財政再建は必要か 『枝野ビジョン』を読んで

 『枝野ビジョン 支え合う日本』(枝野幸男 文春文庫)を読んだ。

 考えは、わたしとほとんどすべて同じだ。しかし、財政再建については、微妙にニュアンスが異なる。
 枝野代表は、<財政を健全化し、財政再建しなければならない>という思いがわたしより強い。ただし、財政赤字を一切認めないという立場ではない。

 少し引用しよう。
 ~「次世代にツケを残さないことも重要だが、今の時代を生きる人々に、必要な「支え合い」が行き届かなくなってはいけない。」(p72)
 ~「まずは負担増に対する国民の不信感を払拭し、再び信頼を取り戻すために、支え合うためのサービス、ベーシック・サービスの充実を先行させる。そして、不信感が払拭されるまでの間は、消費税などの大衆増税は棚上げし、優先順位の低い予算の振り替えと国債発行などによって対応せざるを得ない。」(p219)

 つまり、<今必要なサービスは多少の赤字を出してもきっちりと取り組み、それによって国民が「負担した分はきちんと自分たちのために使われるのだ」と政府を信頼し、負担を納得してくれる状況をつくった上で、長期的には財政を健全化する>という考えだ。
 <国民の暮らしを支えるために必要であれば、赤字財政を一時的に容認してそれに取り組むが、本来は健全財政があるべき姿である>という考えであろう。
 ~「国民に長期的には必要な負担をお願いしなければならないことは間違いない。」(p198)
 ~「私自身は、財政規律を重視している。将来にツケを残すことになる財政赤字の拡大は、できるだけ早期に止めなければならない。」(p218)

 わたし自身は、<財政規律の基準は、歳入額ではなく、インフレ率にすべき>と考えている。インフレ率が過度に上がらない範囲で(たとえば2%程度以下)、歳入には縛られず、暮らしのために必要な政策に積極的に取り組むべきだと思う。MMT的な考えだ。(MMTをしっかり理解している自信がないので、「MMT的」としておく。)
 「歳入と歳出とをリンクさせないのであれば、税金の徴収は必要なくなるのか?」という疑問があるかもしれない。税金はなくならない。税金の徴収は、財源のためではなく、お金が多すぎるところからお金を回収するためにおこなわれる。現在でいえば、内部留保をため込む大企業や、実体経済においてお金の巡りが悪い中で金融経済でだぶついているお金が回収の対象になるだろう。

 ただ、枝野代表とわたしの考えの方向はずいぶん異なるけれど、現実の政策にすればさほどの違いは生じないのかもしれない。コロナ禍が終息しても、次々と様々な事態は発生し、支援を必要とする人たちや状況は続くだろうし、そうなれば財政赤字でも手立てしなければならないからだ。
 先に引用した部分をもう少し前から再掲しておく。
 ~「財政健全化の重要性に対する思いは、今も変わらないが、それ自体が自己目的化していなかったか。できるだけ健全な財政を次世代に引き継ぐことは重大な責任だが、それは、今の世代も次の世代も、世代を超えて支え合うことが重要だからに他ならない。次世代にツケを残さないことも重要だが、今の時代に生きる人々に、必要な「支え合い」が行き届かななくなってはいけない。」(p72)

 しかし、一点だけ気になることがある。枝野代表は、赤字を増やさないだけでなく、これまでに積み上げてきた赤字も減らすべきという考えだろうか。
 もしそうだとすると、それは間違っていると思う。累積赤字を減らすということは、日本の世の中に出回っているお金を減らすことになる。お金は、血液のようなものだ。世の中のすみずみまで行き渡り、淀みなく循環することで暮らしを支える。過去の財政赤字までさかのぼって減らすということは、循環するお金を減らすことであり、身体の血液を抜くに等しい。そんなことをすれば、社会のどこかに不調が出る。バブルになって信用創造が過熱しているのでもない限り、やるべきでない。
 バブル崩壊後の「失われた20年」(もはや「失われた30年」かも)の原因の重要なひとつは、赤字拡大を恐れた財政にあると思う。財政赤字を出しながら、それに怯えて、消費税を上げ、福祉への支出を削り、庶民の国民負担を増やしてきた。家計を圧迫し、可処分所得を減らし、個人消費と内需を押し下げてきた。
 インフレ目標を2%と定め、手を尽くしたにもかかわらず実現できず、金融経済が過熱するばかりで、実体経済は低迷し続けている。その結果が格差の拡大だ。子どもに夢を諦めさせざるを得ない親が増え、自分一人生きるのが精いっぱいで家庭を持ち子どもを育てることが自分ごととは思えない若者が増えている。少子化の根本原因だ。

 しかし、「財政赤字を恐れず暮らしを支えるべきだ」と、ミニ集会で話すと、しばしば反論を頂く。
 「財政赤字を積み上げていけば、なにかあったとき、たいへんなことになるのではないか」
 「オイルショックや通貨危機、リーマンショックのような緊急事態が海外で起こって、積み上げた国債の価格や金利が大きく動いて、コントロール不能に陥るかもしれない」
 わたしとしては、「しかし、現に目の前で苦しんでいる人を放ってはおけないでしょう」と答えるしかない。将来世代にツケを残さないのはよいことだが、今の世代だけが過去のツケを背負わされるのは不公平だ。
 とはいえ、「なにかあったとしても大丈夫」と安心させるだけの説得力は、残念ながら持っていない。それで、『バランスシートでゼロから分かる 財政破綻論の誤り』という本(朴勝俊・シェイブテイル 青灯社)を読んだ。
 自分の考えはどうやら間違っていないようだと思えたが、まだ読みが浅く「なにかあったとき」の心配は払拭しきれていない。「破綻しない。ハイパーインフレは起こらない」ことが説明されているが、「それでも何が起こるか分からないし…」という不安は付きまとう。

 金利のつく国債という債務が積みあがっていくことへの恐れが不安の原因だ。金利のつく国債ではなく、金利のつかない政府通貨で必要な歳出をまかなえばどうなのか。政府通貨によるMMT(現代貨幣理論)はないのだろうか。
 以前読んだ『公共貨幣 政府債務をゼロにする「現代版シカゴプラン」』(山口薫・東洋経済新報社)は、日銀券を廃止してすべて公共貨幣(政府通貨)にあらため、市中銀行の信用創造も禁止する(100%マネー)という、現行システムとは全く異なる提案をし、数十年で政府債務残高をゼロにできるいうシミュレーションを提示している。
 もっともこれは極めてラディカルな変革が必要なので、経済・財政の理論上では成立しても、現実には、様々な利害がからみ、実現させるのは至難だろう。
https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ を参照)

 いずれにしろ確認し共有しなければならないことは、「税収によって歳出をまかなうべきだ」という従来の常識は、現実に機能しなくなっており、この常識にこだわり続ければ苦しんでいる人たちを救済できない、ということだ。

 財政についての考え方を広げて、なんとかブレイクスルーの道を見つけ出さねばならない。

 ご意見いただけるとありがたい。

2021年7月6日 そが逸郎

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コロナ対策 こうあるべき 2021,1,12

 一昨日、立憲民主党長野5区関係の役員会で、「立憲民主党の新型コロナに対する主張が見えない」との批判があり、共感の声が上がった。

 当然のことながら、主張している。
 医療の最前線への支援、医療体制の拡充、飲食店などの事業者への支援、国民一般への生活支援をはじめ、教育関係など多岐にわたっている。
 詳細は、ホームページ(https://cdp-japan.jp/)のトップページの真ん中に、大きく掲載されている。
 国会でも提案、要求しており、HPには達成度の記載もあるが、マスコミにはなかなか取り上げられない。「HPを見てほしい」とお願いしても、立憲民主党関係役員はともかく、国民一般の方々には届かないだろう。地道な努力を重ねるしかない。

 立憲民主党の取り組みはHPを見て頂くとして、わたしの考えを申し上げよう。
◆ まず、コロナの抑え込みに全力で集中する。経済という二兎目は一旦忘れねばならない。
◆ 医師、看護師、公衆衛生の専門家から率直な意見を広く聞いて、熟議で対策を練る。
◆ 最悪のシナリオを想定し、それに備えた科学的具体的な準備を整える。
 例えば、コロナ専用検査施設、入院施設を日本各地に多数準備する。仮設の建物でもいい。最近は優秀なエアーテントもある。今の経済情勢で空いた施設や使われていない駐車場も、たくさんある。
 電話ボックス型の処置室や患者さん用個室陰圧テントを大量生産し、上記施設に設置し、隔離を徹底して処置のできる体制を作る。
 少ない医療者でも負担なく大量の検査と処置ができる機器でシステムを構築する。
◆ 支援については、国家財政を理由にして出し惜しみするようなことがあってはならない。
 飲食店などの事業者には、罰則規定ではなく、「これだけの支援があるなら、休んだ方が得だな」と思ってもらえる支援をする。迅速な対応のため、前年利益による自己申告をもとに支給する。コロナ収束後の確定申告で差額調整すればよい。
 国民一般にも、生活支援を単発ではなくコロナ収束まで定期的に給付する。その約束があれば、国民は安心できる。

 「多額の累積赤字がある中で、そんな大盤振る舞いはできない」という反論があるだろう。
 しかし、この緊急の状況で、国民生活を支えるために必要な支出を出し惜しみすることは許されない。平時に無駄遣いをしてきた結果が、今の財政赤字なのだから、それを理由に国民への支援を絞るのは筋が通らない。
 また、これは、立憲民主党の中でまだ広く共有されてはいない考えだが、「歳入で歳出を縛ろうとするこれまでの財政規律の考え方は、間違いだ」とする学説が認知されつつある。過度なインフレにならない限り、必要な歳出は、歳入を超過してもやるべきだという考え(現代貨幣理論MMT)だ(詳細は、立憲民主党長野5区HP https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ に)。
 この緊急状況においては、MMT理論や金利のつかない公共貨幣(政府通貨)の活用も考え、十分な支援と対応をするべきだとわたしは思う。
 

2021,1,12 #そが逸郎立憲民主党長野県第5区総支部長  

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新型コロナウイルス 経済対策

 表題の件、なんとかせねばならんといろいろ考えた試行錯誤を、メールニュースで発信しました。ここにも掲出します。

◆ そが逸郎通信 第9号 3/22

 <新型コロナへの緊急経済対策として国民に現金給付するのは間違い>

 新型コロナウイルスによる経済的打撃が広がっています。それに対する緊急経済対策として、自民党は国民への現金給付を検討している、との報を耳にしました。
 これは間違った施策です。

 国民への一律の現金給付は、新型コロナウイルスの影響に苦しんでいる人たちの救いにはなりません。一番困っているのは、旅館などの観光業、飲食店、映画館やコンサートなど人を集めて楽しませる商売です。そこに客足が途絶えてしまったのは、客にお金がないからではありません。病気に罹るのが心配だからです。また、工場の生産ラインが止まってしまった原因は、部品の供給が滞っているからです。したがって、国民に現金を給付しても、客足や部品供給は回復せず、資金繰りの行き詰った人たちを救うことにはなりません。

 国民全体への現金給付ではなく、これらの、新型コロナの影響で本当に困っている人たちに的を絞って対策をとるべきです。大企業の救済は無用。中小零細、個人事業主を対象にして、例えば、簡便・迅速な繋ぎ資金の融資でまずは急場をしのげるようにした上で、昨年(または過去数年)の同時期の売り上げ・利益と今年の実績を比較して、減少分の一定割合を現金給付するといった方策はどうでしょうか。
 個別にはさまざまなケースがあるでしょうから、きめ細かく設計せねばなりませんが、ともあれ、ながらくビジネスを続けてきた人たちが、一時の流行り病のために廃業に追い込まれるなら、経営者や労働者といった当事者のみならず、消費者にとっても大きな損失です。そうならないように、実効性のある対策をとらねばなりません。

 苦しんでいる人たちの救済にはならないのに、自民党は、国民一般への現金給付を新型コロナウイルス対策としてやろうとしています。これは、新型コロナウイルスを口実にして、国民の歓心を買おうとしているのだと思います。選挙にむけた思惑でしょう。極めて大規模な買収行為です。しかも、税金を使った…。福祉を削る時には財政赤字を喧伝するのに、自分たちの選挙のためには、的外れで効果のない(選挙対策にはなる)税金の無駄遣いをするのです。

 今、新型コロナウイルスに悪乗りをして、わざと物議をかもすような施策を打ち出し、やっている風を装う政治家が湧いています。不合理・的外れな思い付きですが、それを指摘・批判されると、「やる気のない評論家はでしゃばるな」と威圧します。自民党が検討している国民への現金給付も、その類だと考えます。

 以上が今回の『そが逸郎通信』の主題です。

 ところで、国民への現金給付と言えば、ベーシック・インカム(BI)もそうです。実はわたしは、BIに大いに期待しています。今の逼塞状態を打開してくれるかもしれないと考えるからです。自民党が検討するコロナ緊急経済対策とBIとの違いについても論じておきましょう。

 BIというのは、条件をつけずにすべての個人に健康で文化的な生活に必要な現金を一律に給付するという考えです。BIの場合は、永続的定期的に現金給付するのに対して、自民党の緊急経済対策は、一回限りの単発です。BIは、一時的な今の救済だけではなく、将来にわたる見通しと安心感をもたらします。それによって、人は、自分はどう生きたいのか、じっくりと考えることが可能になります。贅沢をあきらめれば、自分らしい生きたい生き方を可能にするのがBIです。生存のために意に沿わぬ仕事に縛られることはなくなります。人の嫌がる仕事の対価は、必然的に上がることになるでしょう。勿論、贅沢な生き方をしたければ、BIを受給しながらしっかりと稼ぐことも可能です。
 一時的な「緊急」経済対策とは違い、BIは、人々の人生観、ひいては文明のあり方さえ変える、根底からの変革なのです。

 降ってわいた新型コロナウイルスのずっと前から、日本社会・日本経済は長期的・構造的な問題に陥っていました。
 昨年10~12月の実質GDP成長率は、消費税増税によって、年率にするとマイナス7.1%という惨憺たる結果になっていました。消費増税の大失敗をコロナウイルスが攪拌隠ぺいしたといえます。
 そもそもそれ以前から、株価ばかりが吊り上げられ、「穏やかな景気拡大」と喧伝されながら、実質賃金はマイナス、国民の購買力は失われて内需はやせ細っていました。非正規雇用が当たり前になり、年金もあてにできず(麻生氏の2000万円発言)、将来が見通せない若者は結婚など自分事とは思えない状況に置かれ、その結果、少子化はますます進み、人口減少によって経済は一層縮小するという悪循環に陥っています。これは、ひょっとすると資本主義経済制度の行き詰まりであり、人類の文明史な隘路に一番先に踏み込んでいるのかもしれません。

 これを脱却して、文明史の次の時代を拓く可能性があるのがBIです。人々の人生観・労働観も一変させる根本的な変革になります。それだけに、拙速に実行すればどのような副作用があるか分からず、慎重な制度設計が必要です。(不十分な金額のBIを口実に生存が保障されたとして、福利厚生や福祉、セーフティネットをなくすことを目論む輩もいます。)

 わたしは、自民党が検討している新型コロナ対策緊急経済対策の現金給付に反対し、BIの可能性には、期待しています。

 (BIについては、『ベーシック・インカムは妙案かも』http://mujou-muga-engi.com/b-income/ をご覧ください。)

2020年3月22日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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◆ そが逸郎通信 第11号 3/27

 <新型コロナに対応する生活保障私案 政府通貨+ベーシックインカム的現金給付>

 前々9号(3/22)の新型コロナウイルス緊急経済対策に対する考えに、3通ほど返信を頂きました。どれも賛同のメールでしたが、同時に非正規雇用の皆さんを心配する言葉もありました。

 わたし自身、9号を発信した後、考えが不十分だったと反省していました。事業継続だけを念頭にして、雇い止めされた非正規雇用の方や、不幸にして事業をたたまねばならなくなった経営者やその被雇用者の方々の暮らしをどう支えるか、考えを巡らせていなかったのです。

 今回の大規模な経済縮退に対応する生活支援を、煩雑な手続きの間を置かず迅速に実行するには、条件をつけない国民一律の現金給付は、有効な方法かもしれません。
 折しも、アメリカ上院では昨日、大人一人に1200ドル(≒15万円)、子供には500ドルの現金給付を可決した、との報道があります。
 年収7万5000ドル以下という条件があるようですが、そういった条件の審査に時間がとられるなら、無条件にしてもいいでしょう。コロナ禍が収まった後、とるべきところからその分の税金を集めればよいのです。すべての個人に等しく給付して、とるべきところから税金を徴収するというベーシックインカムの考え方です。

 MMT(現代貨幣理論)の考えからすれば、コロナ対策給付を後から税金で回収する必要も、必ずしもないのかもしれません。また、もし国債を積み上げることの悪影響が危惧されるなら、思い切って政府通貨を必要額発行することも検討できるでしょう。
 (政府が国債を発行して日銀から日本銀行券を利子付きで借り受けるのではなく、政府みずからが通貨を発行するのが政府通貨。現行の日本のお金は、お札は日銀券だが、硬貨は政府通貨。政府通貨の素材や額について縛りはない。政府通貨を発行しても、だれかに返す必要はないし、当然金利も発生しない。)

 勿論、現金給付であれ、実行するにはクリアすべきさまざまな課題があります。窓口で現金を渡すのか、口座に振り込むのか、口座番号の登録をどうするか、住民票のある役場に行かねばならないのか、対象者は日本国籍に限定せず住民票のある人全員にすることでいいいか、などなど。
 しかし、これらはどんな支援策でも工夫して対処しなければいけないことです。やらない理由にはできません。

 今回のコロナ禍からなんとしても暮らしを守らねばなりません。そして、そのために智慧を絞った結果として、コロナ禍以前から現れていた現代資本主義経済システムの行き詰まりを克服する新たな仕組みのヒントが見つからるなら、災い転じて福となる、です。

 (MMT、政府通貨(≒公共貨幣)については、拙ブログ https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ を参照ください。)

2020年3月27日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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