったらかしにしてタカをくくっています。国民のためには、あらゆるリスクを合理的かつ平等に評価して備えねばならないはずです。安全保障問題を利権のためのリスクに仕立ててつまみ食いすることは許されません。敵基地攻撃能力は、利権の新たなつまみ食いの材料にされかけています。

◆ 新たな紛争の形を理解しない「現実主義」者

 「仮想敵国がミサイルで攻撃してくる」というのは、戦争の古いイメージです。昨今では、「テロとの戦争」といわれるように、もはや誰と争っているのかもはっきりしない紛争がほとんどになりました。争いとなれば、どこで誰に何を仕掛けられるか予想はできません。とはいえ、それでもテロ組織の後ろにはどこかの国が関与している場合が大半でしょう。 つまり、どこかの国と緊張関係を高めれば、ミサイルといった旧来型の戦争だけではなく、事故かどうかも見分けられないテロにも備えねばならなくなります。 緊張をいたずらに高めず、いかなる組織も不穏なことを考えない状況をつくりだすにしくはありません。

◆ そもそも自称「現実論」者は、安全保障に真剣でない。

 敵基地攻撃能力が突然話題にされはじめたきっかけは、イージス・アショア導入のとん挫でした。 まず適地選定にグーグル・マップを使ったことが問題になりました。イージス・アショアは、レーダーによるミサイルの探知や迎撃ミサイル発射のため、一定以上の高さの山が近くにあってはなりません。その割り出しを、精密な地図や測量ではなく、インターネットのグーグル・マップで安直にやっていたことが露見し、作業のやり直しが余儀なくされたのです。 そして、最終的に導入が撤回されることになった理由は、迎撃ミサイルの一段目のブースター(推進装置)が、住宅地に落ちる可能性があること。地元に約束してきたとおり基地内に落ちるようにするためには、設計変更に膨大な予算と時間が必要になることが、今頃になって判明したのです。そんなことは、最初に確認しておくべきことではないでしょうか。

 計画が中止されたこと自体はよかったと思います。しかし、4500億円の予算を見込み、既に米国側と1800億円の契約がなされています。巨額の税金と多大な準備作業を費やして、「国民の命と財産を敵国の攻撃から守るため」と声高に叫ぶ割には、あまりにも杜撰な仕事ぶりです。口で言うほどには安全保障をまじめに考えていないのです。そのことは、先に書いた、ミサイルの脅威を叫びつつ原発再稼働をすすめる矛盾からも明らかです。「現実論」者がなぜ安全保障を声高に叫ぶのか? その理由は、利権か、あるいは米国に貢ぐためだろうかと、勘繰らざるを得ません。

◆ 抑止力重視は、外交の巾を歪ませる。

 2020年広島の「原爆の日」で、安倍首相は、「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界の実現に向けた努力を進める」と述べました。しかし、我が国は、国連で採択された核兵器禁止条約の締約を拒否しています。ヒロシマ、ナガサキでなくなった方々に顔向けできません。おり、世界の顰蹙を買っています。なぜ世界から期待される役割に背を向けるのか。それは、米国の核の傘にすがっているからです。

 核だけではありません。日米安保のもとで、軍事力増強を進めれば、米軍と自衛隊の一体化を進めるほかありません。組織・体制も情報量も圧倒的に上回る米軍に付き従うなら、自衛隊は、実質的に米軍の指揮命令下に入ることになります。兵器の部品や消耗品の供給でも米国に依存することになるし、IT化の進んだ兵器のコンピュータ・ソフトのアップデートでも、米側に見放されたらどれほど高価な兵器システムも無用の長物になります。軍事力を増強するほど、米国に取り込まれ自律性を失っていきます。

 極めつけは集団的自衛権です。やられている米軍を助けに入るといいますが、柳条湖事件、トンキン湾事件などを見ればわかるとおり、戦争はたいていやられたふりで始まるもの。集団的自衛権は、米国の戦争に自衛隊員を「どうぞお好きにお使いください」と差し出すことです。傭兵であれば、装備も給料も雇い主の国が持ちます。しかし、集団的自衛権では、それも日本の税金で賄うのです。その中には、米国から購入した高額の兵器も含まれます。日本人の若者を血税で米国から買ったハイテク兵器とともに米国の戦場に送り出すのが集団的自衛権です。何重にも売国的だというしかありません。

 軍備増強論者は愛国者を装いますが、実は従米・媚米にならざるを得ないのです。自民党は、米国の機嫌を取るために、自衛官をイラクその他に派遣し危険に晒してきました。日本の外交は米国に追従するばかりです。こんなことを続けていれば、沖縄で端的にみられるように、憲法で保障された国民の権利よりも米軍の都合が優先される属国的状況が永遠に続くことでしょう。日本独自の理念で世界に貢献することなど、未来永劫不可能です。

◆ 軍備増強論は、国民生活も地球環境もひっ迫させる。

 今、新型コロナに直面して、医療・保険体制の脆弱さが露呈しました。福祉の最前線で働く人たちのご苦労にも報えていない状態が続いています。教育費も自己負担が重くなり、勉学に打ち込めるのは恵まれた条件の若者だけです。生活保護の捕捉率は低いままで、多くの人が憲法が保障する「健康で文化的な生活」を営めない状況に放置されています。頻発する異常気象への備えも充実させねばなりません。 この状況でも、際限のない軍拡競争に踏み出すのでしょうか。ひとたび軍拡の方向に舵をきれば、相手にも対抗する反応を生み、シーソーゲームから降りることはますます難しなっていきます。それは、ミサイルにだけ備えを固める一方で、新たな病原体によるパンデミックや自然災害への備えをなおざりにすることです。国民の救済を後回しにすることです。

 戦争は、人間と人間の問題であり、知恵と努力で避けることはできるはずですが、病気や自然災害をなくしてしまうことはできません。医療や福祉や貧困対策や教育など、暮らしを支えることにこそ、お金を使い、今苦しんでいる人を助けるべきです。 気候変動を引き起こしている地球温暖化に直面している今、人を殺し暮らしを破壊するための準備に税金を費やすことを、子どもたちに納得できるように説明できるのでしょうか。

◆ 真の現実主義とは?

 軍拡路線は愚策であることを述べてきました。
 「危険な道具を制御能力のない者に持たせてはならない」という意味のことわざがあります。今の政治家や官僚たちに安心して軍事力を預けておけるでしょうか。 逆に言えば、懸命の努力をして、知恵をつくし、工夫を重ねれば、軍事力に頼る度合いを低くすることができるでしょう。 軍拡に走る前に、外交力、交渉力、情報収集分析力、広報力、それらの総体である政治力を高め、人類史にどういう貢献をするかという根本の理念を深く考えることが優先するのは当然です。

 ただし、今すぐ一挙に軍事力を放棄すると言っているのではありません。大きな船の進路を変えるには、一定の時間が必要です。 さらなる軍拡に踏み出さず、現状を維持しつつ、外交力、政治力を磨き育てるのです。 そして、日本だけがそうするのではなく、「人を殺しインフラを破壊するために予算を割き、軍事力で他国の人々を脅すことは恥ずかしいことだ。時代遅れの考えだ」という世界常識をつくっていきます。

 理念を堂々と掲げ、みずからそれに則ったふるまいをする努力をします。理念とは、日本国憲法前文に掲げた「崇高な理想と目的」です。

 「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」る(リーダーシップを執る)という誓いです。

 外国の政府のみならず、内外の市民とも連携していかねばなりません。災害救援や人道支援をもっと充実し、難民の受け入れも拡充すべきです。個別具体の紛争の調停にも汗を流します。 これらのためには、情報を収集・分析し正しく判断する能力が必要ですし、行動原理たる理念を世界に発信する広報力も必要です。 この努力が実を結んだとき、日本は世界中の市民から共感を得、尊敬され愛される国になることでしょう。これこそが最高の安全保障だと思います。そして、我々自身も、自分の国を誇りにすることができます。 国民の暮らしを支えることにもっとお金を使えるようになります。

 地球温暖化による気候変動が現実となる中、世界は、新型コロナの洗礼を受けました。これまでとは違う新たな時代をつくっていかねばなりません。日本は、世界の先頭に立ってこのような努力をすべきです。

◆ 結論

 果てしない軍拡競争への道へ自ら踏み出し、国民の暮らしのために使うべき大切な予算を縮減させるような愚挙だけは、してはなりません。

2020,8,9ナガサキ原爆の日  #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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「まっとうな政治」とは?

 「まっとうな政治」というのは、立憲民主党のキャッチ・フレーズです。
 わたしの考える「まっとうな政治」を切り口にして、このところの街頭演説をしています。こんな内容です。

 A:まず、国民負担のあり方をまっとうにする。
 B:そして、負担してもらった税金の使い方をまっとうにする。
 C:そのためにはどうすればいいか。

◆A 国民負担のあり方をまっとうにする。

※ A1 庶民の負担率は高すぎ。

 消費税が、昨年の秋、10%にされました。
 その一方で、実質賃金は長年にわたり下がっています(2019年は、1997年と比較するとマイナス10.5%。韓国はプラス57.8%)。先進国の実質賃金はどこも右肩上がりなのに、日本だけが異常です。

 <グラフは、雑誌『KOKKO』編集者の井上伸さんのツイッター(井上伸@雑誌KOKKO @inoueshin0)より>
 また、医療や年金などの保険料、社会保障負担額も大変重いというのが実感でしょう。
 その結果、日々の暮らしのやり繰りに追われて、未来のためにお金を使うゆとりがなくなっています。子どもの運動靴が傷んでも、すぐに買い換えて上げられない家庭が増えています。
 株価ばかり高値に誘導されていますが、国民の購買力が落ちて、内需が冷え込み、日本経済は低迷しています。
 庶民の負担を下げて、稼いだお金を自分たちの未来のために使えるゆとりを国民にもたらさねばなりません。国民がはつらつと未来に向けて生きてこそ、活力も創造性も生まれるのです。

※ A2 税金は、消費税ではなく、とるべきところから

 3%で始まった消費税が10%になり、消費税からの税収は大幅に増えました。しかし、大企業からの法人税は、その分だけ減らされています。
 株などで儲けた利益は、税率の低い分離課税にされ、高所得者は累進課税を免れています。
 外国資本が日本で上げた利益の多くも、巧妙に外国のタックス・ヘイブンに持ち出されて、日本の税収になっていません。
 こういった、とるべきところにきっちりと課税しなければなりません。

◆B 税金の使い方をまっとうにする。

※ B1 税金の不正な使用をやめる。

 安倍政権では、森友・加計学園事件のような、税金のヨコナガシ・ネコババが繰り返されてきました。
 トランプ大統領のご機嫌をとるために、欠陥戦闘機や売り先に困った遺伝子組み換えトウモロコシを爆買いしています。イージス・アショアの導入が取りやめになったのはよいことですが、購入ありきで十分な検討がなされていなかったため、莫大な費用が無駄になりました。
 このような不正や浪費は、許してはなりません。

※ B2 国民の暮らしを支えることに税金は使う。

 高福祉高負担と言われる国々のように、負担が高くても、それが国民の暮らしに戻っていれば問題はありません。
 しかし、今回の新型コロナは、日本の医療体制が実は大変脆弱であったことを暴露しました。PCR検査や重症患者受け入れ態勢の整備は、遅々として進みません。コロナ対応に頑張った病院ほど経営難に陥り、看護師さんのボーナスもカットされるようなあり様です。自粛を強要するばかりで、補償は後手後手、その補償からもナカヌキが行われています。
 税金が、国民のためではなく、安倍政権のオトモダチのための集金装置になっていると感じます。

 こんな状況を改めて、税金は国民の暮らしを支えることに使わねばなりません。
 医療体制を充実させます。特に合理的で有効なコロナ対策は喫緊の課題です。
 福祉の最前線で働く人たちの待遇も底上げせねばなりません。
 学生がアルバイトや教育ローン返済に追われることのないよう、教育予算の拡充も必要です。
 異常気象が頻発する中、自然災害への備えも見直さねばなりません。

 国民の負担を減らし、暮らしを支えることに税金を使って、誰もが未来に向けてのびのびはつらつと歩んでいけるようにしましょう。
 それによって、活力と想像力が生まれ、内需が高まり、実感できる景気の回復が実現できます。

◎ 財政問題に今、縛られるべきではない。

 上記のような主張をすると、赤字財政の中、財源はどうするのか、という批判がありそうです。「ハイパーインフレが起きて、大変なことになるぞ」と。
 確かに、自民党政権は、財政赤字を口実にして、福祉を削ってきました。しかし、その一方で、自分たちの利益につながる歳出には、財政赤字を気にかけていません。
 巨額の赤字を積み上げ、かつまた、日本銀行がインフレ目標2%達成のためにあらゆる手を尽くしたのに、インフレ率は少しも上がりませんでした。
 歳入で歳出を縛ろうとするのではなく、インフレ率を新たな財政規律の基準にすべきだとの考えも生まれています(MMT・現代貨幣理論)。さらに累積された財政赤字もなくしていけるとする公共貨幣という新しい提案もあります。<拙HP https://bit.ly/3g9hw0w を参照ください。>
 これまでの安倍政権の愚策の上に、新型コロナウイルスが重なって、今、支援を必要とする人が大幅に増えています。この状況で、拱手傍観は許されません。財政赤字を恐れず、しっかりと手を打つべきです。

◆C 国民負担のあり方と税金の使い方をまっとうにするには、どうすればよいか。

※ みんなで投票に行って、利権の政治を希釈する。

 今、多くの人が選挙に行かなくなっています。「政治は汚い。煩わしい。政治を変えても暮らしはよくならない。選挙はうざい。」そんなふうに感じているのでしょう。しかし、それは、そのように誘導され、そう思い込まされているのです。

 他方、世の中には選挙や政治に大変熱心な人たちもいます。その人たちは、政治を利権のためと捉えているのです。
 「自分たちの息のかかった政治家をたくさん国会に送り込めば、口利きだけでなく、自分たちに有利な法律や制度をつくらせることができる。それによるウマミは、多少の政治献金よりはるかに大きい。組織を上げて応援しよう。」
 そんな選挙の結果として、消費税は上げられ、大企業の法人税は下げられました。
 労働者派遣法ができて、非正規雇用が増え、実質賃金が下がっているのも、背景にあるのは、その人たちの思惑です。終身雇用を廃して、都合のいい人材を欲しい時だけ安く雇って、用が済めばすぐに解雇できるようにしたかったからです。少子化の根本原因も、非正規雇用で先の見通しを持てないまま安い給料で働くしかない若者が増えたことにあります。
 一部の、選挙に熱心な人たちの利権を実現するために、選挙に行かない人たちがしわ寄せを背負わせされているのです。

 ですから、この状況を改めるには、選挙に行くしかありません。自分たちと家族や子どもや孫たちのため、どういう国民負担がいいのか、税金をどう使うべきか、のびのびと暮らすためにはどうであればいいのか、それを考えて、投票をしましょう。そうすれば、利権のための選挙を希釈し、みんなのための政治を実現することができます。

 投票率を上げさえすればいいのです。案外たやすく、すみやかに、日本の政治をまっとうにすることができます。

* * * *

ご意見ご批判をお聞かせください。
過去のメールマガジンの記事の多くは、https://itsuro-soga.com/blog/ で読んで頂けます。
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2020年7月28日     立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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語り合う会@飯田市公民館(動画)

 先日(6/28)、飯田市で『語り合う会』を開催しました。その動画をYoutubeに上げています。
 
 前回の座光寺の時よりも少し改善ができて、参加頂いた方の発言が多少聞き取りやすくなりました。データも圧縮して、軽くしました。

 下の六つに切り分けましたので、ご興味のあるテーマから観て頂ければ幸甚です。
 

1 基調挨拶
  https://youtu.be/TT_5hISHa1I

2 自治体選挙と政党(飯田市長選)
  https://youtu.be/YyQ9kRrm-jI

3 コロナ後の経済と伊那谷
  https://youtu.be/6KHoZ-ta1Tk

4 政党と政治家個人の考えが相容れないとき
  https://youtu.be/swvvmtsSsQU

5 消費税
  https://youtu.be/ZppfcYnmq1A

6 地元貢献、主権者と政党、安全保障など
  https://youtu.be/hzYYW62QnBQ 

 
 どうぞ、ご意見・ご批判、お聞かせください。

2020年7月3日
 #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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「政治不信」という言葉はやめよう

 広島の河井夫婦による買収事件のテレビ報道で、評論家が「政治不信がまた高まる」と論評していました。

 この発言は、よくありません。「政治不信」ではなく、「自民党不信」あるいは「安倍政権不信」というべきです。

 悪いのは一部の政治家であるのに、政治一般に普遍化するから、政治不信・政治嫌いを広げることになります。「政治家は、私利私欲だ。利権まみれだ。汚らわしい」と思わせて、投票率を下げることになります。

 しかし、世の中には、「政治は、利権まみれの私利私欲で動いている」と考えて、逆に政治によけいに熱心に取り組む人たちがいます。その人たちは、巨額の政治献金もするし、組織をあげて応援もします。なぜなら、政治によって利権を得ることができるのをよく知っているからです。

 自分たちの息のかかった国会議員をたくさんつくれば、自分たちに都合のいい法律や制度をつくらせることができます。それによって得られるうまみは、政治献金で使う額よりはるかに大きいのです。

 利権や私利私欲を嫌悪する普通の人たちが、政治を汚らわしいと遠ざける一方で、利権の匂いに集まる人たちは、政治に熱心に取り組みます。その結果はどうなるのでしょうか。火を見るより明らかです。

 分かりやすい例を挙げましょう。
 「終身雇用制で定年まで高い給料を払うのは嫌だ。都合よく便利に使える労働力を欲しい時だけ安く雇って、用が済めば首にできるようにしたい。福利厚生に費用をかけるのは馬鹿らしい。」
 こういう思惑が、労働者派遣法をつくらせました。その結果、非正規雇用が増え、実質賃金は下がり続けています。一部の人たちの利権のしわ寄せは、政治が嫌いで選挙に行かない一般の人たちが背負わされることになるのです。

 つまり、利権で動く連中が、政治全般を汚らわしいと思わせて、みんなを政治から遠ざけることによって、得をしているのです。

 しかし、私利私欲や利権で動く政治家は、一部にすぎません。みんなのためにはどうであればいいのかと考えている政治家もいます。それは誰なのか、主権者が見定めて投票をするようになれば、利権の投票は希釈されます。一部の人たちの思惑で法律や制度がつくられることをやめさせることができます。

 投票率さえ上がれば、政治のあり方、国のあり方を変えることは、案外容易いことです。政治嫌いはやめて、自分事として政治を考え、声を上げ、投票に行きましょう。

 2020年6月28日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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杉尾秀哉参議院議員との街宣(動画)@松川町

 6月20、21日の土日、杉尾秀哉参議院議員を迎えて、下伊那郡数か所で街頭演説をしました。
 おりしも、9月解散10月総選挙の噂がささやかれています。状況は流動的で、どうなるか分かりませんが、ともかく地道にしっかりやっていきます。

税金の集め方をまっとうにして、国民負担を減らす。税金の使い方をまっとうにして、暮らしを支える。

https://bit.ly/389tRPm

 長野5区(上・下伊那)の皆さん、街頭活動や小さな集まりなど、お声がけください。参上します。

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語り合う会@飯田の報告(動画)

 先日(6/14)座光寺のりっけん長野5区事務所で、「語り合う会」をもちました。
 動画を撮りましたので、ご報告としてお届けします。
 たくさんのテーマで意見交換することができ、全体としては、一時間半ほどになりました。突っ込んだ生々しいお話もあります。

 以下のとおり、六つに分けて Youtube に掲出しましたので、ご興味のある部分からご覧になってください。

 まだまだノウハウが足りず、参加頂いた方々の声がうまく録れていなかったり、素人編集でへぼかったりしますが、ご寛恕を。

1 基調挨拶
   https://www.youtube.com/watch?v=vfjM7SaY0vE
2 年金の株運用、ベーシックインカム
   https://www.youtube.com/watch?v=MHIISx09ups
3 地球温暖化、東京一極集中、種苗法
   https://www.youtube.com/watch?v=CSVvOJe22-Q
4 情報公開、憲法改悪
   https://www.youtube.com/watch?v=-rk-EycI3R4
5 消費税、政局、野党共闘
   https://www.youtube.com/watch?v=K8KITqIzGNw
6 どうやれば変えられるか?
   https://www.youtube.com/watch?v=peHMTh-qg3E

 各地で同じような、また違う企画の集まりができればありがたいです。ご協力くださいませ。

2020,6,17
立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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直近の活動予定

 危機対応能力の欠如が露呈し、追い込まれた安倍政権が、先延ばししても事態は悪化するばかりと観念して、9月に一か八かのやけくそ解散をするのではないか、といった噂も囁かれ始めています。
 同時に、新型コロナに伴う自粛要請も徐々に解除となってきました。

 つきましては、以下の計画をたてました。ご都合をつけて、冷やかしに来て下さればうれしいです。

* * * * *

◆ そが逸郎と語り合う会
 ・6月14日(日) 午後1時半より
 ・立憲民主党長野5区事務所にて
  (飯田市座光寺・平安堂の近くのエネオスの向かい側、コメダ珈琲の隣)
 地域のこと、日本のこと、世界のこと、あるべき社会について、ご意見をお聞かせ下さい。
 この日に限らず、呼んで頂ければ別の場所でも、体温チェックの上、参上致しますので、気軽にお声がけ下さいませ。

◆ 杉尾秀哉参議院議員(りっけん長野県連代表)との街宣活動
 6月20日から8月上旬まで、日程の取れる土日で実施します。
 現時点で固まっている計画は以下のとおりです。
 (時間の多少の前後はご容赦下さい。)
 
*6月20日(土)下伊那南部
 10:20 阿智村 ピア駐車場
 14:30 阿南町 ナピカ駐車場
 15:00 下条村 ファミリーマート駐車場
 
*6月21日(日)下伊那北部
 10:15 喬木村 JA喬木店
 11:15 高森町 アピタ前
 12:45 豊丘村 豊丘マルシェ
 16:15 松川町 JA松川前
 
*7月4日(土) 上伊那南部
*7月5日(日) 上伊那北部
*7月11日(土) 飯田市(遠山方面を含む)
*7月12日(日) 同上

 これ以降は、計画が固まった時点で、改めてご報告いたします。
 場所や内容など、ご意見・ご要望をお聞かせいただければうれしいです。
 よろしくお願いいたします。

2020年6月12日  立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

*メアドを教えてください。『そが逸郎通信』をお届けします。

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枝野代表の政権構想私案に

 立憲民主党枝野代表は、5月29日、「支え合う社会へ―ポストコロナ社会と政治のあり方(『命と暮らしを守る政権構想』)」(私案)を発表しました。
 YouTube(https://www.youtube.com/watch?v=CGuzZz_IvFg)でプレゼンテーションを見ることができます。わたしも一昨日見て、安心をしました。安心した、というのは、失礼な言い方に聞こえたかもしれませんが、こういう意味です。

 わたしが立憲民主党長野県第5区総支部長になった経緯は、立憲民主党から打診があり(2019年1月)、しばらく逡巡したものの、他にもっと適任の方がいないのなら、と受けたのですが(同3月)、その際は、立憲民主党の考えを詳しく知ったうえでそれに共感したから、というわけではなかったのです。
 勿論、立憲民主党の政策綱領は一読し、自分の考えと相違するところがないことは確認しました。しかし、立憲民主党の政策に惚れ込んだというよりも、安倍政権の横暴をこれ以上放置しないためには、自民党の国会議員を減らすしかない、そのもっとも可能性が高く手っ取り早い方法は、立憲民主党から立候補することだろう。そう考えた結果です。
 それから一年以上経過したわけですが、枝野代表の直近の構想を聞いて、自分の考えと同様であることを再確認できて、安心した、というわけです。

 枝野代表のお話は、上記のYouTubeで見ていただきたいと思います。後半は記者との質疑で、構想のプレゼンテーションは最初の20分ほどです。
 内容は、新型コロナがさまざまな課題を明らかにした、と認識し、それを前提にこれからの社会をどうつくるべきかという構想です。極簡単にかいつまめばこういうことです。

 新自由主義的な考えで、効率を追い求め、小さすぎる政府(予算的な意味ではなく)にした結果、暮らしを支えるマンパワー・組織体制が非常に脆弱なものになってしまった。新型コロナはそれを明白にした。それを反省し、今後は医療、格差貧困対策、福祉など、暮らしを支える施策をしっかりと厚くせねばならない。競争を強いて結果は自己責任だと突き放す社会ではなく、支え合う社会にしていかねばならない。

 全く共鳴する主張であり、安心した所以です。
 とはいえ、構想をさらに補強するために、いくつか感じたところを書いておきます。

 枝野代表は、再分配の強化も主張しています。ただ、プレゼンテーションでは、その主眼はリスクとコストの再分配にあるように聞こえました。再分配といえば、当然、富の再分配が主眼のはずですから、これは言わずもがなとして言及がなかったのかもしれませんが…。
 記者からの質疑でベーシック・インカムも話題になりました。「誰に対しても生存に必要な所得を保障すべきという考えには、共感するが、実現は遠く、それまでは、現金給付よりも現物給付を充実させるべき」との回答でした。しかし、これは言い方の問題ですが、同じ内容でも、「実現には時間がかかるので、まず当面は現物給付を充実させながら、研究していきたい」というようなポジティブな表現にした方が、主権者の心に刺さると思いました。
 小さな政府については、自民党政権は、実際には赤字国債を発行し続け、累積赤字をGDPの2倍を超えるまでに増やしながら、お友だちには税金を横流しし、トランプ氏に言われるまま爆買いをしていますから、まじめに財政再建を考えていないことは明白です。にもかかわらず、保険医療体制や教育予算、福祉を削り、貧困問題を自己責任だと放置するために、財政赤字を口実に使っています。ですから、財政赤字があってもしっかりと暮らしを支えるために必要な体制をつくることは可能である、と示すべきではないでしょうか。MMT(現代貨幣理論)や公共貨幣について、理論的研究を進める、というだけでもいいと思います。
 日本のみならず、各国とも程度の差こそあれ財政問題を抱え、国民に必要なサービスを提供できていないのですから、なんとかこの問題は克服しなければなりません。「解決策は必ずある、それを見つける」という決意を示し、主権者が希望もてるようにすべきだと思います。

 また、国民へのサービスを削り、国民負担を高めても財政を健全化できない根本の理由のひとつは、グローバル資本にきちんと対処できていないことだと思います。資本が、国境をまたぎ国家の枠をはみ出して活動するようになった結果、資本を制御できるものがいなくなってしまいました。グローバル資本にまともな課税ができていないだけでなく、グローバル資本の前に国家がひれ伏し、進んで便宜を図るような状況に陥っています。グローバル資本は、自分に都合のよいビジネス環境をつくるため、国家に法制度を変更させ、国家を集金装置として利用しています。(例えば、TPP。また、種子法廃止や種苗法改定の背景にある知財権・特許権の強化による市場支配もその例です。)富はますます資本に集中し、民は貧しくなります。

 コロナ後の社会にどう対応するかが議論されています。枝野代表の構想もその問題意識に基づいています。しかし、コロナは、もともとあった課題を露呈させ、対応の緊急度を上げただけではないかと思います。つまり、問題はコロナがもたらしたのではなく、コロナ以前から悪性腫瘍のように広がっていたいたのです。今、資本主義自体が終焉に差し掛かっているのかもしれません。あるいは、新しい資本主義が必要なのかもしれません。いずれにせよ、大きく深い問題意識で考え、克服しなければなりません。地球温暖化や格差・貧困などのさまざまな課題がありますが、グローバル資本こそ問題の元凶のひとつであり、それにどう軛をかけるかが、今後の大きな政治課題になると思います。国家は、資本の側ではなく、国民の側に立って、この状況を克服しなければなりませんし、国家は互いに手を携えて、世界の人々のために共闘しなければならないと思います。

* MMT、公共貨幣については、https://itsuro-soga.com/2019/12/21/公共貨幣 経済・財政の視野を広げてみる/ を参照ください。
* ベーシック・インカムについては、「ベーシック・インカムは妙案かも」http://mujou-muga-engi.com/b-income/ を参照ください。

ご意見、ご批判をお聞かせください。 2020年6月1日  立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎
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「#検察庁法改正に抗議します」

声を上げ、悪法を正し、必要な法律をつくる 『そが逸郎通信22号』

◆ 「#検察庁法改正に抗議します」

ツイッターの#(ハッシュタグ)をつけたキャンペーンが立ち上がりの数日だけで430万を超えて拡大し、政府は検察庁法改正案の今国会での成立を断念しました。
「統治する権力が自分たちに都合のいい人間を検察のトップに据えられる法律になれば、権力は悪事を追及されず、やりたい放題になってしまう。許すわけにはいかない。」
そんな怒りが広がった結果です。
主権者の怒りが、統治側の人たちを恐れさせ、ひとまず強行採決はやめさせることができました。背景には、新型コロナの影響で、ネットに向かう時間が増えていたことと、外出もままならずSNS以外に抗議を表明する方法がなかったという事情はあります。しかし、ネット上の運動が成果を上げた初めての画期的ケースではないかと思います。もうひとつ懸念されていた種苗法の改悪も、今国会での強行は見送られたようです。これをきっかけに、これからも同様の取り組みが拡大していくに違いありません

◆ 声なき声、小さな声を聴く?

 岸信介(安倍首相の祖父)は、日米安保改定を強行した際、反対するデモ隊のシュプレヒコールが響く中で、「わたしには声なき声が聞こえる」と言ったそうです。
「声なき声が聞こえる」と言えば、なんでも自分の聞きたい声を聴くことができます。いうなれば幻聴であり、自分勝手な妄想にすぎません。そんなものを根拠に為政者が暴走すれば、そのツケは長く国民を苦しめることになります。
 また「小さな声を聴く」と自称している政党もあります。主権者であるはずの国民は、政府が声を聴いてくれるまで大人しくじっと待っていなければならないのでしょうか。
 そんなはずはありません。聞こえないふりをすることができないほどの大きな声で、主権者が統治者に言うことを聞かせるのが民主主義です。

◆ 子孫を増やそうと競い合うミーム

 R・ドーキンスという生物学者が、ミームという面白い考えを提起しています。生物の遺伝子が、多くの子孫を残そうと互いに競争するのと同様に、情報やものごとの捉え方(ミーム)も生存競争して増えようとする、というのです。
 相矛盾する考えは、自分こそ正しいと主張しあい、互いに相手の問題点を指摘しあいます。批判に晒され、生存競争に負けまいと考えを突き詰めることで、考えは理論武装され、ミームとして遺伝子同様に変異し、進化していきます。間違いを克服し深まっていくわけです。
 我々凡夫は、自分だけは損をしたくない得をしたいという執着で目先の反応を繰り返し、その結果かえって大きな苦を招き寄せてばかりいます。そんな凡夫が寄り集まって社会を運営しているのですが、その際に、間違いをなるべく少なくしていく方策は、批判しあい、議論しあい、考えを深めあうことしかありません。その議論の過程で、最も正しいところに近づいた考えが、説得力を得て、賛同者を集め世の中に広がることができます。
 議論の勝敗は、相手を論破して黙らせることではありません。人々の共感を集め、賛同者(≒子孫)を増やして増殖したミームが勝ち残るのです。
 最初に声を上げる人は、恐竜の支配する世界に、初めての哺乳類を生み出すようなものです。大地を揺るがす恐竜の足元で逃げ惑うちっぽけなネズミのような、頼りない新たな見解は、少しずつ賛同者を得て、補強され、深められ、たくましく育ち、やがて雄たけびを上げ恐竜を追い詰めることになるでしょう。
 「経済活動には化石燃料が必要だ、原発は不可欠だ、軍事力がなければならない」といった古い考えは、遠からず恐竜のように、あるいは天動説のように、消え去るに違いありません。
 ミームを生んで育てるという発想で、自分の考えを表明し、みんなに批判してもらい、考えを深め、賛同者を得て大きな声にしていけば、世の中を住みやすく変えることができると思います。

◆ 大きな声をあげるには

 では、どうすれば大きな声があげられるのでしょう。
 多くの人の賛同を得て声が重なれば大きな声になります。しかし、それは、最初はひとりの小さな声で始まるのです。地球温暖化を指弾するグレタ・トゥンベリさんも、はじめはひとりきりで座り込みをしていました。それまでは、目先の経済の都合だけが世の趨勢だったのに、今では共感の声がうねりとなって世界中に広がっています。
 蟻の巣穴から、堤防が崩れることもあるのです。
 声の上げ方は様々な方法があります。
 新聞・雑誌への投稿や、ホームページ、ツイッター、Facebookに書き込んだりするのもひとつです。リツイート、シェア、「いいね」をするのも広めることになります。仲間に呼び掛けて集まるのも、駅前や街頭でのスタンディングも、署名活動や座り込みも可能です。
 中川村では「全村挙げてTPPに反対するデモ」をやりましたが、手続きは警察署への届けだけでとても簡単でした。そして、新聞など報道にもたくさん取り上げられました。
 伊那市高遠の矢澤親男さんは、カジノIR関連法案に反対する陳情をたったひとりで伊那市議会に提出し、ひとりを除くすべての議員の賛成を得て、採択されました。伊那市議会は、矢澤さんの意見書を伊那市議会議長の名において衆参両院議長と内閣総理大臣に提出したのです。そして今、矢澤さんは、冒頭で触れた検察庁法の改定を、先送りではなく廃案にするように求める陳情(or 請願)を準備しておられるそうです。
 わたしがかつて伊那谷の各市町村議会に提出した「緊急事態条項に反対する請願」は残念ながらどこにも採択されませんでしたが、種子法や種苗法についての意見書は日本各地で採択され、多くの県で条例に結実しています。行政や議会を動かすことは、少人数でも(ひとりであっても)可能なのです。

 仮にどれだけ運動してもうまくいかないときには、最後の手段として、非暴力不服従があります。
 非暴力は言葉どおりで意味するところは明白ですが、不服従とはなにに服従しないのでしょうか。あえて端的に言えば、悪法に従わないのが不服従です。
 ガンディーは、イギリスのインド植民地政府が塩の取引を専売にしていることに抗議して、海岸までの行進を主導し、みずから塩をつくりました。アメリカの公民権運動では、白人専用席への座り込みが行われました。どちらも当時の法律に抵触する行為です。
 ただし、非暴力不服従は、悪法に服従せず敢えて背きますが、堂々と顔を晒して行うのです。この点は、顔を隠して暴力を用いるテロ行為とは決定的に異なります。
 悪法とはいえ法に背くわけですから、逮捕されることもあります。逮捕されれば、法廷闘争で法律が間違っていることを主張するのです。
 非暴力不服従は、ミームを拡散し、賛同者を増やしていくための最後の手段だと言えるでしょう。非暴力不服従については、沖縄でダグラス・ラミスさんから教えてもらいました。

◆ lawmaker を増やし育てる。

 悪法に立ち向かうといっても、いつまでも不服従を続けているだけでは仕方がありません。悪法を廃止、改正しなければなりません。それをする場所は国会です。国会の議決で悪法を正し必要な法律を制定するところまでもっていかないと、完結した成果を上げたことにはなりません。
 国会議員のことを英語では、lawmaker といいます。まさに「法律をつくる人」です。根本的な考え方が自分と共通する lawmaker が国会に少なければ、いくら声を上げ続けても、最終的な成果に落とし込むことができません。
 ところが、わたしが立憲民主党の総支部長の立場になって痛感したのは、主権者の政治嫌いです。特別な問題意識をもたない人だけでなく、例えば環境問題などに関心の高い人の中にも、政党や選挙を汚らわしいもののように遠ざけている人が少なくありません。
 確かに政治に汚職や利権、癒着はつきものです。しかし、だからといって、毛嫌いしていれば、政治を都合よく利用しようとする人たちが都合のいい lawmaker を増やし、自分たちに都合のいい法律ばかりをつくらせることになります。かつての労働者派遣法や、種子法の廃止、種苗法改悪などはその典型です。法人税と所得税の税率が下がり、その分消費税率が上がるのも同じ原因です。一部の人たちが政治を利用して得をしたしわ寄せは、選挙に行かない人たちに背負わされます。
 主権者は、みずから声を上げつつ、政党や政治家を、自分たちのポケモンとして育て増やし、国会というリングで闘わせることも考えねばならないと思います。

 今回の検察庁法改悪阻止を縁として、主権者がさらに知恵とノウハウと大きな視野を身につけて、国会を動かし、悪法を正し、必要な法律をつくって、世の中の仕組みをよりよくしていくに違いないと期待します。

2020、5、21  立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎

 
 *記事はメール・ニュースでも配信しています。配信ご希望の方は、メールアドレスをお知らせください。

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種苗法改悪の動きに

 ご縁を頂いた方々にお送りしている『そが逸郎通信』21号を転載します。

 「種苗法改悪の手続きが、コロナ騒動の陰で着々と進められている。もはや崖っぷちだ。立憲民主党はしっかり立ちはだかってほしい。」

 このような要請が、『子どもの食・農を守る会伊那谷』の関島百合さんからありました。それを受け、昨晩(2020,5,10) 以下のメールを、県連と党本部に送りました。

 なんとか阻止しなければなりません。
 しかし、安倍政権は強行採決をしかけてきそう。国民の暮らしの土台を壊してまで、なぜこれほどまでにグローバル資本に阿るのでしょうか?

2020,5,11

* * * * *


立憲民主党 代表代行 選挙対策委員長 長妻昭様
      長野県連合代表 杉尾秀哉様

立憲民主党長野県第5区総支部長
そが逸郎


 まっとうな政治を実現するために日々奔走頂いていること、厚く感謝申し上げます。

 さて、種苗法について、長野5区の主権者から強い要請を頂いておりますので、お力添え下さいますようお願いいたします。

 長野5区では、『子どもの食・農を守る会伊那谷』というグループが、2017年末から種子法廃止に反対するなど、活発な活動を継続しています。その皆さんから要望がありました。

 種苗法を改悪する法案が、農林水産委員会で12日に趣旨説明され、14日にも採決されるのではないか、と懸念しておられ、立憲民主党からの委員である佐々木隆博衆議院議員に是非とも頑張って頂いて、種苗法改悪を阻止してほしい、との要望です。


 今回の種苗法改悪で最も懸念されていることは、自家採種の制限です。
 作物の遺伝子情報を知的財産として保護するためとされていますが、自家採種ができなくなって、企業から種を買うほかなくなれば、農家は経営上の大きな負担を背負い込みます。また、地方ごと農家ごとに多様な品種が育てられていたのに、農家が自分の望む品種を植えられないことにもなります。同一品種ばかりでは、病気や気候変動に脆弱です。

 そもそも日本の品種の知的財産権を守るためと農水省はいいますが、グローバル資本が跋扈する時代において、外国資本による日本企業の買収は日常茶飯事です。その場合、知的財産権も外国資本に買い取られ、日本の農家は、在来品種でさえ外国資本から買わざるを得なくなります。

 2018年春に種子法が廃止されました。これによって、都道府県の、コメ・麦・大豆の良質の種子を安定的に安価に農家に供給する義務がなくなりました。今後の農業と食の安全への影響を心配する農家、消費者の不安は強く、多くの県で、種子法に代わる種子条例が 

 制定されました。しかし、安定して種子を供給するには大変な手間と費用が必要です。根拠法がなくなって国からの交付がなくなれば、都道府県は続けることが不可能になるかもしれません。そうなれば、農家は、企業から種子を買うしかありません。

 一昨年の種子法廃止も、今進められようとしている種苗法改悪も、グローバルアグリ化学資本が、農業と農作物の流通を牛耳る目論見で日本に参入してくる道筋を整備するためではないかと分析されています。

 公的種子がなくなり、自家採種も禁じられれば、農家は企業から種子を買わざるを得ません。当然企業は競争しますが、世界の食と農を寡占する巨大グローバル資本が圧倒的に有利です。グローバルアグリ化学資本の、特許で守られた遺伝子組み換えやゲノム編集の作物しか栽培できない、食べられない事態に陥るでしょう。
 特許作物は、勝手に売ることも友人や親せきに贈ることも違反です。収穫した全量を特許をもつ企業に売るしかありません。種子の価格も、収穫した作物の価格も、農家は巨大資本と交渉せねばなりません。価格のみならず、自社の除草剤を何回かけろとか、栽培方法についても細かく定められた契約書にサインすることを要求されます。与えられたマニュアルどおりのがんじがらめの農業しかできなくなります。

 収穫のすべてを特許企業にしか売れないとなれば、その先の流通もその企業が独占することになります。遺伝子組み換えやゲノム編集は、例えば、除草剤耐性遺伝子の組み込みであり、毒素遺伝子の組み入れです。除草剤を大量にかけて育てる作物であり、虫が食べると腸に穴が開いて死んでしまう作物です。スーパーに並ぶ食材の多くがこのような農作物を原料にしており、そのような食材を日々食べ続けざるを得ない子供たちの健康が、米国では問題になっています。日本でも同様の事態が進んでいることを危惧して、主として女性たちが頑張っているのが、『子どもの食・農を守る会伊那谷』です。

 立憲民主党としても、日本の食と農を守るために頑張らねばならないと考えます。種苗法の改悪をさせてはなりません。何卒よろしくお願い申し上げます。

以上よろしくお願い申し上げます。

* * * * *

『そが逸郎通信』お送りします。
ご希望の方は、メアドをお知らせください。

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新型コロナと緊急事態条項 又坂先生から

 信州大学名誉教授の又坂常人先生から、新型コロナと緊急事態条項に関する拙文に、ご意見を頂きました。国民の権利という根本の視点から考えるべき、というご指摘です。
 又坂先生には、野党共闘を実現させる「信州市民アクション」共同代表当時大変お世話になりましたし、緊急事態条項の危険性についても詳細に教えて頂きました。
 わたしひとりが読むだけではもったいないので、お許しを頂き、ここにも掲載します。

 

* * 又坂先生から * *

拝復
お久しぶりです
コロナ戒厳令下でほとんどの集会等が中止になり、中信市民連合が計画していたイベントも記者発表という形式で実施せざるをえない状況です。

政府の無為無策の後の緊急事態宣言でしたが、発令されるとすさまじい同調圧力が生じ、改めて日本人の「一億玉砕」的なメンタリティに危惧の念が生じます。
感染者に対する嫌がらせ、パチンコ店に対するバッシング、告げ口の横行、ネットにあふれる中韓に対するヘイト等々。嫌になるほどです。

さて、緊急事態条項に関するブログを興味深く拝読しました。いま世間で言われている憲法上の緊急事態条項の議論は、私に言わせれば極めてミスリーディングなものです。典型的なのは、「いまの憲法では緊急時に強い権利制限ができない」ので改憲が必要だというもので、1週間ほど前にテレビ番組で元衆議院議長の伊吹氏が述べていました。しかし本当にそうですか、というのが私の考えです。今回のコロナ騒動については、私の考えではいくつか押さえておくべきポイントがあります。

まず、コロナの問題は権利問題であるということです。私たちには感染症から免れる自由・権利があります。これは私権であると同時に、国家に対する権利としての公権です。これに対応して国家には一方では感染した人(患者)に対して適切な医療を提供すべき義務が、そして他方では感染していない人が感染しないような配慮を尽くすべき義務が生じます。つまり、治療と感染予防が国家に課された義務ということになります。コロナ問題は国家の命令や強制の話ではなく、私たちの権利の問題であるという意識を持つことが大事だと思います。

感染症は人から人に移る(伝染する)という特性がありますので、その予防は必然的に一定の範囲で個人に対する公権的な行為制限をともないます。通常の感染症では患者の隔離と一定地域に対する立ち入り制限ですみますが、パンデミックの場合は広く国民一般に対するある程度の強い行為制限が必要になります。そしてそれは、憲法上の基本権である市民的自由ー移転の自由、営業の自由、総じて自己決定の自由の制限をともないますが、法理的には公共の福祉による制限ということで合理化されうるものです。もちろん「公共の福祉」による制限は法律によらなければならず、行政権が勝手に自らの判断で好きなことができる訳ではなく、いまは感染症予防法と新インフルエンザ特措法がその根拠法として用いられているわけです。

そこで問題は両方に基づく行為制限措置、とりわけ特措法45条に基づく外出自粛要請や施設による営業停止の要請・指示等の措置が、先に述べた私たちの感染から免れる自由という権利を守る上で十分なものか、ということだと思います。仮に不十分であるというのであれば、行政処分としての外出禁止命令や営業停止命令を出せるように法改正すべきであるという話になります。その場合には、制限される自由と感染から免れる自由のバランシングを十分に考慮して適切な法的要件や発令手続を考えるべきでしょう。

このような法改正が現行憲法の下で不可能であれば改憲ということが課題として生ずるということになると思いますが、おそらくどの法学者に聞いても、上記のような法改正のために改憲が必要という人はいないと思います。

なお、私は特措法45条に基づく施設営業停止の要請と指示は、それに従わない場合は公表という制裁が予定されている事実上の強制力を持つ措置であって、行政事件訴訟法にいう処分(公権力の行使)及び国家賠償法1条でいう「公権力の行使」に該当するものであり、法的効果が一切生じない単なる「お願い」ではないと考えます。少なくとも後者についてはほとんどの行政法学者が一致すると思います。ただ現行法の立て付けはあまり美しいものではないので、改正は十分に考慮に値するものではあると思います。

ちなみに緊急事態条項を憲法上設けることの意味は、権利制限を課すことではなく、その根拠となる規範を法律の根拠の不必要な独立行政命令で創設できるところにあります。かのワイマール憲法48条は大統領に立法権を含む無限定の「必要な措置」をとる権限を与えたことで、ナチス独裁に道を開いたのです。こんなものは絶対に認めるべきではありません。

それから、上記とは関係ないことですが、ブログにあった立憲民主党に対する「苦言」について一部共感するところがありました。特に消費税に対するスタンスについてはなはだ不満があります。私は限時的緊急避難的措置としての減税ないし減免はまじめに検討する余地のある問題だと思います。もっとも立憲民主党が消極的なのは、学者グループの影響、とくに金子勝などの影響のせいかもしれませんね。山口二郎も否定的でしたからね。曽我さんや杉尾さんには是非がんばって欲しいと思います。

以上、とりあえずのお答えです。

 

* * 曽我からの返信 * *

 ありがとうございます!
 権利という根本の原理から説き起こして頂きました。

 こういう理解でよいでしょうか?

 日本国憲法第25条に基づき、国民には病気から守られる権利があり、国にはその権利を保障するため、感染予防と治療を行い、国民の健康を守る義務がある。
 国民の多数に感染症が広がるパンデミックの場合には、人から人への強い感染力に対抗するため、一定程度の自由の制限が必要になるが、それは憲法が想定する公共の福祉の範囲内でなければならず、国民の健康に暮らす権利を保障するための措置でなければならない。
 今回の新型コロナ対策に適用されている感染症予防法と新型インフルエンザ特措法は、憲法に基づき、国民の健康に生きる権利を守るための法律である。
 しかし、このふたつの法律は、外出禁止命令や営業停止命令を出すことまでは想定していなかったので、今後そこまでの強制力を持たせるかどうかは、検討する必要がある。(営業停止命令には休業補償がセットになるのは当然でしょう。)
 自由の制限がなされるにしても、それは憲法の基において、憲法が保障する国民の権利を守るために、法律の改定によってなされることであり、憲法を改変することではない。
 憲法に緊急事態条項を入れこもうとする自民党の狙いは、必要となった場合に国民の権利を制限できるようにすることではなく、内閣が思いのまま、好き勝手に国民の権利を制限できるようにすることである。認めることはできない。

 頂戴したメールを拝読して、読んで頂いたわたしの拙文は、ハラリの言葉に過剰反応していたと反省しました。ハラリは、世界全体に生まれた状況を大づかみで述べていたのに、わたしはそれを日本の個別の事情の中で考えてしまいました。

 自民党が憲法に加えようとする緊急事態条項と、新型インフルエンザ特措法の緊急事態宣言とを、安倍政権は、国民にわざと混同させ、国民をだまして、混乱のうちに緊急事態条項を実現させようとしています。すでに「ナチスの手口」をやり始めていると言わざるを得ません。
 健康に暮らす国民の権利を公共の福祉として守ろうとする緊急事態宣言と、国民の権利を望むときに思うままに奪えるようにしようとする自民党の緊急事態条項とが、全く別物であることを正しく理解し、安倍政権の「ナチスの手口」に騙されないように皆でお互いに気を付け合わねばならないと再確認いたしました。
 ありがとうございます。

 ご教授頂いたメール、わたしだけではもったいないので、このメールともども公開させて頂きたいと存じます。よろしくご了承賜りますようお願い申し上げます。

又坂常人先生

2020,5,4,         曽我逸郎

 

* メアドをお知らせいただければ、以後ニュースレター『そが逸郎通信』をお送りします。

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新型コロナと監視社会 「緊急事態条項」

ニュースレター『そが逸郎通信』18号を書いたので、ここにも掲載します。

* * * * *

   「新型コロナウイルスは、社会のあり様を一変させた。」

 ユヴァル・ノア・ハラリが、先日(4/25)のNHK『ETV特集』で語っていました。
 ハラリは、非常に深い視点から大きく俯瞰して鋭い歴史分析を展開している歴史学者です。わたしも『サピエンス全史』などで大いに刺激を受けました。

 今、デジタル技術によるビッグデータの蓄積と分析は大変なスピードで進展しています。例えば、位置情報であり、趣味嗜好の傾向のデータです。思い出の写真が突然パソコンやスマホのモニターにポップアップされます。いつ、誰と、どこでなにをしたか、ビッグデータの中に記録されているということです。買い物サイトでは、お勧めの商品が提示されます。過去の注文履歴から趣味が把握されているのです。どんな本を注文したか、どんな単語を検索したかで、政治的傾向を含めた興味や嗜好が分かってしまう。ネット上でなく実店舗でも、キャッシュレスで買い物をすれば、購買行動は記録されます。自分で想像する以上に、我々は丸裸の状態にされているのです。

 そして、コロナ以前から監視の網は相当に広がっていました。街頭でも乗り物でもお店でも見渡せばどこにでも防犯カメラがあります。顔認識で個人を追跡することも不可能ではありません。
 トランプ氏の大統領選挙の際は、Facebookの情報をケンブリッジ・アナリティカ社が利用して、有権者をグループ分けし、それぞれの傾向に応じた情報を送り付けて投票行動を操作し、大きな問題になりました。しかし、ハラリは、これはもはや石器時代ともいうべき時代遅れ手法で、今では事態ははるかに進み、「皮膚の下の情報」までが収集されていると言います。
 確かに、スマートウオッチのようなウエラブル端末では、心拍数、血圧、血糖値、眠りの質などがモニターされています。怒り、喜び、退屈といった感情の動きも把握され、政治的な反応まで生々しく記録することが可能になってもおかしくありません。
 デジタル技術の進展が、ビッグデータの収集・分析を高度化し、大衆(=国民、主権者)のきめ細かな監視・管理を可能にしつつあるのです。

 そして、このような監視技術が進歩する中、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックによって、人々(=国民、主権者)は、国家による監視・管理・自由の制限を受け入れるようになった、とハラリは言います。「降りかかる危険を排除するためには、監視や自由の制限はしかたがない」という考え方が、広がってしまった、ということです。
 念のために言い添えると、ハラリは、「安心・安全のためには監視や自由の制限を受け入れるべきだ」と言っているのではありません。「べき論」ではなく、「そうなってしまった」という現状分析です。

 4/29の新聞報道によれば、共同通信が3~4月に実施した世論調査では、「個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法改正し新設する案に、賛成51%、反対47%」だったそうです。質問文がこのとおりだったとすると、わたしの想像より賛成が多いので、ハラリの言うとおり新型コロナの影響がでているのかもしれません。


 わたしは、「人は監視されてはならないし、自由であるべきだ。自由を守るために、人が権力を監視すべきだ」と考えます。自民党が憲法に緊急事態条項を書き込もうと画策することに、わたしは一貫して反対してきました。新型コロナ対策の緊急事態宣言についても、緊急事態条項追加への地ならしにさせてはならないと言ってきました。
 正直に言えば、9条改変以上に、緊急事態条項は危険だと考えています。なぜなら、緊急事態条項は、とても融通性があり応用が利いて、他の制度と組み合わせるなどちょっとした悪知恵で、統治権力はなんでも好き勝手ができてしまうからです。

 有名な具体的事例を挙げましょう。ヒトラーが総統となる道筋では、ナチ党による自作自演ともいわれる国会炎上事件を理由にして大統領に<緊急命令>を布告させ、それを根拠に対立する国会議員を拘束した上で、本来なら出席議員不足で不成立の議会を、議院運営規則を修正して成立したことにして、全権委任法を成立させました。こうして権力を自分に集中させて、さらには大統領と首相の権限を統合した総統という新たな地位を新設し、みずからその椅子に座りました。これが、麻生副首相が言った「ナチスの手口」です。

 しかし、ヒトラーは悪知恵だけで総統になったわけではありません。大衆(=主権者・国民)が強力な権力集中を望んだ一面もあったのです。

 今回の新型コロナ対策の緊急事態宣言に、立憲民主党を含む大方の野党は賛成しました。マスコミには「宣言は遅きに失した」との意見も目立ちました。大衆の気分は、監視や自由の制限を渋々受け入れたというよりむしろ、安全の代償としてみずからそれを望んだとみることもできます。
 
 もしも、ハラリが言うように、「べき」とは関係なく、事実がそうなってしまったのだとしたら、わたしたちは、どうする「べき」でしょうか。
 今回の新型ウイルス騒動が去った後も、国際紛争や異常気象、天変地異、次のパンデミックがあるかもしれません。食料不足やエネルギー枯渇、移民の大量受け入れなどの可能性もあります。そういう状況になった場合、国民は平穏な暮らしを守るために強力な統治権力による支配を望むかもしれません。「緊急事態条項は許せない」と否定しているだけでは、大衆に置き去りにされる可能性があります。人々が監視や自由の制限を望んで、緊急事態対応がなされるに至った場合の対応も考えてみておくべきだと思います。そんな想定をするのは緊急事態条項を招きいれる利敵行為だと非難する方もおられるでしょう。しかし、可能性を想定してそれに備える一種の思考実験だとお考え下さい。

 先に、わたしの根本的な考え方を少し書いておきましょう。
 わたしは、人は皆、凡夫である、と考えています。凡夫というのは、自分かわいい、自分が大事、という我執の反応である、ということです。刺激を受けるたびに、我執によって自動的に反応します。
 危険を感じると、人(=凡夫、サピエンス)は、いつの時代もいかなる文化でも、自分を守ろうとします。大勢が一度に巻き込まれそうな危険であれば、集団で暴走してしまいがちです。パンデミックが起こって、監視や自由の制限を受け入れるのも、権力にたよって身を守ろうとする集団反応です。
 統治する権力もまた、凡夫です。自分の支配力を強めたいという我執を宿しています。そのために人々を不安にさせて自分に頼るように仕向け、あるいは義憤を煽って操ろうとします。支配力を強めたいという権力者の我執が、危険から守られたいという大衆の我執につけいるのです。(この結果、大衆は戦争などもっとも恐れていたものを、しばしば逆に招き寄せることになります。)
 このことをよく理解して、緊急事態対応の仕組みを考えねばなりません。なぜなら、この仕組みは、今の政権のみならず、未来にいかなる政権が出現しても、それによって使われる仕組みだからです。いかなる権力によっても好き勝手に使われることのないように、都合よく利用される可能性をつぶしておかねばなりません。

 衆知を集めないと、わたしひとりの浅知恵ではたかが知れていますが、たたき台として思いつくままに書いてみます。

 三つの段階で考えましょう。緊急事態に入る際の条件、緊急事態中に過度の支配をさせないように政権を束縛する仕組み、そして緊急事態を終わらせる手続きです。

◆ 緊急事態に入る際の条件
 自民党の改憲案にあるような、首相が非常事態だと宣言すれば、みずからに強大な権力が与えられるような仕組みは論外です。緊急事態対応を命じるものは、それを執行するものとは別でなければなりません。緊急事態監視委員会というような組織を、あらかじめ常設で設けておき、事が起こった時に、緊急事態だと判定するか、また、内閣に特別な対応を命じるか、判断します。
 そのメンバーは、国会議員は必要でしょう。ただし、日本の議院内閣制では、首相は与党のトップですから、与野党バランスよく選出されるよう制度設計が必要です。
 ドイツが脱原発の方針を決めた際は哲学者や宗教家も討議に加わったそうです。それを見習い、国会議員ではない見識ある人も加えるべきです。自治体の代表や弁護士もよいと思います。今の状況を見れば、医師や保健衛生の専門家も必要でしょう。
 自分が属する「業界」の利害を考え政権に忖度されては困るので、業界団体(例えば弁護士会や市長会、大学学長会)の現役ではなく、先代の長がいいかもしれません。恣意的な人選を排除するため、「人物本位」をあえて基準にせず、「当て職」(なにかの役職にある人が自動的に役割を負うこと)にした方がいいかもしれません。
 この委員会は、国民が(執着の反応を暴走させ)緊急事態として国家の強権を求めた場合でも、その必要がなければ国民を説得する役割も担います。
 (例えば、大量の難民が押し寄せて、その排除・隔離など憲法・法律に反する対応を国民が求めた場合に、冷静な判断を呼び掛けるとか)

◆ 緊急事態中
 過度な統制が行われていないか、緊急事態監視委員会が監視します。内閣は委員会に対応状況を報告せねばならない義務を制度化します。違反があれば、緊急事態は自動的に終了します。委員会は公開すべきでない情報には守秘義務を負います。内閣が国民に報告すべき事柄を報じていなければ、委員会の判断で公表します。緊急事態中のすべての公文書、メモ、メール、通話などのデータは保存され、しかるべきタイミングで公開されねばならないと定めます。
 緊急事態でも、政府批判を禁止することは禁止です。人々の暮らしや緊急対応の現場の状況を知らない政権は、間違った指示をして予算と時間を無駄にし、現場を混乱させます。まさに今、我々はそれを目の当たりにしています。批判がなければ、間違いを正すことはできません。監視委員会は、受けとった行政批判を匿名化して原則公開し、実態を調査の上、必要なら改善命令を出します。マスコミは、watchdog の役割を強化すべきです。

◆ 緊急事態の終了
 緊急事態で手にした強い支配力を権力は持ち続けようとします。緊急事態を長期化しようとするかもしれませんし、監視や自由の制限を一部でも残そうと画策するでしょう。そうさせないために、緊急事態が自動的に終了し、緊急事態対応で発令したすべての政令が自動的に廃止となる条件を、恣意的な解釈ができない具体的な形で、緊急事態をスタートさせる際の条項に書き込んでおきます。
 「危険が去るまで」といったあやふやな表現ではなく、たとえば今の新型コロナウイルス対応でいえば「国内の新たな感染者数が一桁である日が、**週間続いた場合、この緊急事態は自動的に終了する」といった文言を開始時に設定し、国民に公開しておくのです。その文言を定めるのは、緊急事態監視委員会です。

 ざっと考えて、以上のようなタガが必要だと思いました。まだまだ押さえておかねばならないツボがあると思います。緊急事態条項の危険を皆でしっかりと認識したうえで、研究を重ね、自民党の思惑に対抗せねばなりません。

 新型コロナウイルス対策で多くの政府が権限を強めたことについて、姜尚中氏が、別の番組でこんな趣旨の発言をしていました。
 「強い権力に拮抗できる強い民主主義があってこそ、社会は緊急事態を克服することができる。拮抗する強い民主主義がなければ、権力は(危機を自分のために利用しようとするなど)見当違いの暴走をして、新型コロナの封じ込めに失敗するだけでなく、余計な害まで生むことになる。」(うろ覚え)

 自由闊達に気兼ねなく発言し、批判しあい、学びあい、考えを深めあうのびのびとした空気が、常日頃から、そして緊急事態においても、大切だと思います。  

2020,4,30 そが逸郎 立憲民主党長野県第5区総支部長

信州大学名誉教授、又坂常人先生からご意見を頂きました。『新型コロナと緊急事態条項 又坂先生から』 是非ご一読ください。

* メアドをお知らせいただければ、以後ニュースレター『そが逸郎通信』をお送りします。

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非武装中立論 理想と現実の視点から

 ご縁を頂いた方々にお送りしている『そが逸郎通信』。
「理想と現実の視点から、非武装中立論をどう考えるか」という質問を頂いて、返事を書きました。

(写真は、辺野古の海。海保のゴムボートの後ろは米軍キャンプ・シュワブ「弾薬庫」方面。2017年1月、曽我撮影。撮影地点の下あたりが、問題となっているマヨネーズ状の軟弱地盤)

* * 長沼昌司さんから * *

そが逸郎 様

 コロナ禍の昨今、如何お過ごしでしょうか。
 いつも「そが逸郎通信」を送信して頂きまして、ありがとうございます。大変に勉強になります。
 13号を拝読いたしましたが、理想を追うことと、目先の利得を追う者との違いがよく分かりました。私は、理想を追うことが大事だと思います。特に政治家は、国家のこと国民のことを考えて、現実の問題を解決することは、責務だと思いますが、やはり、最後に理想的な国家や国民を如何に築き上げることができるかを考え、悩み、熟議することが大事かと思います。また、公明正大が求められるものだと思います。誤魔化しや言い逃れなどは許されるはずがありません。
 そのことを立憲民主党に大きく期待するところです。私の仲間と共に応援していきます。頑張ってください。
 
 こんな俳句ができました。「正論がゆゑの空しさ冬銀河」
 正論と言えば、石橋政嗣氏の「非武装中立論」がありますが、御見識をお聞きできたら、幸甚に思います。

      令和2年4月13日  長沼 昌司

* * 曽我からの返信 * *

 ご意見ありがとうございます。
 正直に申し上げると、「非武装中立論」という言葉は知っていますが、内容はきちんと承知していません。石橋政嗣さんも、お顔は分かりますが、社会党の政治家でいらしたというくらいで、恥ずかしながらそれ以上の知識はありません。
 ツボを押さえたことは書けませんが、お許しください。

 「9条を守れ」と主張する平和主義は、現実に目を向けない理想主義である。そのように揶揄する人たちがいます。
 しかし、その人たちの「現実主義」は、現実をさらに悪化させていると考えます。

 安全保障のジレンマです。
 「相手が軍事力を高めている。この現実の前では、しかたがない。こちらも軍事力を増強するほかない。」
 お互いに自分の安全を高めるためと主張しながら、眼前の現実に妥協することで、かえって危険を高めあっています。

 向こう側の政治家は、軍事力増強を「相手が悪いから、しかたがない」と弁解しますが、本当は、自分たちがそれを望んでいるのです。敵を仕立て、その幻影を誇張することによって、統治権力は自分たちへの支持を高め、支配力を強めようとします。現実主義者が主張する「危険な現実」は、そういう思惑で始まります。
 思惑でつくりだされた幻影は、しかし、すぐに勝手に膨張し、現実の危険に発展します。「現実主義」が幻想の危険を現実化するのです。軍需産業で儲ける連中の思うつぼです。

 人は誰も、欲望や不安や憎悪に走りやすく、過剰反応をします。統治する側は、権力を自分たちに集中させたいという欲望から、敵を仕立て、大衆に不安と憎しみを植え付けます。相手方は当然「現実的」な対応をすることになり、その結果、対立するもの同士、それぞれの国民を巻き込んで、疑心暗鬼と憎悪はエスカレートしていきます。悪循環が雪だるま式に膨らんで、ある時ふとしたきっかけで緊張に火が付き、恐れていた危険が現実化するのです。
 この悪循環を、どこかで誰かが断ち切らねばなりません。

 疑心暗鬼に陥って破壊の道具に富をつぎ込むことの愚かさは、誰にでも理解できる単純なことです。国民が懸命に働いて生み出した富は、暮らしを豊かにすることに使うべきです。それぞれの国や地域が豊かになって、助け合えば、みんながさらに豊かになります。

 ところが、いつまでたっても恐怖や疑心暗鬼を抜け出せません。それは政治や外交が愚かで貧弱だからです。愚かで貧弱な政治・外交が、大量破壊兵器・大量殺人兵器を手にしている。これは大変危険なことです。軍事力に頼らずに、信頼しあい助け合える国際関係を築くことができる政治力・外交力を育てねばなりません。それが非武装中立論だと思います。

 非武装中立論は、理想主義でありましょう。しかし、理想は、理想として掲げるだけではダメで、どのように達成するかが重要です。
 そのために必要なのは、たとえば情報収集力と情報分析力です。現実になにが起ころうとしていてどう進展していくのか把握できなければ、正しい対応はできません。
 そして、それ以上に重要なのは、理念です。目指すべき理念を突き詰めて考え、血肉化することです。
 幸いなことに、理念はすでにあります。日本国憲法の前文です。
 「主権が国民に存することを宣言し、」「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思」い、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」っています。
 これが日本の政治・外交を貫く理念であると、全世界に発信し、理解してもらわねばなりません。そういう発信力・広報力も必要です。
 そして、現実の政治・外交の複雑な利害関係の中で、その理念に基づき一貫して行動することが大切です。
 最後が一番難しいでしょう。目先の損得に惑わされない高潔さ、圧力に屈しない気丈な勇気、相当な腹のくくりが必要です。

 しかし、本当にこの理念に基づき、「自国のことのみ」ではなく「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏を免かれ、平和のうちに生存する」ために汗を流すなら、日本は、世界中の人々から尊敬され、愛される国になれるでしょう。わたしたちにとっても誇れる国にすることができます。憲法前文が「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」というのは、「日本は世界に手本を示すぞ」という心意気の表明です。これこそが、最高の安全保障でもあると思います。

 ところが現実の日本は、「国家の名誉にかけ、全力をあげて…達成することを誓」いながら、その努力を一度でもしたことがあったでしょうか。「自国のことのみに専念して」米国にひたすら阿諛追従してきたと言わざるを得ません。

 憲法前文に掲げた理念を実現していこうとするとき、大きな障害となるのは、米国との関係でしょう。これまでのような米国盲従ではなく、米国とも理念に基づいた外交をしようとすれば、米国政府はどうするでしょうか。

 米国政府の意向以上に、米国に忖度する日本の官僚がどう動くかも気がかりです。
 在日米軍と官僚の間で諸問題を日常的・定期的に協議する日米合同委員会というものがあります。ここでの取り決めは、国会にも報告されず、憲法にさえ優先する効力を有するそうです。官僚の中でもエリートが出席し、これに参加していたことでさらに出世していくそうですから、日本の官庁の多くは、政治家の顔でも国民の顔でもなく、在日米軍の顔色を見ているのかもしれません。
 普天間の米軍基地の辺野古「移設」に関して、当時の鳩山総理が「最低でも県外」をいったんは約束しながら撤回し、政権は短命に終わりました。しかし、これは、実は外務官僚が鳩山氏をだましたからだと言われています。
 また、村長として何度か東京に行った折に見聞きして感じたことですが、自民党の中には、ロッキード事件がトラウマになっていて、「米国に逆らうとつぶされる」という恐怖があるようです。小沢氏が陸山会事件で起訴されたことも、大勢の国会議員を連れて訪中したことで米国の怒りを買ったことが原因だと考える人は少なくありません。
 つまり、米国そのものよりも、米国を過剰におそれる日本の政治家と官僚が、米国に忖度して日本国憲法前文の理念に基づく政治と外交を邪魔しているのかもしれません。
 日米合同委員会については、米国の国務省にも否定的な意見があるそうです。米国市民の中には、日本国憲法前文の理念に共感してくれる人も少なくないでしょう。米国との関係をまっとうなものにしていくことは、非常に難しいことかもしれませんが、まったく糸口のないことではないと思います。

 もうひとつ大きな障壁になりかねないのは、ほかならぬ主権者です。先ほど書いたとおり、人は不安や憎悪を煽られかねません。大衆の怒りや心配にプロパガンダで火をつけることは容易です。それを警戒して、細心の気配りをしながら進めていかねばなりません。
 ですから、非武装中立が理想だといっても、一気にそこに飛び移れば失敗します。当面は、国民が不安を抱かない程度の抑止力は保ちつつ、同時に、他国が脅威と感じるような軍事力増強はせず、政治力・外交力を高め、情報収集力・分析力を磨き、理念を伝える広報力をつけ、個々の外交問題に理念に基づいて真摯に対応する。そして、世界中の市民が、自国の政府に「日本のやり方を見習え」と言ってくれるような実績を積んでいくのです。このようにして、焦らず丁寧に時間をかけて、軍事力に頼らず、外交力・政治力、理念の力へと重心を移していくことが必要だと思います。

 そのためには、保身のために米国に媚を売るだけの自民党から政権を奪取した後、長期的安定的に政権を維持しなければなりません。

 たくさんの難題が立ちふさがるきわめて困難な道筋です。しかし、だからといって、あきらめて「現実」に妥協していれば、いつまでたっても世界をよくすることはできません。身をよじりつつ隘路を広げ進んでいくしかないと思います。

 またご意見お聞かせください。

2020年4月21日 そが逸郎 立憲民主党長野5区総支部長

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新型コロナ対策 文化への支援

 先日公開した記事に、飯田にお住いのある著名な方からこんなアドバイスを頂きました。

「こんにちは、立憲民主党はコロナ対策は文化に対して支援を全面に出すべきです。消費税や現金支給については与党と議論をしても意味がありません。ライブハウス、映画館など文化活動を支援に全力を挙げるべきです。是非、曽我さんも5区でも発信しましょう。新たな支持者が見えてくる。」

 確かに、と思いました。

 新型コロナ経済対策については、先に
1)家賃、光熱費、食費など命を支える出費がままならなくなった人たちに間を置かず対応するため、申請・審査なく、すべての個人に無条件に一律平等に給付をすること(ベーシックインカム的給付)
2)消費者への自粛要請ではなく、中小零細・個人事業者に対して、事業継続のための十分な資金を迅速に支給した上で、休業要請すること
が必要だと考え、それを表明しました。

 アドバイスを頂き、これだけではなく、もう少しきめ細かく見ていかねばならないと気づきました、
 地域の人たちの思い出のつまった劇場や、若い才能が育つライブハウスがなくなり、伊那谷の暮らしが、ただ働いて食べて眠るだけになってしまっては、わたしたちもつまらないし、誰も来てくれず、若者はさらに出ていくばかりになるでしょう。
 都会ほどお金はなくてものびのびと自分らしく楽しく暮らせるのが伊那谷の魅力だし、それを伸ばしていくべきだと思います。ユニークな才能が、夜空の星のようにたくさんキラキラしている伊那谷にしたい。「キリギリス」は、イソップ童話が言うように苦労なく気ままに「不要不急」の遊びをしているわけではないし、人類社会に必要なのです。

 文化的な事業は、中小零細事業のうちに入ると思っていましたが、他とは違う独特な事情もあるでしょう。
 伊那谷には、複数の和太鼓集団、アフリカの太鼓・ダンス集団、サックス奏者、レゲエ、ラテン、ミュージカルなど、音楽やイベントにかかわる仕事をしておられる方が大勢おられます。また、中川村には、たくさんの工芸作家が住んでおられます。お考えを教えていただければうれしいです。

 頂いたご意見は一覧で見られるようにして、みんなで考えたいと思います。
 「キリギリス」の皆さん、思いをお聞かせください。

2020,4,14  #そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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「れいわ」と対比した「りっけん」批判に答える

 厳しいご意見が届きました。公開を了解して下さったので、わたしの返事ともども多くの方に読んで頂き、みんなで考える機会にできればと思います。

◆ ◆ ◆ 頂いたご意見 ◆ ◆ ◆

如何お過ごしですか?
消費税増税とコロナ対応のデタラメによって国民は疲弊してます。
ミサイル戦争の最中に丸腰より竹槍でもとあればというのがマスク2枚が配布のコロナ対応てすから低能児並の政府対応てす。
本当に国民は、救われない棄民政策の犠牲者になっています。
本題に入りますが、
立憲民主党は完全に自公政権の補完勢となっております。まっとうな政治は吹き飛んでおり世間は、枝野の政党を「一見民主党」と揶揄しています。
国会中継を国会開催中はいつもユーチューブで見ていて、立憲民主党も質問はなかなかいいとこついていても肝心なところで追求不足になり結果的には、自民を擁護するようになっています。
枝野の幹部たちは、昼は野党で夜は野盗か与党と言われています。
枝野や赤松、長妻昭達は毎夜毎夜労働組合幹部達と赤坂見附付近でカラオケ騒ぎをやっているのです。
この危機的最中に枝野は、何の有効な動きをしてません。自民党に舐め切られて識者らに呆れられているのです。1昨日一ヶ月ぶりに記者会見をやりましたがなんの変哲もないコロナ対策をいうのですが対策でもなんでもない時間つぶしの会見でした。
枝野、赤松などに三行半を突き付けたのが、山尾志桜里さんです。
誠に勇気ある立派な行動です。
昨年12月からずっと毎日毎日何時間もユーチューブと山本太郎の動きをみていました。
問題あり過ぎる自公の動き、国内外の社会情勢も未だかってないほど関心を持ちながら関心を持って見て来ました。
曾我さんが立憲民主党で立候補なさった理由は、以前お会いしたとき、れいわ新撰組からお誘いがなかったからだといわれましたが、立憲支持を決心されたときと現在では政界は激変しています。
立憲民主党は、見るものが見ましたら隠れ自民党・第2自民党です。
野党というのはまやかしです。
立憲の立場は、労働貴族党で非正規労働者や中小企業者などいわばアウトカーストたる人を救うことにはどうでもよいということだが、言葉の上では、自公の政策に反対するふりはするけども実際は肝心なところで自公を補完しているだけです。
自公の補完政党が立憲民主党や維新党です。枝野や小池百合子が前回の衆議院議員総選挙のとき余計なことをいったため野党が政権取りそこねたのです。
駄目な野党議員は沢山いますが、とりわけ枝野、赤松は、優柔不断で自分で絶対責任はとらない自己中心的な卑怯者卑劣漢です。
彼等が労働貴族その者の対応であることは、私はある問題が起きて、枝野に直接会って話した時に身を持って実体験しております。
原発事故のときの対応をみても「直ちに死にはしない」旨の発言を思い出してもお解りでしょうが、問題が起きても自分では適切な処置もできず、絶対に自ら動かず、都合が悪くなると、すべて他人に火の粉を振り払わせる自分で責任をとらわない卑怯な人物なのです。
枝野は、泥を被って他人を救うようなことはまずにやりません。
この度の国民民主党との党首会談でも玉木氏を目下扱いにしているため合流を躊躇わせているのです。
立憲幹部は、山本太郎を完全に恐れています。
太郎さんの動きをユーチューブや実際に街頭記者会見で会いずっと見守ってきました。
寒い街頭での長時間の演説に殆どの聴衆は山本との対話から離れません。
聴衆は、山本太郎の話は真剣であるから引き込まれ、山本太郎の話は自分のことと考えることができるようになるのだとおもいます。
毎日のユーチューブで街頭演説を見ていると日々に山本太郎は進化しているのが手に取るように分かるのです。
記者会見での愚問・奇問に対する対応は実に見事です。
四十代の人間が、毎日こんなに進化して大きくなるのかと対話集会の中で実体験しました。
各地での街頭記者会見の中でみせる当意即妙の受け答えは、実に感心することばかりです。
よく勉強しているのが分かります。
私も西郷隆盛伝説の本はいくつか読んでいますが、勝海舟だったかが言った「大きく打てば大きく響き小さくうてば小さく響く」そのものですが、山本太郎の街頭演説は、待機説法そのものです。
大西郷も山本の人間性には負けるとおもいます。
驚くべき対話説法である事が分かるのです。
菩薩様の化身がいるような気分になります。
彼の言動は、ちゃんと人の話を聞き、マトモな学者・専門家のレクチャーを受け現場に足を運び身につけたものですから不自然さがないうえに身を低くし、傲慢さ・不遜さが全くないのです。
年末年始に路上生活者のために何年も前から炊き出しを密かにやっていたとは世間には余り知られていません。
こんな代議士がいるとは!と、最後の黒幕といわれる朝堂院大覚も参ったといわせました。
太郎は、真の大政治家になりました。驚きです。
人間がこんなにも進化するものかと始めて経験したのです。
このような人であるから、その魅力にボランティアの人はますます惹きつけられ、応援団は急激に増えているのです。
ボランティア活動はみな手弁当です。
私も赤坂見附の事務所に行って現場を見てボランティアの人達とも話しました。山本太郎追っかけで遠方から駆け付けてきています。
寄付者もぞくぞく集まっています。
従って寄附額も相当あつまりますが、選挙が始まると判れば驚くほど寄付金は増えるとおもいます。
今はコロナで動きが取れない状態ですがユーチューブで発言しています。
全国各地への出張街頭記者会見で寄付金の大半を大分使っているようですが、選挙間近になればぐっと増えるので候補者は100人を超えるでしょう。
候補者募集ですでに六百人を越えているほどの勢いです。
マスコミのインチキ数字以上の支持があるのは街の人の意見です。
私が知っている人の意見だけで全国の人達の意見は知りませんが、テレビで山本太郎の顔と意見が放送されると一気に山本太郎の支援者が増えるとおもいます。
選挙が迫れば大マスコミも報道が報道せざるを得なくなってますます「れいわ新撰組」は支持を増やすこと必定です。
12月も新宿や池袋の街頭記者会見にゆきました。その時ののボランティア活動に四十代の女性がボランティアでチラシを配ったり、聴衆の整理活動をしていたのでどこからきたのですかと聞いたら、名古屋から来ました、安倍や麻生、菅達の悪党を倒すため太郎さんを応援に来ましたと言ってました。
五十代のボランティアは、[つくば市から来ていますが、元は別府出身です]といい、遠方からも沢山の人が手弁当で来ているのには驚きです。
笑ってしまうのは、右翼でさえ現場で邪魔な演説をすると、そんなところで喋らないでこちらのマイクをかすからこちらで話してくださいというものだから、右翼も逃げ出すしまつで、右翼も対話してゆくと山本ファンになっているのです。

出来れば曽我さんは泥舟・第三自民党と袂を分かったほうが良いと思います。
兎に角いまは安倍を倒すことに全力を尽くす、そのためには野党共闘を実現しなければならないときに枝野は、金がないのか国民民主党にすりより金はだせ、玉木には自分の子分になれ、新党の副代表にはしてあげるが、何から何まで立憲の方針にしたがってもらうからなというような
言動では、玉木氏らもあきれられて馬鹿にするなと見放されることは必定です。
曽我さん、今ならまだ間に合います。
れいわ新撰組かオリーブの木と一緒に運動を始められたほうが良いのでないでしょうか。
立憲民主党にはすでに公認されて、ポスターや選挙カーなど便宜を受けられ身動きが取れないのでないかと危惧しています。
「れいわ」が消費税0%のところを5%で譲歩して、野党が塊になって安倍政権を倒すことに全力をしたいということに賛同して下さいと願っていましたが、コロナ騒ぎで自民党の中でさえ0%を叫ぶ安藤議員達もでできました。枝野は、絶対消費税減税を否定してます。
消費税減税は、経済を活性化させ結果的には税収は増えます。財源は、企業と個人の累進課税を以前と同じくすれば済むことです。消費税増税分の大半が大企業の減税分に回されているのですから、立憲は庶民の敵そのものなのです。

曽我さんに提案しますが、立憲民主党が消費税減税を呑まないということを、そのことを理由に立憲を外れて「れいわ」か「オリーブ」に乗り換えたらどうでしょうか?
山尾さんの跡を追いかけてください。
山尾さんや小川淳也さんはいずれ山本太郎か黒川敦彦の陣営に参列すると思います。
枝野<一見民主党>は完全な泥舟です。
今の情勢から「れいわ新選組」は資金的にもボランティア活動の寄附で100人以上の候補者を擁立出来ると思います。
変な義理に囚われてはダメです。
次の選挙では「れいわ新選組」は、完全に立憲民主党を超える得票を得るだけの賛同者になるとおもいます。
曽我さんの夢を壊すようですが今の佐々木の心境です。

佐々木恭治

◆ ◆ ◆ わたしの返事 ◆ ◆ ◆

前略

 手厳しいご意見を頂戴いたしました。大変ありがたいことと感謝申し上げます。
 また、公開することを快諾していただいたことも、うれしく思います。同じように感じておられる方もいらっしゃると思いますので、この機会に政党政治についてわたしの考えを述べ、熟議のきっかけにできればと存じます。

 拝読して最初に思ったことは、よく言われる、左翼の分裂・細分化の歴史です。左翼はある意味潔癖で、考え方の重点や戦術のわずかな違いにこだわり、「そこだけは譲れない」と反目しあって分裂していく、という反省です。
 それに対して、政権を握る側は、派閥争いを繰り返しても、最後は妥協して協力し合う、あのしたたかさは見習うべきだ、などと言われてきました。

 この違いは、どこから生まれるのでしょうか。それを考えると、右翼・左翼とか保守・革新という単純な対比でとらえることが、ポイントを不明瞭にしていると分かります。

 いわゆる左翼とは、世の中の矛盾、不平等、不公正を正そうとする人たちです。それに対立する人たちは、現状の問題ある仕組みをそのまま容認した上で、その中で利得を得ようとする人たちです。乱暴に割り切れば、理想を目指す人たちと、利得を目指す人たちとの違いということもできます。理想を目指す人たちは対立しがちだけれども、利得を目指す人たちは最後はまとまります。なぜなら、一番強いものについた方が得だからです。

 社会あっての個人か、個人のための社会か。こんな問題設定もしばしば行われます。ここでいう「社会」は「国家」に置き換えたほうが、問題がより鮮明になります。国家あっての個人か、個人のための国家か。
 国家のため、社会のために、自己犠牲を美化・顕彰する人たちがいます。その人たちは、国民みんなのためを考えているのではなく、現状の国家・社会を、今のまま保持したいのです。そのためには個人を犠牲にしても気にかけない。それは、その人たちが、現状の国家・社会のシステムによって利得を得ている(または、利得を得ようとしている)からです。この人たちが、犠牲になる側には立つことはありません。

 個人を犠牲にして、システムを温存しようとすることは一貫して行われてきました。公害、原発、沖縄の米軍基地、非正規雇用などがその典型です。もっとも大規模なものは、戦争でしょう。それぞれのシステムを牛耳る者たちが、兵士たちの肉体・生命を消費して自分たちの利得を争うのです。年金や医療や福祉の制度においても、制度を温存するために、救われるべき人々の権利を切り捨てられています。今回の新型コロナ対策でも、人の命よりシステムの都合が優先されています。

 わたしは、これとは逆に、個人個人が自分の思うようにのびのびと生きることができるように環境を整え下支えするのが国家の任務だと考えます。村長の時に、自治体の仕事の本質は何かと考えて、行き着いた答えです。
 我々が国家・社会を個人の役に立つように変えていこうと考えるなら、社会を不公正のままにして利得を得ようとする人たちの勝手を許すことはできません。そのためには、社会をよりよくしたいもの同士、対立・分裂するのではなく、連帯が必要です。ではどうすればいいのか。

 少し横道にそれて、わたし自身の経験を書きます。

 中川村長を退いた2017年、小池新党(希望の党)の踏み絵事件のごたごたが原因で、市民連合から衆院選に急遽出馬しました。そのあと「信州市民アクション」のメンバーになり、前回の参院選で野党共闘を実現させる取り組みに参加しました。
 候補一本化の調整には時間がかかりましたが、仕上げとなる、各市民運動と野党各党(立憲民主、国民民主、共産、社民の各党。「れいわ」は長野県には不在)との政策協定書の文言は、思ったよりよりあっさりと同意が得られました。つまり、どうのような理想を目指すかについては、スピード感などの違いはあっても、野党間に大きな隔たりはない、ということです。

 そうこうしている間に立憲民主党から総支部長の打診がありました。衆院選の予定候補者という位置づけです。「れいわ」に入らなかったのは「れいわ」から声がかからなかったから、とわたしが答えたとメールに書いておられますが、あれは冗談です。立憲民主党以外どこからも誘われていません。
 はじめは「自分がやることではない」とお断りしていましたが、安倍政権のあまりの非道ぶりに、お受けすることにしました。辺野古県民投票でしめされた民意の無視が最後の決め手でした。安倍政権を終わらせるには、自民党議員をそれそれの選挙区で減らさねばなりません。解散総選挙が近いとも噂される中、長野5区における一番手っ取り早い方法として、自分で出るほかないかと考えました。

 お受けする際には、小池新党の「踏み絵」が念頭にあったので、「党の方針に常に従うことは約束できない。異なる考えを表明することもある。調整のつかないときは、わたしが離党することもあるし、除名されることも致し方ない」と申し上げ、それが認められたと理解しています。

 立憲民主党は、確かに頑なで融通の利かないところはあるかもしれません。残念ながら枝野代表とはまだ会話をしたことがありませんが、消費税に関しては、2月の中旬に東京で開かれた『立憲フェス』で参加者との質疑を聞きました。消費税減税に消極的である理由を問われた回答はこうでした。
 「消費税減税は、豊かな人にも貧しい人にも恩恵のある政策である。たくさん消費する金持ちほどメリットが多いともいえる。もし減税するだけの財政的余力があるなら、それは貧しい人に集中して使ったほうがいい。」
 一理あるかもしれませんが、共感は得にくいだろうと感じました。
 (わたし自身の消費税に対する考えは、HPの『そが考』の中の記事、『野党共闘 消費税 れいわ新選組/頂いたご意見への返信』https://bit.ly/2JYeQEB をご覧ください。)
 立憲民主党長野5区では、「もしも自民党が先に消費税減税を言い出せば、りっけんは立場を失う」との意見もありました。実際、書いておられるとおり、先月末、自民党若手議員の一部は、新型コロナ対策に絡めて消費税減税を主張したそうです。これは、単なるはみ出し者の暴走ではなく、選挙になったら消費減税を言い出すことができるように、計算づくで党として下準備しているのかもしれません。

 ともあれ、消費税減税に「れいわ」ほど積極的でないからといって、立憲民主党は、けして野党のふりをした与党補完勢力ではありません。最初に書いたことに関連づけていえば、矛盾、不平等、不公正をなくして、よりよい社会に変革していこうとしています。利得ではなく理想を目指しています。

 だとすれば、どうすればいいのでしょう。社会を理想に近づけようとするいくつかの勢力を比べて品定めして、どれかひとつを選んで他を捨て去るべきなのでしょうか。しかし、それは、これまでの「左翼の轍」を踏むことです。

 社会をより平等で公平なものにしていこうとするもの同士、力を合わさねばなりません。しかし、その前にもう一つ課題があります。それは主権者と政党の関係のあり方です。

 前回の衆院選は、無所属で出馬しました。今回は、立憲民主党の所属となったわけですが、少なからざる人が「無所属ならよかったのに…」と失望を露わにしました。これは、けして立憲民主党が嫌だということではありません。どの政党かを問わず、政党政治一般に対する嫌悪感があるのだと感じます。なにかの社会テーマに熱心に取り組んでいる人でも、政党に対しては「自分たちを利用しようとしている」と警戒する傾向があります。社会問題に意識の高い若者が「自分たちはさまざまな課題に向き合っているから、政党間の権力争いにかかわりあう暇はない」と述べた発言にも考え込まされました。
 本当なら、どのような社会的取り組みであれ、自分たちだけの自己満足に終わらせず、社会全体の改善にするためには、法律・制度にまで落とし込まねばならないはずです。そのためには、今の日本の政治制度においては、政党をうまく使う必要があります。にもかかわらず、政党は毛嫌いされている。これが投票率の低さにも現れていると思います。(それに対して、自民党を応援する人たちは、それによって得られるであろう利得に期待して、大変熱心に選挙に取り組みます。)
 世の中をよくしたいと思っている人たちには、政治を自分事として捉え、政党をポケモンのような、自分たちのために闘ってくれる存在として受け止めてもらいたいと願います。政党は、自分勝手に闘う野良犬ではなく、飼い主(主権者)の意向にそって闘うポケモンにならねばなりません。

 この点において、れいわ新選組は大いに参考にすべきです。政党と支援者が近く、共感度が高い。既存政党とは異なるオーラを発揮し、そこに集う主権者が世の中を変えられると感じています。
 山本太郎さんには前回衆院選の際に飯田まで応援に来ていただきましたし、集会などで何度かお話をしたこともあります。問題をご自身で深く突き詰めておられると感じます。太郎さん個人のキャラクター・能力による部分が大だと感じるので、誰でもが真似できるものではありませんが、学ぶべきだと思います。

 ただ、だからと言って立憲民主党かられいわ新選組に乗り換えるべきかというと、そうではありません。立憲民主党を、主権者はもちろん他の野党やさまざまなグループ団体にさらに開かれた政党にしていくこともとても重要だと思います。
 一言でいえば、熟議を重ねる政党です。安直な妥協・合意ではなく、多数決では勿論なく、批判しあい、学びあい、研鑽しあい、考えを突き詰めて深めあっていく。主権者にプロセスが見える形で。これができれば、反目しあうのではなく、違いを乗り越えていくことができるでしょう。その結果、互いに異なっていた考えも、正しいところに寄り合っていくはずです。理想に向けて社会を変えようとする大きな連帯の輪が広がれば、日本の政治は大きく変わるでしょう。

 ご意見をいただいたとおり、立憲民主党にはまだまだ改善すべき点がありますので、内部で努力をしたいと思います。外と熟議を交わすより先に、内部で熟議を積み上げねばなりません。山尾さんにもそうしていただいた方がよかったのではないかと感じます。これがうまくいけば、れいわ新選組はもちろん、他の野党やさまざまな組織とも熟議・連携して、日本をよりよい社会に近づけていくことができるでしょう。

 佐々木さんからのメールは、熟議の機会を与えてくださいました。改めて感謝申し上げます。
 今後ともまた是非ご意見お聞かせください。

草々

佐々木恭治様

2020,4,12     曽我逸郎

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

ご意見お聞かせください。

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新型コロナウイルス 経済対策

 表題の件、なんとかせねばならんといろいろ考えた試行錯誤を、メールニュースで発信しました。ここにも掲出します。

◆ そが逸郎通信 第9号 3/22

 <新型コロナへの緊急経済対策として国民に現金給付するのは間違い>

 新型コロナウイルスによる経済的打撃が広がっています。それに対する緊急経済対策として、自民党は国民への現金給付を検討している、との報を耳にしました。
 これは間違った施策です。

 国民への一律の現金給付は、新型コロナウイルスの影響に苦しんでいる人たちの救いにはなりません。一番困っているのは、旅館などの観光業、飲食店、映画館やコンサートなど人を集めて楽しませる商売です。そこに客足が途絶えてしまったのは、客にお金がないからではありません。病気に罹るのが心配だからです。また、工場の生産ラインが止まってしまった原因は、部品の供給が滞っているからです。したがって、国民に現金を給付しても、客足や部品供給は回復せず、資金繰りの行き詰った人たちを救うことにはなりません。

 国民全体への現金給付ではなく、これらの、新型コロナの影響で本当に困っている人たちに的を絞って対策をとるべきです。大企業の救済は無用。中小零細、個人事業主を対象にして、例えば、簡便・迅速な繋ぎ資金の融資でまずは急場をしのげるようにした上で、昨年(または過去数年)の同時期の売り上げ・利益と今年の実績を比較して、減少分の一定割合を現金給付するといった方策はどうでしょうか。
 個別にはさまざまなケースがあるでしょうから、きめ細かく設計せねばなりませんが、ともあれ、ながらくビジネスを続けてきた人たちが、一時の流行り病のために廃業に追い込まれるなら、経営者や労働者といった当事者のみならず、消費者にとっても大きな損失です。そうならないように、実効性のある対策をとらねばなりません。

 苦しんでいる人たちの救済にはならないのに、自民党は、国民一般への現金給付を新型コロナウイルス対策としてやろうとしています。これは、新型コロナウイルスを口実にして、国民の歓心を買おうとしているのだと思います。選挙にむけた思惑でしょう。極めて大規模な買収行為です。しかも、税金を使った…。福祉を削る時には財政赤字を喧伝するのに、自分たちの選挙のためには、的外れで効果のない(選挙対策にはなる)税金の無駄遣いをするのです。

 今、新型コロナウイルスに悪乗りをして、わざと物議をかもすような施策を打ち出し、やっている風を装う政治家が湧いています。不合理・的外れな思い付きですが、それを指摘・批判されると、「やる気のない評論家はでしゃばるな」と威圧します。自民党が検討している国民への現金給付も、その類だと考えます。

 以上が今回の『そが逸郎通信』の主題です。

 ところで、国民への現金給付と言えば、ベーシック・インカム(BI)もそうです。実はわたしは、BIに大いに期待しています。今の逼塞状態を打開してくれるかもしれないと考えるからです。自民党が検討するコロナ緊急経済対策とBIとの違いについても論じておきましょう。

 BIというのは、条件をつけずにすべての個人に健康で文化的な生活に必要な現金を一律に給付するという考えです。BIの場合は、永続的定期的に現金給付するのに対して、自民党の緊急経済対策は、一回限りの単発です。BIは、一時的な今の救済だけではなく、将来にわたる見通しと安心感をもたらします。それによって、人は、自分はどう生きたいのか、じっくりと考えることが可能になります。贅沢をあきらめれば、自分らしい生きたい生き方を可能にするのがBIです。生存のために意に沿わぬ仕事に縛られることはなくなります。人の嫌がる仕事の対価は、必然的に上がることになるでしょう。勿論、贅沢な生き方をしたければ、BIを受給しながらしっかりと稼ぐことも可能です。
 一時的な「緊急」経済対策とは違い、BIは、人々の人生観、ひいては文明のあり方さえ変える、根底からの変革なのです。

 降ってわいた新型コロナウイルスのずっと前から、日本社会・日本経済は長期的・構造的な問題に陥っていました。
 昨年10~12月の実質GDP成長率は、消費税増税によって、年率にするとマイナス7.1%という惨憺たる結果になっていました。消費増税の大失敗をコロナウイルスが攪拌隠ぺいしたといえます。
 そもそもそれ以前から、株価ばかりが吊り上げられ、「穏やかな景気拡大」と喧伝されながら、実質賃金はマイナス、国民の購買力は失われて内需はやせ細っていました。非正規雇用が当たり前になり、年金もあてにできず(麻生氏の2000万円発言)、将来が見通せない若者は結婚など自分事とは思えない状況に置かれ、その結果、少子化はますます進み、人口減少によって経済は一層縮小するという悪循環に陥っています。これは、ひょっとすると資本主義経済制度の行き詰まりであり、人類の文明史な隘路に一番先に踏み込んでいるのかもしれません。

 これを脱却して、文明史の次の時代を拓く可能性があるのがBIです。人々の人生観・労働観も一変させる根本的な変革になります。それだけに、拙速に実行すればどのような副作用があるか分からず、慎重な制度設計が必要です。(不十分な金額のBIを口実に生存が保障されたとして、福利厚生や福祉、セーフティネットをなくすことを目論む輩もいます。)

 わたしは、自民党が検討している新型コロナ対策緊急経済対策の現金給付に反対し、BIの可能性には、期待しています。

 (BIについては、『ベーシック・インカムは妙案かも』http://mujou-muga-engi.com/b-income/ をご覧ください。)

2020年3月22日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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◆ そが逸郎通信 第11号 3/27

 <新型コロナに対応する生活保障私案 政府通貨+ベーシックインカム的現金給付>

 前々9号(3/22)の新型コロナウイルス緊急経済対策に対する考えに、3通ほど返信を頂きました。どれも賛同のメールでしたが、同時に非正規雇用の皆さんを心配する言葉もありました。

 わたし自身、9号を発信した後、考えが不十分だったと反省していました。事業継続だけを念頭にして、雇い止めされた非正規雇用の方や、不幸にして事業をたたまねばならなくなった経営者やその被雇用者の方々の暮らしをどう支えるか、考えを巡らせていなかったのです。

 今回の大規模な経済縮退に対応する生活支援を、煩雑な手続きの間を置かず迅速に実行するには、条件をつけない国民一律の現金給付は、有効な方法かもしれません。
 折しも、アメリカ上院では昨日、大人一人に1200ドル(≒15万円)、子供には500ドルの現金給付を可決した、との報道があります。
 年収7万5000ドル以下という条件があるようですが、そういった条件の審査に時間がとられるなら、無条件にしてもいいでしょう。コロナ禍が収まった後、とるべきところからその分の税金を集めればよいのです。すべての個人に等しく給付して、とるべきところから税金を徴収するというベーシックインカムの考え方です。

 MMT(現代貨幣理論)の考えからすれば、コロナ対策給付を後から税金で回収する必要も、必ずしもないのかもしれません。また、もし国債を積み上げることの悪影響が危惧されるなら、思い切って政府通貨を必要額発行することも検討できるでしょう。
 (政府が国債を発行して日銀から日本銀行券を利子付きで借り受けるのではなく、政府みずからが通貨を発行するのが政府通貨。現行の日本のお金は、お札は日銀券だが、硬貨は政府通貨。政府通貨の素材や額について縛りはない。政府通貨を発行しても、だれかに返す必要はないし、当然金利も発生しない。)

 勿論、現金給付であれ、実行するにはクリアすべきさまざまな課題があります。窓口で現金を渡すのか、口座に振り込むのか、口座番号の登録をどうするか、住民票のある役場に行かねばならないのか、対象者は日本国籍に限定せず住民票のある人全員にすることでいいいか、などなど。
 しかし、これらはどんな支援策でも工夫して対処しなければいけないことです。やらない理由にはできません。

 今回のコロナ禍からなんとしても暮らしを守らねばなりません。そして、そのために智慧を絞った結果として、コロナ禍以前から現れていた現代資本主義経済システムの行き詰まりを克服する新たな仕組みのヒントが見つからるなら、災い転じて福となる、です。

 (MMT、政府通貨(≒公共貨幣)については、拙ブログ https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ を参照ください。)

2020年3月27日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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