『そが逸郎通信』他で述べた「責任ある脱原発」にたくさんのご意見を頂戴しました。そのいくつかと、それを読んで考えたことを掲出します。
ご意見を頂いた方々の掲出許可は頂いていないので、イニシャルもしくはペンネームにしました。本名(またはペンネーム)にしてよければ、その旨ご指示ください。
FHさん 3/8
曽我さんのおっしゃることは大切なことと私も考えます。
そのことを踏まえて原発を考える時に、推進派原発ゼロ派を問わず、まずは東京電力福島第一原発事故の総括、現状の把握(議論)が大切なことだと考えます。
奇しくもこの11日は事故から10年です。
今、福島はどんな状況でしょう?
あべ前総理は世界にアンダーコントロールと嘘つき東京五輪を誘致しましたが、コロナ禍と相まってる、マジで五輪できてるんですか?
先日あった地震の影響で、東京電力福島第一原発1、3号機で原子炉格納容器の水位が低下してると言うが大丈夫なの
ところで、高レベル放射線物質の最終処分場はどうなってますか?
また、プリサーマル計画ももんじゅが一度も商業発電しずに廃炉をが決定し頓挫している中、各原発の核のゴミの保管容量が、数年で一杯になるらしいが、どうするんですか?
除染作業で出た廃棄物はどうするんですか?
地元の方は中間貯蔵施設が最終処分場になるんだろうって、あきらめてるようです。
そんなことを思わせること自体が許されることがないはずだが、どう考えているのでしょうか?
先日このような状況下で、東京電力のトップが脱炭素において原発稼働が必要とか言ってました。なぜ、そんな発言ができるのですか?
そんな発言を許して置いていいのですか?
2021/3/11 #311福島を忘れない!
原発事故を自分事として、できる時に、できることをする。
私は事故発災時刻にスタンディングします。
そが逸郎より
原発ゼロのたくさんの理由をあげて頂きました。仰るとおり、原発がもはや不可能なことは明白です。東京電力原発大人災の後においては、原発を続けるかどうかは、議論すべき問題ではありません。原発をやめるのは当たり前の前提です。議論すべきは、原発をやめるにはどのような課題があるのか、それをどのように解決するのか、だと考えます。どうすれば課題を迅速に克服できるのか。それに取り組まねばなりません。
ところが、同じように課題を論じながら、それによってさまざまに理屈をつけて、少しでも長く原発を延命しようとする人たちがいます。
なぜそんな発想になるのでしょうか。利権なのか、あるいは諸外国から掣肘を受けない配慮をしつつ、いつでも核兵器を製造できるようにプルトニウム生産体制を保持するためか?
(外務省内部文書)「核兵器については,NPTに参加すると否とにかかわらず,当面核兵器は保有しない政策をとるが,核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する。」
原発を延命するために課題をあげつらっているのか、原発を迅速になくすために課題を洗い出しているのか、主権者は見分けねばなりません。しかし、それは難しくないと思います。主権者は、この違いを見分けて、原発をなくそうとする側を国会に送り込んで頂くことを願います。

3・11は、駒ケ根の皆さんに混ぜて頂き、わたしもスタンディングをしました。手にしているメッセージ・サインは、@okinatsuさんデザインです。
NMさん 3/9
脱原発のお考え、読ませていただきました。現実は、その通りだと思います。ただし、いずれ、無くして行く方向で、というのは、現政権もよく口にしていますね。帰還困難区に故郷を持つ方々が、無気力病と訴えている現実に寄り添い、再稼動している原発の流れは、止めるべきだと思います。ドイツは、日本の惨状に学んで、脱原発の道を確実に歩んでいる様ですね。日本が中々進まないのは、なぜでしょうか?
そが逸郎より
上のFHさんへの返信に書いたように、原発をなんとか延命させようとする人たちがいます。その理由は、自分たちの利益なのか、核兵器開発のポテンシャルの保持なのか、他にもあるのか、分かりません。おそらくそれらがないまぜになっているのでしょう。その連中が世の中を支配する側に座っていて、利益のおこぼれで一部の人たちを操っているのではないかと思います。
NSさん 3/9
脱原発は必至だと思います。ただ、原発に替わるべきエネルギーとして太陽光、風力、地熱(特に火山国日本ならでは)等々の自然エネルギーの技術的な実用化に向けた話があまり進んでいないような気がしますが(私が知らないだけかもしれませんが)、これらの研究推進に対する企業や大学など研究機関に対する国の支援(金)っていうのはやってるんでしょうか? それとともに脱原発の代替エネルギーの早急な実現のためには産学官連携開発の充実が必要だと考えます。
そが逸郎より
わたしは、「日本で最も美しい村」連合の一員である中川村の村長として、温泉水を消費しない純水循環式の地熱発電を大分で視察しました。他にもさまざまな研究は行われてはいます。しかし、資金や法制度の整備など、支援はまったく不十分だと思います。
原発・化石燃料から自然エネルギーへのシフトは、政策として進めねばなりません。にもかかわらず、原発を守るためか、自然エネルギー活用への研究や投資は、抑え込まれてきたと感じます。その結果、太陽光発電など、日本はかつて世界の先端にいたのに、今ではすっかり後れを取っています。
「日本で最も美しい村」連合では、南ドイツ、オーストリアの村々の自然エネルギーの取り組みも視察しました。地域が経済的に疲弊しているのは、エネルギー(石油・天然ガス)の購入で地域のお金が外に流出しているせいだと分析し、エネルギーの地域自給のためにバイオエネルギーの活用に取り組んでいました。国からの資金的、技術的な支援もあり、集落内の熱供給や発電の自主運営によって、地方自治・民主主義の根付きにも一役買っていて、感銘を受けました。
日本でも政府の積極的支援があれば、様々な取り組みが広がると思います。
SKさん。3/9
見出しだけとは思えない発言でしたけどね。使用済み燃料の再処理も目処が立っていないから?という謎理由で直ぐには難しいと言っていたと思いますから、後退した印象を与える結果になったのだと思います。原発ゼロへの方向性を堅持するための継続的な努力を続けて行かなくちゃなりませんね。
そが逸郎より
わたしも、枝野代表の発言は、みずから必要以上にハードルを高くして、「簡単ではない、すぐにはできない」と言い訳をしているように感じました。
「電力会社の経営上、原発の資産価値を維持する必要がある」というのは、国民の納得できる理由にはなりません。電力会社の経営に問題が生じるなら、原発をやめたうえで、それへの対処を考えるべきです。
「政権をとったら、原発の新規建設は勿論、再稼働はさせない」と約束するだけで主権者の皆さんは安心できると思います。その上で、「それによって生じるあらゆる課題を全力をあげて克服する」と約束し、真摯に努力し着実に進めていく。現時点では、そうとしか言えないし、そうでなければ、脱原発の本気度を疑われることになります。
都会のキリギリスさん 3/9
「脱原発」へ向けた転換は、そうは言っても実際困難ではないかと感じている方も多いと思いますが、しかしリーダーが変わり、舵さえ切ればドイツ同様に10年でまともな知性を取り戻す潜在能力は日本人にあるはず。
Z世代と呼ばれる私の周りの若者と接していると、それを実感して希望が持てます。特に倫理に強い関心を持っている若者が多く、なかでも女子の方が顕著で、世界の中での日本の立ち位置と、問題ごとへの理解力が高くて驚きます。その彼女(彼)たちを抑え込む蓋さえ取り除けば、「脱原発」への転換をはじめ、憲法9条に書いてある「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し~」の言葉通りの、世界の中でのポジションを獲得することができるのではと、ひとり期待と妄想を膨らませています。
その為にはまず重そうで、でも持ってみたら「あらこんなに軽かった」”蓋”を取り除く為に、あえて重そうな蓋を持ち上げてみる。観念的な言い方ですがそんなイメージを持つことで、嫌な人にも接することのできるユーモアの気持ちが生まれるかもと思っています。対話の糸口という意味ですが。
都会のキリギリス
”蓋”とは言わずもがな、家父長制度であり、意地悪じいさん政治であり目の前の夫婦別姓問題です。
そが逸郎より
仰るとおり、普通の当たり前の会話として議論や批判ができる風土を育てていかねば、と思います。そのためには、敢えて物議をかもすくらいの勢いでまっとうな主張をすることでしょう。発言を押さえつけようとする圧力にあらがうことが大切です。女子たちと共に、意地悪じいさんにあらがって蓋を押しのけるジイサン・オヤジでいましょう。
TIさん 3/12
フクシマでの事故が起きて10年が経過しました。大震災と合わせて、改めて災害や事故の意味や教訓を考えようとする企画が盛んです。
でも残念ながら10年の歳月は、当時の衝撃の記憶を少しずつ弱めてきてしまいました。事故が起きたとき、日本中いや世界中が震え上がりました。私の名古屋の知り合いなどは家をたたんで沖縄に逃げようと準備をしました。街々から明かりが消え、省エネが日本を包みました。あれから10年、たしかに脱原発の世論は圧倒的です。にもかかわらずこの国をリードする位置にある人々は、あの時の衝撃を忘れ去り、原発にしがみつく姿勢を強めています。また原発政策が野党共闘のネックになっているということが報じられています。予想されたこととはいえ、これも原発への風向きが変化してきたことの現れかもしれません。
そんななかで、何を訴えたらよいのか。私は、原発を含めて核エネルギーという途方もないものを人間が呼び出し利用しはじめたということ――この「途方もない」は程度の表現ではなく、コントロール不能の巨大ものという意味です――、このことをいかに多くに人が自覚していくか、これが鍵だと考えます。
これとかかわって私は最近、核利用をリスク概念の下で論じることから脱却するべきではないかということを考えています。リスクという言葉づかいには、「危険が予想されるが、必要なので止めることはできない」、加えて「危険は努力によってゼロに近づけることができる」という含みがあると思います。いま、原発事故の改めての検証が盛んにおこなわれ、新事実も明らかになってきています。原発が現に稼動している状況下においては確かに必要な作業であるとは思います。しかし、この検証がリスク概念にそって「あの時、ああしていれば防げたはずだ。これからはもっと注意して使っていこう」という結論を許すことになっているのではと懸念しています。
改めていいたい。核は人間の能力を超えた存在であり、それをコントロールできると考えるのは間違いであると。核はもともとあってはならないもの、もってはならないものです。ですから、「原発をやめるのは簡単じゃない」などとまずは言い始めてはいけないのです。最初に来るべきは「原発をなくそう」です。あってはならない十分な理由があるのですから。もちろん、困難も十分予想されています。でもそれはなくそうという意志があるからです。ゼロ目的に向かう努力があるからです。この目的が薄くなると、困難も消えていきます。こうして、困難を理由とした、目的下ろしが始まります。
そんなことにならないことを願っています。
そが逸郎より
仏教の言葉を使えば、人間はすべからく凡夫であり、必ずミス・間違いをしでかします。なので、取り返しのつかない甚大な被害を世界にもたらす可能性のあることには、手を出さない自制が必要だと思います。
しかし、リスクがあってもうまくやれば儲かると思う人たちは、自分の目先の利益のために前のめりになります。そのために様々に暗躍して税金の投入もさせる。その一方、失敗したときには、たいした責任はとりません。せいぜい自己資産の範囲の賠償であり、大抵はそれさえも行われません。結局のところ税金でしりぬぐいをせざるを得ないことになります。
であれば、ことが起これば税金でしりぬぐいをするという決議をあらかじめ下さない限り、事業認可は許されません。そんな認可を国民が了承するでしょうか。この意味でも原発の再稼働はできることではありません。
MNさん 3/12
貴党の中には、「すぐには止められない」という議員と「すぐに止めるべきだ」という議員の二派が混在するわけですね。貴党の支持団体や支援者にも二派がいるのでしょう。そのような状況下で、二派が熟議される場がこれまでにあったのでしょうか? あったのだとしたら、どのような議論が展開されてきたのでしょうか?
そが逸郎より
熟議かどうかは評価が分かれるかもしれませんが、当然議論はあったと思います。コロナもあって、わたしは東京へは行けていませんし、東京の本部からはたくさんのメールが来ますが、正直に申して全部には目を通せていません。ですので、わたしには確たることは言えません。
少なくとも、末端の総支部長を交えて、原発にテーマを絞った議論には、わたしは参加していません。いつ解散総選挙があるかもしれないという中で、政策の熟議より選挙対策が話題の中心になりがちというのは、望ましいあり方ではないと思います。
しかし、政党の内部でよりも、主権者と、あるいは主権者同士で熟議が交わされることの方が重要であって、その意味では、このように皆さんと意見交換できることは、大変ありがたいことだと感じます。
実は、今、懸念していることがあります。
長野県の参議院補選において羽田次郎氏を市民と野党の統一候補とするための政策協定が取り交わされましたが、そこに謳われた脱原発や日米同盟偏重の是正が、外部の一部の人たちから問題視されています。
立憲民主党がそれに屈して、内部にまで圧力をかけることにならないか。
わたし自身は、脱原発も日米同盟偏重の是正も正しいと考えます。仮に立憲民主党が党としてそういった外部からの意見に妥協する動きがあったとしても、内部から押し返す声をあげたいと思います。意見の違いで分裂してどんどん弱体化していくというのが、サヨクの悪しき伝統だと考えるので、できる限り内部にとどまり、意見を述べていきたい。しかし、万一、りっけんに留まりたければ、脱原発や日米同盟是正、もしくはわたしの譲れない部分で妥協せよ、と言われたら(踏み絵を強要されたら)、離れるしかありません。
ひょっとするとその可能性があるかもしれないことは、当初から想定していました。小池新党の踏み絵事件があったからです。
立憲民主党から長野5区総支部長の打診を受けたとき、当時の県連に提出した文書(2019年3月12日付)には、このような一文を書いています。
万一、改憲や安保関連での妥協、原発再稼働容認などの動きがあったとすれば、同調できない。除名離党も致し方ない。
人々の苦を減らしていくために立憲民主党が尽力するように、ぎりぎりまで内部で努力していきます。それこそが立憲民主党の掲げる「ボトムアップの政治」だと思います。