国家・政党などについて 『人新世の「資本論」』

市川達人さんから頂戴しました。

■曽我さんへ

『人新生の「資本論」』についての感想、興味深く読ませていただきました。残念ながらこの書は読んでいませんが、斎藤孝平氏はこのところ私も強い関心をもっている思想家です。その思想については、対談集『未来への大分岐』と、新聞、雑誌、テレビなどでの発言をつうじて知っている程度ですが。氏のマルクス理解、歴史と文明への視点、またこのところのグリーンニューディールの主張には刺激を受けています。久しぶりに元気のよい、コミュニズムの思想家が出てきたなと感じています。

さて曽我さんの文章への感想、とくに国家と政党というテーマについて若干考えるところを書かせていただきます。

■国家について

曽我さんは、国斉藤氏は家の役割について否定的ではないかと批判されています。私の知る限り確かにその通りです。彼は新自由主義に対抗する思想が福祉国家の再来を狙う方向に進んでいることをハートと共に批判し、国家でも市場でもない共同性の追求を語っています。その基盤となるものが「コモン」です。それはオキュパイ運動が狙う小さな共有地から、地球的環境までおよぶものです。これを政治運動の中にどのように具体化するか、その際国家には期待できる役割があるのではないか、曽我さんが気にしているのはそのことだと思います。

私自身、明確な考えをもっているわけではありませんが、日頃様々な社会問題に直面したとき、どうしても国家の時代をどう終わらせるかを視点として考えてしまいます。この国家とは私にとっては資本主義と二輪の輪になって近代をかたどってきた主権国家あるいは国民国家のことです。かつてマルクス主義は国家の死滅ないし廃止を唱えていました。しかし国家は思われる以上に図太い存在です。グローバル化が進んだ今でも、わたしたちの生活は生まれてから死ぬまで国家まみれであって、国家なしには成立できません。またグローバル資本主義も、国家の閾を低くしながらも諸国家の分割を基礎にしています。だからこそ、トランプ、ジョンソン、プーチン、習近平のような国家ファーストの指導者が現れてくるわけです。やはり国家には真剣に向きあう必要があります。ただ私の場合もその向き合い方は概して否定的であって、フーコー的な権力批判をネタ思想として終わっているところがあります。国家の側から次々と打ち出されてくる政治改革や政策、経済的対応や施策を、市民という個人の側から批判し、国民というまとまりのなかに取り込まれないこと、これが私の基本姿勢です。しかし、それでもなおいわれてみると、国家を使っていかなる抵抗ができるかは考えるべきですね。今日の左翼にとっての国家の積極的意義とは、これを問題提起として受け取りました。

■政党について

      「主権者に使われる政党」、「主権者と議論する政党」。いいですね。

しかし、同時に主権者のことが気になります。わたしたちは本当に主権者たりえているか。政党を使おうとしているか、使う能力をもっているか、議論を望んでいるか、などです。斉藤氏はこの種のテーマを「政治主義の罠」という概念で触れています。「罠」というのは、政党を含めての政治組織が、ともすればカリスマ的、英雄的指導者への選挙を通じての期待の丸投げ(全権委任)の上に成り立ちがちであるということです。そこで彼が対話相手のハートとともに指摘するのがコービン(労働党党首の引退は残念)、サンダースなどの躍進は政党を支える様々な社会運動組織があってのことだったということです。つまり、政党以前あるいは政党を下から支えるグループが主権者を生みだしているということです。

現在の民主政治(地に墜ちてはいますが命脈は保っています)は政党抜きに語れないことは事実です。しかし、政党はまとまりを維持するためにどうしても硬直化を免れませんし官僚化を避けることはできません。その限界をわきまえておく必要があるかと思います。曽我さんは政党に属するのは初めての経験とお見受けします。私はかつて某政党に20数年間所属し、内部改革を試みて失敗し、最後にそこから放り出されるように逃げ出した経験をもっています。それ以後、私は、政党を使うことは考えても、政党に属することは自らに禁じてきました。そんな私ですから、政党に対するこの姿勢は、かなり歪んだものかも知れません。

■学術会議問題について

いま気になっているのは、学術会議問題への国民の反応です。概して関心が薄く、問題の切実さが理解されていないように思われます。政府はそうした国民の意識につけいり、学問の世界を一気に手の内に取り込もうとしています。その向こうに何が来るのかを含めて、多くの人にこの問題を理解してもらうにはどうしたらよいのでしょうか。

■最後に

通信を読んで、曽我さんを政党人としてよりは「対話に身をひたし思考しつつ進む政治家」と見ました。この対話と思考をすてることなく活躍することを期待します。

市川 達人