枝野立憲民主党は泥舟です。

如何お過ごしですか?
消費税増税とコロナ対応のデタラメによって国民は疲弊してます。
ミサイル戦争の最中に丸腰より竹槍でもとあればというのがマスク2枚が配布のコロナ対応てすから低能児並の政府対応てす。
本当に国民は、救われない棄民政策の犠牲者になっています。
本題に入りますが、
立憲民主党は完全に自公政権の補完勢となっております。まっとうな政治は吹き飛んでおり世間は、枝野の政党を「一見民主党」と揶揄しています。
国会中継を国会開催中はいつもユーチューブで見ていて、立憲民主党も質問はなかなかいいとこついていても肝心なところで追求不足になり結果的には、自民を擁護するようになっています。
枝野の幹部たちは、昼は野党で夜は野盗か与党と言われています。
枝野や赤松、長妻昭達は毎夜毎夜労働組合幹部達と赤坂見附付近でカラオケ騒ぎをやっているのです。
この危機的最中に枝野は、何の有効な動きをしてません。自民党に舐め切られて識者らに呆れられているのです。1昨日一ヶ月ぶりに記者会見をやりましたがなんの変哲もないコロナ対策をいうのですが対策でもなんでもない時間つぶしの会見でした。
枝野、赤松などに三行半を突き付けたのが、山尾志桜里さんです。
誠に勇気ある立派な行動です。
昨年12月からずっと毎日毎日何時間もユーチューブと山本太郎の動きをみていました。
問題あり過ぎる自公の動き、国内外の社会情勢も未だかってないほど関心を持ちながら関心を持って見て来ました。
曾我さんが立憲民主党で立候補なさった理由は、以前お会いしたとき、れいわ新撰組からお誘いがなかったからだといわれましたが、立憲支持を決心されたときと現在では政界は激変しています。
立憲民主党は、見るものが見ましたら隠れ自民党・第2自民党です。
野党というのはまやかしです。
立憲の立場は、労働貴族党で非正規労働者や中小企業者などいわばアウトカーストたる人を救うことにはどうでもよいということだが、言葉の上では、自公の政策に反対するふりはするけども実際は肝心なところで自公を補完しているだけです。
自公の補完政党が立憲民主党や維新党です。枝野や小池百合子が前回の衆議院議員総選挙のとき余計なことをいったため野党が政権取りそこねたのです。
駄目な野党議員は沢山いますが、とりわけ枝野、赤松は、優柔不断で自分で絶対責任はとらない自己中心的な卑怯者卑劣漢です。
彼等が労働貴族その者の対応であることは、私はある問題が起きて、枝野に直接会って話した時に身を持って実体験しております。
原発事故のときの対応をみても「直ちに死にはしない」旨の発言を思い出してもお解りでしょうが、問題が起きても自分では適切な処置もできず、絶対に自ら動かず、都合が悪くなると、すべて他人に火の粉を振り払わせる自分で責任をとらわない卑怯な人物なのです。
枝野は、泥を被って他人を救うようなことはまずにやりません。
この度の国民民主党との党首会談でも玉木氏を目下扱いにしているため合流を躊躇わせているのです。
立憲幹部は、山本太郎を完全に恐れています。
太郎さんの動きをユーチューブや実際に街頭記者会見で会いずっと見守ってきました。
寒い街頭での長時間の演説に殆どの聴衆は山本との対話から離れません。
聴衆は、山本太郎の話は真剣であるから引き込まれ、山本太郎の話は自分のことと考えることができるようになるのだとおもいます。
毎日のユーチューブで街頭演説を見ていると日々に山本太郎は進化しているのが手に取るように分かるのです。
記者会見での愚問・奇問に対する対応は実に見事です。
四十代の人間が、毎日こんなに進化して大きくなるのかと対話集会の中で実体験しました。
各地での街頭記者会見の中でみせる当意即妙の受け答えは、実に感心することばかりです。
よく勉強しているのが分かります。
私も西郷隆盛伝説の本はいくつか読んでいますが、勝海舟だったかが言った「大きく打てば大きく響き小さくうてば小さく響く」そのものですが、山本太郎の街頭演説は、待機説法そのものです。
大西郷も山本の人間性には負けるとおもいます。
驚くべき対話説法である事が分かるのです。
菩薩様の化身がいるような気分になります。
彼の言動は、ちゃんと人の話を聞き、マトモな学者・専門家のレクチャーを受け現場に足を運び身につけたものですから不自然さがないうえに身を低くし、傲慢さ・不遜さが全くないのです。
年末年始に路上生活者のために何年も前から炊き出しを密かにやっていたとは世間には余り知られていません。
こんな代議士がいるとは!と、最後の黒幕といわれる朝堂院大覚も参ったといわせました。
太郎は、真の大政治家になりました。驚きです。
人間がこんなにも進化するものかと始めて経験したのです。
このような人であるから、その魅力にボランティアの人はますます惹きつけられ、応援団は急激に増えているのです。
ボランティア活動はみな手弁当です。
私も赤坂見附の事務所に行って現場を見てボランティアの人達とも話しました。山本太郎追っかけで遠方から駆け付けてきています。
寄付者もぞくぞく集まっています。
従って寄附額も相当あつまりますが、選挙が始まると判れば驚くほど寄付金は増えるとおもいます。
今はコロナで動きが取れない状態ですがユーチューブで発言しています。
全国各地への出張街頭記者会見で寄付金の大半を大分使っているようですが、選挙間近になればぐっと増えるので候補者は100人を超えるでしょう。
候補者募集ですでに六百人を越えているほどの勢いです。
マスコミのインチキ数字以上の支持があるのは街の人の意見です。
私が知っている人の意見だけで全国の人達の意見は知りませんが、テレビで山本太郎の顔と意見が放送されると一気に山本太郎の支援者が増えるとおもいます。
選挙が迫れば大マスコミも報道が報道せざるを得なくなってますます「れいわ新撰組」は支持を増やすこと必定です。
12月も新宿や池袋の街頭記者会見にゆきました。その時ののボランティア活動に四十代の女性がボランティアでチラシを配ったり、聴衆の整理活動をしていたのでどこからきたのですかと聞いたら、名古屋から来ました、安倍や麻生、菅達の悪党を倒すため太郎さんを応援に来ましたと言ってました。
五十代のボランティアは、[つくば市から来ていますが、元は別府出身です]といい、遠方からも沢山の人が手弁当で来ているのには驚きです。
笑ってしまうのは、右翼でさえ現場で邪魔な演説をすると、そんなところで喋らないでこちらのマイクをかすからこちらで話してくださいというものだから、右翼も逃げ出すしまつで、右翼も対話してゆくと山本ファンになっているのです。

出来れば曽我さんは泥舟・第三自民党と袂を分かったほうが良いと思います。
兎に角いまは安倍を倒すことに全力を尽くす、そのためには野党共闘を実現しなければならないときに枝野は、金がないのか国民民主党にすりより金はだせ、玉木には自分の子分になれ、新党の副代表にはしてあげるが、何から何まで立憲の方針にしたがってもらうからなというような
言動では、玉木氏らもあきれられて馬鹿にするなと見放されることは必定です。
曽我さん、今ならまだ間に合います。
れいわ新撰組かオリーブの木と一緒に運動を始められたほうが良いのでないでしょうか。
立憲民主党にはすでに公認されて、ポスターや選挙カーなど便宜を受けられ身動きが取れないのでないかと危惧しています。
「れいわ」が消費税0%のところを5%で譲歩して、野党が塊になって安倍政権を倒すことに全力をしたいということに賛同して下さいと願っていましたが、コロナ騒ぎで自民党の中でさえ0%を叫ぶ安藤議員達もでできました。枝野は、絶対消費税減税を否定してます。
消費税減税は、経済を活性化させ結果的には税収は増えます。財源は、企業と個人の累進課税を以前と同じくすれば済むことです。消費税増税分の大半が大企業の減税分に回されているのですから、立憲は庶民の敵そのものなのです。

曽我さんに提案しますが、立憲民主党が消費税減税を呑まないということを、そのことを理由に立憲を外れて「れいわ」か「オリーブ」に乗り換えたらどうでしょうか?
山尾さんの跡を追いかけてください。
山尾さんや小川淳也さんはいずれ山本太郎か黒川敦彦の陣営に参列すると思います。
枝野<一見民主党>は完全な泥舟です。
今の情勢から「れいわ新選組」は資金的にもボランティア活動の寄附で100人以上の候補者を擁立出来ると思います。
変な義理に囚われてはダメです。
次の選挙では「れいわ新選組」は、完全に立憲民主党を超える得票を得るだけの賛同者になるとおもいます。
曽我さんの夢を壊すようですが今の佐々木の心境です。

佐々木恭治

◆ ◆ ◆ わたしからの返事 ◆ ◆ ◆

前略

 手厳しいご意見を頂戴いたしました。大変ありがたいことと感謝申し上げます。
 また、公開することを快諾していただいたことも、うれしく思います。同じように感じておられる方もいらっしゃると思いますので、この機会に政党政治についてわたしの考えを述べ、熟議のきっかけにできればと存じます。

 拝読して最初に思ったことは、よく言われる、左翼の分裂・細分化の歴史です。左翼はある意味潔癖で、考え方の重点や戦術のわずかな違いにこだわり、「そこだけは譲れない」と反目しあって分裂していく、という反省です。
 それに対して、政権を握る側は、派閥争いを繰り返しても、最後は妥協して協力し合う、あのしたたかさは見習うべきだ、などと言われてきました。

 この違いは、どこから生まれるのでしょうか。それを考えると、右翼・左翼とか保守・革新という単純な対比でとらえることが、ポイントを不明瞭にしていると分かります。

 いわゆる左翼とは、世の中の矛盾、不平等、不公正を正そうとする人たちです。それに対立する人たちは、現状の問題ある仕組みをそのまま容認した上で、その中で利得を得ようとする人たちです。乱暴に割り切れば、理想を目指す人たちと、利得を目指す人たちとの違いということもできます。理想を目指す人たちは対立しがちだけれども、利得を目指す人たちは最後はまとまります。なぜなら、一番強いものについた方が得だからです。

 社会あっての個人か、個人のための社会か。こんな問題設定もしばしば行われます。ここでいう「社会」は「国家」に置き換えたほうが、問題がより鮮明になります。国家あっての個人か、個人のための国家か。
 国家のため、社会のために、自己犠牲を美化・顕彰する人たちがいます。その人たちは、国民みんなのためを考えているのではなく、現状の国家・社会を、今のまま保持したいのです。そのためには個人を犠牲にしても気にかけない。それは、その人たちが、現状の国家・社会のシステムによって利得を得ている(または、利得を得ようとしている)からです。この人たちが、犠牲になる側には立つことはありません。

 個人を犠牲にして、システムを温存しようとすることは一貫して行われてきました。公害、原発、沖縄の米軍基地、非正規雇用などがその典型です。もっとも大規模なものは、戦争でしょう。それぞれのシステムを牛耳る者たちが、兵士たちの肉体・生命を消費して自分たちの利得を争うのです。年金や医療や福祉の制度においても、制度を温存するために、救われるべき人々の権利を切り捨てられています。今回の新型コロナ対策でも、人の命よりシステムの都合が優先されています。

 わたしは、これとは逆に、個人個人が自分の思うようにのびのびと生きることができるように環境を整え下支えするのが国家の任務だと考えます。村長の時に、自治体の仕事の本質は何かと考えて、行き着いた答えです。
 我々が国家・社会を個人の役に立つように変えていこうと考えるなら、社会を不公正のままにして利得を得ようとする人たちの勝手を許すことはできません。そのためには、社会をよりよくしたいもの同士、対立・分裂するのではなく、連帯が必要です。ではどうすればいいのか。

 少し横道にそれて、わたし自身の経験を書きます。

 中川村長を退いた2017年、小池新党(希望の党)の踏み絵事件のごたごたが原因で、市民連合から衆院選に急遽出馬しました。そのあと「信州市民アクション」のメンバーになり、前回の参院選で野党共闘を実現させる取り組みに参加しました。
 候補一本化の調整には時間がかかりましたが、仕上げとなる、各市民運動と野党各党(立憲民主、国民民主、共産、社民の各党。「れいわ」は長野県には不在)との政策協定書の文言は、思ったよりよりあっさりと同意が得られました。つまり、どうのような理想を目指すかについては、スピード感などの違いはあっても、野党間に大きな隔たりはない、ということです。

 そうこうしている間に立憲民主党から総支部長の打診がありました。衆院選の予定候補者という位置づけです。「れいわ」に入らなかったのは「れいわ」から声がかからなかったから、とわたしが答えたとメールに書いておられますが、あれは冗談です。立憲民主党以外どこからも誘われていません。
 はじめは「自分がやることではない」とお断りしていましたが、安倍政権のあまりの非道ぶりに、お受けすることにしました。辺野古県民投票でしめされた民意の無視が最後の決め手でした。安倍政権を終わらせるには、自民党議員をそれそれの選挙区で減らさねばなりません。解散総選挙が近いとも噂される中、長野5区における一番手っ取り早い方法として、自分で出るほかないかと考えました。

 お受けする際には、小池新党の「踏み絵」が念頭にあったので、「党の方針に常に従うことは約束できない。異なる考えを表明することもある。調整のつかないときは、わたしが離党することもあるし、除名されることも致し方ない」と申し上げ、それが認められたと理解しています。

 立憲民主党は、確かに頑なで融通の利かないところはあるかもしれません。残念ながら枝野代表とはまだ会話をしたことがありませんが、消費税に関しては、2月の中旬に東京で開かれた『立憲フェス』で参加者との質疑を聞きました。消費税減税に消極的である理由を問われた回答はこうでした。
 「消費税減税は、豊かな人にも貧しい人にも恩恵のある政策である。たくさん消費する金持ちほどメリットが多いともいえる。もし減税するだけの財政的余力があるなら、それは貧しい人に集中して使ったほうがいい。」
 一理あるかもしれませんが、共感は得にくいだろうと感じました。
 (わたし自身の消費税に対する考えは、HPの『そが考』の中の記事、『野党共闘 消費税 れいわ新選組/頂いたご意見への返信』https://bit.ly/2JYeQEB をご覧ください。)
 立憲民主党長野5区では、「もしも自民党が先に消費税減税を言い出せば、りっけんは立場を失う」との意見もありました。実際、書いておられるとおり、先月末、自民党若手議員の一部は、新型コロナ対策に絡めて消費税減税を主張したそうです。これは、単なるはみ出し者の暴走ではなく、選挙になったら消費減税を言い出すことができるように、計算づくで党として下準備しているのかもしれません。

 ともあれ、消費税減税に「れいわ」ほど積極的でないからといって、立憲民主党は、けして野党のふりをした与党補完勢力ではありません。最初に書いたことに関連づけていえば、矛盾、不平等、不公正をなくして、よりよい社会に変革していこうとしています。利得ではなく理想を目指しています。

 だとすれば、どうすればいいのでしょう。社会を理想に近づけようとするいくつかの勢力を比べて品定めして、どれかひとつを選んで他を捨て去るべきなのでしょうか。しかし、それは、これまでの「左翼の轍」を踏むことです。

 社会をより平等で公平なものにしていこうとするもの同士、力を合わさねばなりません。しかし、その前にもう一つ課題があります。それは主権者と政党の関係のあり方です。

 前回の衆院選は、無所属で出馬しました。今回は、立憲民主党の所属となったわけですが、少なからざる人が「無所属ならよかったのに…」と失望を露わにしました。これは、けして立憲民主党が嫌だということではありません。どの政党かを問わず、政党政治一般に対する嫌悪感があるのだと感じます。なにかの社会テーマに熱心に取り組んでいる人でも、政党に対しては「自分たちを利用しようとしている」と警戒する傾向があります。社会問題に意識の高い若者が「自分たちはさまざまな課題に向き合っているから、政党間の権力争いにかかわりあう暇はない」と述べた発言にも考え込まされました。
 本当なら、どのような社会的取り組みであれ、自分たちだけの自己満足に終わらせず、社会全体の改善にするためには、法律・制度にまで落とし込まねばならないはずです。そのためには、今の日本の政治制度においては、政党をうまく使う必要があります。にもかかわらず、政党は毛嫌いされている。これが投票率の低さにも現れていると思います。(それに対して、自民党を応援する人たちは、それによって得られるであろう利得に期待して、大変熱心に選挙に取り組みます。)
 世の中をよくしたいと思っている人たちには、政治を自分事として捉え、政党をポケモンのような、自分たちのために闘ってくれる存在として受け止めてもらいたいと願います。政党は、自分勝手に闘う野良犬ではなく、飼い主(主権者)の意向にそって闘うポケモンにならねばなりません。

 この点において、れいわ新選組は大いに参考にすべきです。政党と支援者が近く、共感度が高い。既存政党とは異なるオーラを発揮し、そこに集う主権者が世の中を変えられると感じています。
 山本太郎さんには前回衆院選の際に飯田まで応援に来ていただきましたし、集会などで何度かお話をしたこともあります。問題をご自身で深く突き詰めておられると感じます。太郎さん個人のキャラクター・能力による部分が大だと感じるので、誰でもが真似できるものではありませんが、学ぶべきだと思います。

 ただ、だからと言って立憲民主党かられいわ新選組に乗り換えるべきかというと、そうではありません。立憲民主党を、主権者はもちろん他の野党やさまざまなグループ団体にさらに開かれた政党にしていくこともとても重要だと思います。
 一言でいえば、熟議を重ねる政党です。安直な妥協・合意ではなく、多数決では勿論なく、批判しあい、学びあい、研鑽しあい、考えを突き詰めて深めあっていく。主権者にプロセスが見える形で。これができれば、反目しあうのではなく、違いを乗り越えていくことができるでしょう。その結果、互いに異なっていた考えも、正しいところに寄り合っていくはずです。理想に向けて社会を変えようとする大きな連帯の輪が広がれば、日本の政治は大きく変わるでしょう。

 ご意見をいただいたとおり、立憲民主党にはまだまだ改善すべき点がありますので、内部で努力をしたいと思います。外と熟議を交わすより先に、内部で熟議を積み上げねばなりません。山尾さんにもそうしていただいた方がよかったのではないかと感じます。これがうまくいけば、れいわ新選組はもちろん、他の野党やさまざまな組織とも熟議・連携して、日本をよりよい社会に近づけていくことができるでしょう。

 佐々木さんからのメールは、熟議の機会を与えてくださいました。改めて感謝申し上げます。
 今後ともまた是非ご意見お聞かせください。

草々

佐々木恭治様

2020,4,12     曽我逸郎