信州大学名誉教授の又坂常人先生から、新型コロナと緊急事態条項に関する拙文に、ご意見を頂きました。国民の権利という根本の視点から考えるべき、というご指摘です。
又坂先生には、野党共闘を実現させる「信州市民アクション」共同代表当時大変お世話になりましたし、緊急事態条項の危険性についても詳細に教えて頂きました。
わたしひとりが読むだけではもったいないので、お許しを頂き、ここにも掲載します。
* * 又坂先生から * *
拝復
お久しぶりです
コロナ戒厳令下でほとんどの集会等が中止になり、中信市民連合が計画していたイベントも記者発表という形式で実施せざるをえない状況です。
政府の無為無策の後の緊急事態宣言でしたが、発令されるとすさまじい同調圧力が生じ、改めて日本人の「一億玉砕」的なメンタリティに危惧の念が生じます。
感染者に対する嫌がらせ、パチンコ店に対するバッシング、告げ口の横行、ネットにあふれる中韓に対するヘイト等々。嫌になるほどです。
さて、緊急事態条項に関するブログを興味深く拝読しました。いま世間で言われている憲法上の緊急事態条項の議論は、私に言わせれば極めてミスリーディングなものです。典型的なのは、「いまの憲法では緊急時に強い権利制限ができない」ので改憲が必要だというもので、1週間ほど前にテレビ番組で元衆議院議長の伊吹氏が述べていました。しかし本当にそうですか、というのが私の考えです。今回のコロナ騒動については、私の考えではいくつか押さえておくべきポイントがあります。
まず、コロナの問題は権利問題であるということです。私たちには感染症から免れる自由・権利があります。これは私権であると同時に、国家に対する権利としての公権です。これに対応して国家には一方では感染した人(患者)に対して適切な医療を提供すべき義務が、そして他方では感染していない人が感染しないような配慮を尽くすべき義務が生じます。つまり、治療と感染予防が国家に課された義務ということになります。コロナ問題は国家の命令や強制の話ではなく、私たちの権利の問題であるという意識を持つことが大事だと思います。
感染症は人から人に移る(伝染する)という特性がありますので、その予防は必然的に一定の範囲で個人に対する公権的な行為制限をともないます。通常の感染症では患者の隔離と一定地域に対する立ち入り制限ですみますが、パンデミックの場合は広く国民一般に対するある程度の強い行為制限が必要になります。そしてそれは、憲法上の基本権である市民的自由ー移転の自由、営業の自由、総じて自己決定の自由の制限をともないますが、法理的には公共の福祉による制限ということで合理化されうるものです。もちろん「公共の福祉」による制限は法律によらなければならず、行政権が勝手に自らの判断で好きなことができる訳ではなく、いまは感染症予防法と新インフルエンザ特措法がその根拠法として用いられているわけです。
そこで問題は両方に基づく行為制限措置、とりわけ特措法45条に基づく外出自粛要請や施設による営業停止の要請・指示等の措置が、先に述べた私たちの感染から免れる自由という権利を守る上で十分なものか、ということだと思います。仮に不十分であるというのであれば、行政処分としての外出禁止命令や営業停止命令を出せるように法改正すべきであるという話になります。その場合には、制限される自由と感染から免れる自由のバランシングを十分に考慮して適切な法的要件や発令手続を考えるべきでしょう。
このような法改正が現行憲法の下で不可能であれば改憲ということが課題として生ずるということになると思いますが、おそらくどの法学者に聞いても、上記のような法改正のために改憲が必要という人はいないと思います。
なお、私は特措法45条に基づく施設営業停止の要請と指示は、それに従わない場合は公表という制裁が予定されている事実上の強制力を持つ措置であって、行政事件訴訟法にいう処分(公権力の行使)及び国家賠償法1条でいう「公権力の行使」に該当するものであり、法的効果が一切生じない単なる「お願い」ではないと考えます。少なくとも後者についてはほとんどの行政法学者が一致すると思います。ただ現行法の立て付けはあまり美しいものではないので、改正は十分に考慮に値するものではあると思います。
ちなみに緊急事態条項を憲法上設けることの意味は、権利制限を課すことではなく、その根拠となる規範を法律の根拠の不必要な独立行政命令で創設できるところにあります。かのワイマール憲法48条は大統領に立法権を含む無限定の「必要な措置」をとる権限を与えたことで、ナチス独裁に道を開いたのです。こんなものは絶対に認めるべきではありません。
それから、上記とは関係ないことですが、ブログにあった立憲民主党に対する「苦言」について一部共感するところがありました。特に消費税に対するスタンスについてはなはだ不満があります。私は限時的緊急避難的措置としての減税ないし減免はまじめに検討する余地のある問題だと思います。もっとも立憲民主党が消極的なのは、学者グループの影響、とくに金子勝などの影響のせいかもしれませんね。山口二郎も否定的でしたからね。曽我さんや杉尾さんには是非がんばって欲しいと思います。
以上、とりあえずのお答えです。
* * 曽我からの返信 * *
ありがとうございます!
権利という根本の原理から説き起こして頂きました。
こういう理解でよいでしょうか?
日本国憲法第25条に基づき、国民には病気から守られる権利があり、国にはその権利を保障するため、感染予防と治療を行い、国民の健康を守る義務がある。
国民の多数に感染症が広がるパンデミックの場合には、人から人への強い感染力に対抗するため、一定程度の自由の制限が必要になるが、それは憲法が想定する公共の福祉の範囲内でなければならず、国民の健康に暮らす権利を保障するための措置でなければならない。
今回の新型コロナ対策に適用されている感染症予防法と新型インフルエンザ特措法は、憲法に基づき、国民の健康に生きる権利を守るための法律である。
しかし、このふたつの法律は、外出禁止命令や営業停止命令を出すことまでは想定していなかったので、今後そこまでの強制力を持たせるかどうかは、検討する必要がある。(営業停止命令には休業補償がセットになるのは当然でしょう。)
自由の制限がなされるにしても、それは憲法の基において、憲法が保障する国民の権利を守るために、法律の改定によってなされることであり、憲法を改変することではない。
憲法に緊急事態条項を入れこもうとする自民党の狙いは、必要となった場合に国民の権利を制限できるようにすることではなく、内閣が思いのまま、好き勝手に国民の権利を制限できるようにすることである。認めることはできない。
頂戴したメールを拝読して、読んで頂いたわたしの拙文は、ハラリの言葉に過剰反応していたと反省しました。ハラリは、世界全体に生まれた状況を大づかみで述べていたのに、わたしはそれを日本の個別の事情の中で考えてしまいました。
自民党が憲法に加えようとする緊急事態条項と、新型インフルエンザ特措法の緊急事態宣言とを、安倍政権は、国民にわざと混同させ、国民をだまして、混乱のうちに緊急事態条項を実現させようとしています。すでに「ナチスの手口」をやり始めていると言わざるを得ません。
健康に暮らす国民の権利を公共の福祉として守ろうとする緊急事態宣言と、国民の権利を望むときに思うままに奪えるようにしようとする自民党の緊急事態条項とが、全く別物であることを正しく理解し、安倍政権の「ナチスの手口」に騙されないように皆でお互いに気を付け合わねばならないと再確認いたしました。
ありがとうございます。
ご教授頂いたメール、わたしだけではもったいないので、このメールともども公開させて頂きたいと存じます。よろしくご了承賜りますようお願い申し上げます。
又坂常人先生
2020,5,4, 曽我逸郎
* メアドをお知らせいただければ、以後ニュースレター『そが逸郎通信』をお送りします。