先日書いた「ハイテク農機は農村集落を救うのか」(https://itsuro-soga.com/2021/01/25/)に、いくつもの反響を頂きました。主なものをご紹介します。(受信順)
◆三上元さん(前湖西市長、現湖西市議、「脱原発首長会議」発起人・世話人)
農業者を確保することなら、専業農家に1人年100万円を与える。年収1000万円になったら100万円は支給しない。そんな 農業者ベーシックインカムの制度はどうでしょう。感謝、三上元 拝。
*そがより、三上さんへ
先日のYouTubeインタビューでは、良いお話をたくさん聞くことができました。ありがとうございます。(https://www.youtube.com/watch?v=AX_FoYRUKfY&t=20s)
また今回は、大胆なご提案を頂戴し、感謝いたします。これくらい思い切った政策がないと、農山村集落の疲弊は食い止められませんね。
大規模農業ではなく小規模家族農業に十分な手当てが届くような制度設計、兼業農家や、また農家でなくとも農山村でのびのびと暮らす人たちが増えるようにするにはどうすればよいか、などいろいろ考えねばなりません。
経営コンサルタントのお知恵を頂ければ幸甚です。
◆山住 岳さん
全く同感です!農業機械が高価なのは現実を見れば分かります。機械の為に兼業を行い給与から機械のローンを払っている農家が多いのも事実です。又、ドローンもGPS搭載機の自走式農業機械についても同様です。労働軽減の為や人手不足の為に機械化することは否定はしませんが、そのことが疲弊した農業や集落を救うなどと考えるのは本末転倒です。大事なことは農林漁業の一次産業は国の主柱です、集約農業や大規模農業そして機械化農業のみを優先する政治や政治家の「ものの見方」ほど怖いものはありません。限界集落や中山間地での農林業の多いこの伊那谷にあった農林業のあり方+生活+コミニュティ作り=風景や文化・生きがいと考えます。次世代に残すのはドローンではありません!
1・26 山住 岳
*そがより、山住さんへ
ありがとうございます。確かに、農地のほとんどが不整形で高低差のある伊那谷ではどうがいいのか。仰るとおり「生活+コミュニティ作り=風景や文化・生きがい」についてもしっかりと考えて取り組まないと、安直なやり方では、かえって農山村の暮らしを破壊することになりそうです。
◆桂川雅信さん
曽我さん
日本農業をこれからどうするかといった考え方には賛同するところ大ですが、農業の機械化(スマート化)に対する下記の記述は一面的で反発もでると思います。
「しかし、これを農業政策の柱に据えれば、かえって日本の農業は疲弊する。補助金をつけるのだろうが、農家も負担させられるに違いない。結局のところ、農業 機械メーカーを潤すだけ。これまでと同じだ。省力化だけを推し進めれば、農村集落の高齢化・人口減は、ますます悪化する。」
そもそも、高度成長期も農村から人口が流出してそれを支えたのは農業の機械化でした。100人の仕事を10人でできるようになりその分の労働力を都会がぶんどったわけです。
いまも同じしくみでスマート化はその面を強く持っていることも事実です。
しかし、家族農業を支えた小型農機もこの50年間の発展の成果であり、このことで家族農業が崩壊せずにすんだ一面もあります。中川村のように中山間地では今はやりの大型機械のスマート化は不向きですが、小規模な斜面でも活躍できる小型農機のスマート化は今後若者が就農する上でも大切なツールになるはずで、それはそれで開発が必要です。
私は一昨年農業機械のスマート化の研究者の勉強会に参加してきましたが、途上国でも研究が進んでいることや、県下でも小規模な果樹農家の花ツケから収穫までのスマート化の研究が始まっています。
技術開発そのものを農村文化の継承と対立的に考えるのは、多少無理があるように思いますが。
「農家への個別所得補償や就農支援を手厚くすべきである。学校給食の食材に有機作物を補助推奨する制度によって、安全安心な食の提供を志す地元農家を支援し、有機農業を拡大することも、国内農業育成など、いくつもの成果をもたらす。」というこの提案と、小規模家族農業がAIを駆使した小型機械を使いこなすことと、矛盾するように捉えるのは固定的な感覚の世界ではないでしょうか。
◆桂川さん 2通目
曽我さん
私の意見をホームページに本名で掲載していただいてもかまいません。
私の本心は曽我さんの「農業出荷額や生産性を高めることではない。農村集落の暮らしを守ることだ。」と書かれたことに違和感を持ってのものですが、これを書き始めると長くなるのでこのような表現にまとめたものです。
農業は生産性を高めるように努力するのが、私は本来の姿と思っています。
農業生産力が高まり、地域と国民に十分な食料を提供できるようになれば、余った時間で農民も自由な活動が可能になるからです。農村文化もそのような中で育てられたものと私は理解しています。
*そがより、桂川さんへ
舌足らずだったかもしれません。わたしは、農業の機械化を一律全面的に否定するつもりはありません。わたし自身、ビーバー(エンジン式草刈り機)やチェーンソーの恩恵に預かっているのですから。
申し上げたかったことは、ハイテク最新農機導入を補助して農業の省力化を進める政策だけであれば、中山間地の農山村の疲弊はさらに進むということです。実際のところ、これまでコンバインなどの大型機械が導入されてきましたが、それによって豊かな農村文化が育ったでしょうか。逆に、伝統のお祭りさえ継続が難しくなっているというのが残念な現状です。伊那谷のとある地域では、江戸時代から続くお祭りの踊り手が高齢化で地元の人ではできなくなり、移住者が所作を教えてもらってなんとか引き継いでいる、という話を聞きました。
単純に農業生産高を増やすだけではなく、農山村の、農業だけではない、個性ある文化に彩られた豊かな暮らしが末永く引き継がれていくようにしたいというのが、わたしの思いです。
中川村には、工芸作家やミュージシャンも含めて多様な人たちが集っていて、ありがたいことです。伝統の上に新しい文化が重ねられていけば、とても素晴らしい。日本中の農山村を、誰もがのびのび生き生きと暮らせる場所にしたいと思います。
返済の重荷にならない安価な機械が、重宝なツールとして兼業農家を含めた小規模家族農業を助けてくれることは大歓迎です。
農村共同体の暮らしが、経済的にも時間的にも精神的にもゆとりのあるものになって、その一員になってくれる人が増えるような方策を模索したいと思います。
◆依光隆明さん(朝日新聞諏訪支局長)
朝日新聞の依光です。
最近、大規模農業について考える機会が増えました。
理由の一つは八ケ岳山麓へのメガファーム計画です。
いろいろと考えさせられる中でネットに原稿を書きました。参考に送ります。
もう一つはメガソーラーの原稿です。これも通底するものがあるように思います。
大切なのは地域の資源を生かして地域完結型でやっていくことだと思います。
メガばやりの時代だからこそ、そのことが求められているように感じます。https://withnews.jp/article/f0210108000qq000000000000000G00110701qq000022308A
http://www.leadersnote.com/publicof/opinion010.html
*そがより、依光さんへ
ありがとうございます。
拝読して、『人新世の「資本論」』が言うところの、「資本主義は貪欲に成長(資本の成長=儲け)を追求して、コモンも環境も破壊する」の典型的な事例だと思いました。
実は、『人新世の「資本論」』は、そういう原理的な把握は正鵠を射ていると思うものの、ではどのように脱成長のコミュニズムを実現するか、については、弱いと感じています。
先日、とある勉強会に出席したところ、参加者から、「RBAという企業倫理規範で取引先の外資から厳しい改善指示を突き付けられている。資本主義においても実効性のある改善は行われている」との意見がありました。
「それは、安定的に儲けを得るための手段にすぎないのでは」と思いつつ、その具体的かつ網羅的なルールと比べると、資本主義を原理的に批判する側の議論は実効性においてはなはだ弱いと感じざるを得ません。
『人新世の「資本論」』は、選挙や議会政治にまったく期待していません。しかし、コモンや環境を守るためには、実効性のある法律が必要であり、そのためには、そういう法律案に賛同する議員を多数国会に送り込まねばなりません。社会運動と議会制民主主義や政党との連携を強めねばならないと考えます。
とはいえ、資本主義の超克までを議会政治によって実現できるのか。いまさら暴力革命ではなかろうし、資本主義の限界が見えてきた中、どうするべきか、もやもやしております。
今後とも現実に足をつけた視点からご批判頂きたく、宜しくお願いいたします。
◆市川達人さん
曽我さま
通信への感想を書かせていただきます。
宮下氏の農業政策は、農業機械化の新たな段階、つまり情報機器を駆使した農業が農業振興の鍵だという考えです。これはもちろん自民党の考えでもありますが、すでに平成28年1月に閣議決定された第五期科学技術基本計画で打ち出されたsociety5.0構想のなかに位置づけられていたスマート農業の方向でもあります。私は昨年末、近くの農地で「スマート農業講習会」なるものがおこなわれているのを通りすがりに見ました。
確かに省力化や多収穫などの成果は期待できるかもしれません。しかし、スマート農業の方向は、農業の工業化・大規模化をすすめ、農業機械企業や、種苗資本、肥料や農薬などをつくる化学資本を潤す一方、小自営農業を追い詰めていきます。これは農業を食糧生産機能に一元化し、農業が担ってきたもう一つの役割、つまり環境や自然の保護機能を無視し、国土と地球自然の一層の略奪をすすめるものです。この地球では先の大戦終了後、先進国の巨大資本指揮の下、「緑の革命」などというものが途上国で推し進められ、途上国の従属化、自然の破壊などを生みだしてきました。スマート農業は、同種の誤りを情報革命の名の下に繰り返すものであり、「未来は明るい」などといえるものではないと思います。
*そがより 市川さんへ
ありがとうございます。また先日の勉強会では、良い刺激を頂戴し、感謝いたします。
ご意見、おっしゃるとおりです。機械や農薬、化学肥料などによって農業を効率化、省力化することは、目先においては農業を助けるように思えるものの、結局のところ長期的には、コモンが囲い込まれ、資本が提供する工業製品に頼らざるを得ない農業になり、そういった資本に農村からお金が流出していく構造に陥ってしまいます。
今、農産物価格の決定権も流通資本に握られ、「農業は儲からない」とされ、お金のみならず人も流出し、ますます機械や化学製品に頼らざるを得なくなっています。一部の大規模農業しか生き残れず、農村集落は文化や伝統を引き継ぐ力を失っています。
一方、近年海外では、除草剤耐性の遺伝子組み換え作物など、効率重視の農業で生産される作物の安全性への不安が広がっています。店頭には、加工食品でもBIOとかオーガニック認定マークをつけたものがたくさん並んでいます。
韓国では、学校給食の食材を有機にすることで、有機農業に取り組む農家を支援し、また有機作物マーケットの土台を作り、学校給食以外にも広げていこうとしているそうです。安全性によって輸入作物に対峙しようという考えです。
逆に日本では、海外の大規模農業の効率重視の生産や、輸入搬送中の防カビ処理の都合などに配慮して残留農薬基準がどんどん緩められてきました。安全安心で栄養価も高い作物を評価する声が消費者の間にもっと高まれば、と思います。
このような取り組みは、小規模家族農業への応援にもなります。そうなれば、農村集落の活力がよみがえり、のびのびと農村で暮らせるようになるでしょう。