「国旗に一礼しないわけ」へのご意見

 先日配信したメルマガ『わたしが国旗に一礼しないわけ』(https://itsuro-soga.com/2021/05/02/)に頂いたご意見です。
 わたしからの返事も添えて、ご紹介します。

◆ 2021,5,2 林宗吉さんから

曽我様;曽我さんの考えを支持します! 私は会議・式典の時に挨拶する人がやたらとペコペコすることは見苦しいと思っていました。それから中学校で式典開始時の「全員起立・・・礼」というのも絶対的なものに対して(神道の神みたいな存在に対して)ペコするようで嫌でした。と感じつつ2回に1回くらい周囲に合わせていますが。
祝日等に自宅で国旗を掲揚する人は少なく龍江でも数えるくらいしかいません。私は自宅で国旗を掲揚する少数派です。自宅で国旗を掲揚しない人が式典の時だけペコしてもしょうがないと思います。それ故に自分が式典でペコしなくても、他人から文句を言われるすじはないとの理屈をつけています。
私は龍江で民生委員をしています。会議の始まりに全員で民生委員の信条を唱和しています。これは日本中の民児協がやっていることと思います。公の催事の冒頭で憲法を唱和したら素晴らしいと思います。R3.5.2林宗吉

(HPへの掲載の可否を尋ねたわたしのメールへのお返事)
曽我様;私の文章で良かったら好きなように使ってくださり構いません。また名前・住所が出ても構いません。R3.5.11 林宗吉
 P.S.私は20年来、葬式で黒い服を着ないことにしています(いざというときに皆に同調しない訓練と思っています)。結構勇気が要りますが、日の丸が私を支えてくれました。

◆ そが逸郎より
 ご意見、ありがとうございます。
 多分どこの自治体もやっていると思いますが、中川村では、新規に採用となった職員は、初登庁の朝、憲法を順守する旨の宣誓をします。非常勤特別職である消防団員も同様です。
 しかしながら、唱和などはしていないので、代わりに『憲法手帳』という小さな薄い冊子を一括購入して、消防団員を含めた全職員と毎年の新入職員に配布するようにしました。今も続けてくれていると思います。
 公務員だけでなく、すべての主権者が、折にふれて憲法を振り返ることが大切だと考えます。

◆ 2021,5,2 青野豊一さんから

そが様へ
 香川県の青野です。素晴らしいことが書かれていると思います。また、そが様の誠実さが感じ取れる文章です。
 私は4月の29日まで、毎日筍掘りをし、出荷していたので、今日は昼から休息をしています。身体の疲れをとり、また元気になるために、・・・。

 さて、国旗・国歌についてやかましく言う人たちは、実は、日本のことなど真剣に考えていない人たちなのです。人を攻撃するために、このことを利用している人たちなのです。

 29日の毎日新聞の19面の一番下に、「緊急事態宣言と日本病」という記事が書かれていました。そのことについて、大阪の知人から、以下のような返信をいただきました。ぜひ、お読みください。

青野様
毎日新聞の記事は読みました。
類した話は,山ほどあります。太平洋戦争前から大戦中にもまだまだありました。ノモンハン,ガダルカナル,インパール,特攻・・・。多くの人が死に追い込まれました。
1970年代に話題になった「プロジェクトX」は,会社で新しいことをしようと提案しても頭の固い経営陣にはじかれ,隠れて開発して成功することが美談になっていました。失敗したケースでは,完全に左遷だったでしょう。
日本人の何がそうさせるのか,日本人特有の性質なのか,考えたことはあるのですが,ほとんどわかりませんでした。
民主党政権はダメだったといわれ,いまだ支持は低迷しており,2党政治は実現していませんが,国会で118回もうそをつき,まじめな官僚を自殺に追い込んだ人間がいまだ表立って活動し,当時「その指摘は当たらない」とかわしていた官房長官が首相になってコロナを何も解決できない。その政党の支持率が高く,現首相の支持率が40%もある。
国民は支持しているのです。加藤陽子氏の「それでも日本人は戦争を選んだ」は「戦争」を「自民党」に置き換えると脈々と生きています。どうすればいいのでしょうか。

 このことについては、以下のように返事をしました。
青野 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いろいろと思い悩むより、要は、私たちの社会に、社会的運動がなかなか成立しないためです。
 すぐ、足の引っ張り合いをして、自分が少しでも傷つくことを嫌うのです。これは、どうしてか、・・・。答えは、なかなかでません。
 でなくても、良いのです。まずは、何かをしていくことです。もっと言えば、「中間団体」がなくなるか、力が弱ってしまったためでしょう。例えば、労働組合活動の低迷、農協の影響力の低下等のことが、すぐ考えられます。
 まずは、いろんなことを企画して、実践してみましょう。

◆ そが逸郎より
 仰るとおり、おかしな空気の圧力がわたしたちを息苦しくさせて、活力を奪っています。しかし、その空気は、わたしたち自身が、無用の「忖度」で補強しているのではないでしょうか。
 まずは自分からわずかでも踏み出すのが大事だと思います。
 厚い氷でも、小さなひびが入れば、そこに水が流れ込み、氷は少し弛みます。みんなでそれを広げていけば、割れ目は広がり、後の人は自由に動き回れるようになります。
 のびのび溌剌とした世の中にしたいので、わたしは、敢えて物議をかもす発言をして、小さいながらも砕氷船になりたいと思います。

◆ 2021,5,2 三上元さんから

誇れる国でない、とは今の政権のやり方がまずいと思うから、ですね。
トランプ大統領のやり方がまずいと思うから、として半分のアメリカ人が国旗に礼をしない、アメリカ人はそうはしません。この国を誇れる国にしたいと思ってアメリカ人は礼をします。
自民党のやり方には賛成できない、国旗は日本国を指します。誇れる国・日本にするために日本国に、国旗に向かって私は礼をします。
汚染水を海洋放出する、漁民と交わした約束を破って、実施する国では他国から尊敬されません。そんな国を変えようと思って国旗に礼をします。
そんな私です。三上元 拝。

◆ そが逸郎より
 ありがとうございます。
 わたしのは、政権への反抗というより、空気への反抗です。
 米国だと、例えばプロ・フットボールの選手が、国歌斉唱の時に膝をついて差別などへの抗議の意思を示します。勿論、批判されたり、圧力はあるでしょうが、それでも日本よりは意思表示の自由は尊重されていると思います。それが米国の強さでしょうし、うらやましいところです。
 「国旗に(形だけでも)敬意を示せ」という空気の圧力があるうちは、それに(形だけ)従うことは、空気を強化することになると思うし、日本社会の自由闊達な活力を押さえつけることに力を貸すことになってしまうので、わたしは不服従でいようと思います。

◆ 2021,5,6 市川達人さんから

感想です。 
 「国旗に一礼」問題。攻撃材料になりそうですね。与党陣営のみならず野党の中にも、また立憲民主党の中にも、眉をひそめる人々がいそうです。選挙には不利になりかねないこの問題への揺るぎなき姿勢を改めて表明する態度、ご立派です。選挙運動には、票を集めるための言葉が不可欠ですが、自分の信念を曲げてまでの言葉は詐欺瞞着に他なりませんよね。
    国旗が設えてある場にいることと、その国旗に敬意を示すこととは別なことであるはずです。それは日本国に住んでいることと、その日本国の今に対し敬意を示すこととは別のことであるのと同じです。そこに国旗があるからそれに敬意をはらえというのは、それが外形的なもので終わるのなら、かえって国旗ひいては国に対する侮辱でしょう。
 日本社会はよそ目(世間体)を気にする社会です。内面よりは外見を重視します。外見が内面の印とされ、形式が満たされればそれ以上は問わないということです。江戸時代キリシタン弾圧に使われた踏み絵はその一例でしょう。今回のコロナ騒動でのマスクをめぐる状況にもそれがみられます。マスク装着の意味を本当に理解納得してそうしている人は少なく、つけていないと気まずいとか、非難をこうむるとかの意識でつけている人がほとんどと見受けます。これがいわゆる日本的同調圧力のメカニズムでしょう。曽我さんが紹介された感動的にあけすけな面従腹背のすすめ、「村長たるもの、心の中で舌を出していてもいい。外見上では、国家への敬意を示せ。」は、この力学の正直な告白です。一般に面従腹背は、「ぼろは着てても心は錦」というように腹に重点が置かれますが、この言い分では面従こそが大事だとなっています。
 しかしこの力学は、やがて内面の萎縮、外面による内面の支配をつくりだします。心の中で舌を出すこともできない状態を生み出します。日本は戦前こうした結末を経験しました。憲法の文章は、そうした経過への反省を踏まえて生まれたものですよね。とはいえ、国旗への一礼を欠く行為は、強い抵抗にあうでしょう。それに耐えて、信念を貫かれることを期待します。

◆ そが逸郎から
 いつもありがとうございます。
 同意です。面従腹背は、端的に言って<ずるい保身>だと思います。
 面従腹背は、支配への加担です。他の人たちへの空気の圧力が強まります。
 嫌なことには「嫌!」という普通の感性が大事です。憲法12条が国民に求める「自由と権利を保持するための不断の努力」とは、突き詰めれば、嫌なことには「嫌!」ということです。それがみんなを自由にします。自分を殺す必要はありません。

◆ 2021,5,7 中島宏暢さんから

 国旗に向かってお辞儀をしない村長さんについてのご高説、私は全面的に賛同致します。
 世界にはそれぞれ国ごとに国旗を持っていますが、それは単なる看板ですから其れに向かってお辞儀などする必要はありませんね。何かのイベントのステージに国旗など置く事も無意味だと思いますが、戦前からの習慣で抵抗も感じず何気なくやっているのですが其れに問題を感じる人は極めて少ないですね。
 国家権力が、「国旗・国歌」「愛国心」「天皇」等に対して国民の意識を強く求めるのは、その先には戦争への世相や、個人の意識を向けさせる「道具」として利用する目的である事には十分警戒が必要かと思います。曽我さんは、世の風潮がどうであれ、それを恐れず信念を持って行動されるのは大変大切な事だと思います。
 今回のご意見に限らず常に国の将来を見つめたご意見を多くの人に訴え続けておいでておいでる曽我さんに比べれば、○○○○など何の見識も無いように思います。
 次期選挙には何としても勝ってほしいと願って居ます。

◆ そが逸郎より
 わたしは、みんなの力で日本を誇れる国にすることができたら、国旗に誇りを持って敬意を表したいと思います。日本を誇れる状態に保てるように。
 「誇れる国」とは、憲法前文で誓ったとおりに、世界中の人々の苦を減らすために「全力を挙げて」努力する国です。
 果たして、日本をそういう国にすることはできるでしょうか。
 「国家の名誉にかけて」誓ったことです。頑張るしかありません。

2021,5,18
#そが逸郎立憲民主党長野5区総支部長

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