思い付きで始めた誤りを訂正できない政治の危うさ
沖縄平和市民連絡会の北上田毅さんのお話を聞きました。(2/23松本市あがたの森文化会館)
北上田さんは、土木技術の専門家です。辺野古の浜のテントには、北上田さんの他にも海中写真や様々な専門分野のオヤジ集団が、梁山泊のごとく集っておられ、わたしも弁当をいっしょに頂いたり、炭火にあたりながら話を聞いたりしました。実は、北上田さんは、わたしの大学のクラブの先輩でもあります。(京大山岳部。わたしは一年もたずに退部)

冒頭、「安倍政権は、県民の反対の声を無視し、既成事実を積み上げることで、県民(主権者)に無力感を味わわせ諦めさせようとしている」との指摘。これは沖縄だけでなく、国会答弁にも言えることだと思いました。国民があきれはてて諦めるのを待っています。
しかし、国民を諦めさせ無気力にさせて、どうして経済も文化も花開くでしょうか。みんなが人の顔色をうかがうことなく、のびのびと発言し行動できてこそ、活力ある社会は実現されます。政治についても、自由闊達に議論し合う風土にしていかなければ、世の中をよくしていくことはできません。そのような社会を作り上げていくことは、政治の大きな任務です。
それとは真逆の政府に対峙するには、「勝つ方法は諦めないこと」しかありません。
北上田さんは、辺野古の工事の問題点を次々に指摘していきました。
汚濁が拡散している様子を撮影されるのを嫌がって、ドローンを禁止し、市民の監視の眼をふさぐ。しかし、汚濁防止のみならず、サンゴの移植も、埋め立て用の土砂の調達も、どれも決められたルールに則って問題が出ないようにちゃんとやろうとすれば、膨大な時間と手間とコストが必要になる。計画の工期では完成できない。
しかも、マヨネーズ地盤の問題も発覚しました。マヨネーズと同程度の軟弱な地盤が、滑走路の末端付近(B27地点)に海面下90mまで堆積しているのです。これに対して防衛省は、「これは業者が自主的に行った調査で、厳密なものではなく、重視すべきではない」としています。しかし、この調査会社は米国の会社であり、調査が行われた裏には米軍側の意向が働いているのではないかと推察されます。
現状の計画のままでは、護岸が崩壊するとの指摘もあります。また、海底の地盤改良は世界でも海面下70mの実績しかなく、90mまで届く工事は前例がありません。なんとか工事を終えて一旦完成したとしても、継続的沈下は避けられず、米軍が滑走路に要求する平坦さの基準を満たすことはできず、完成後もジャッキアップなどの維持補修工事が際限なく必要になります。
講演を聴きながら、かねてからの疑問がわいてきました。
いつ完成するかも分からず、できたとしても欠陥滑走路。完成後も維持に莫大な費用がかかる。補修工事ばかりしていれば、運用にも支障が出るだろう。地球温暖化による海面上昇の問題もある。にもかかわらず、辺野古新基地建設に固執するのは、安全保障に真剣でないことの証左ではないのか。
自民党はことあるごとに「緊迫する安全保障環境に迅速な対応が必要」と主張するが、実はそれは口実に過ぎず、莫大な税金を投入する工事がだらだらと長く続けば続くほど利権も続いてうれしいのではないか。
しかし、米軍はどう受け止めているのか。自分たちはグアムに退くから、欠陥滑走路であれ何であれ、日本政府が造りたければ勝手に造ればよい、という考えなのか。あるいは、辺野古新基地の欠陥はかえって好都合で、普天間基地を使い続ける口実にしようとしているのか。
その旨、質問しました。
北上田さん。
「工事業者は確かにそうだろう。しかし、日本政府は、石垣島などに自衛隊の基地も作ろうとしており、それらがすべて利権のためで防衛は純粋に口実、ということではないだろう。米軍に関しては、防衛省はこの案件については、他の案件とは比べ物にならないほど緊密に米軍に報告し協議している。米軍がそれを要求しているのだろう。米軍も、どうでもいい、勝手にやれ、と考えている訳ではなさそうだ」との答え。
日本政府の本当の考えも米軍の考えも腑に落とせず、もやもやしていましたが、新型コロナウイルスへの安倍政権の対応をみて、こうなのかも、と思い至りました。
ひょっとすると、日本政府には、深い考えはないのかもしれません。長期利権にしようという考えさえない。米軍への阿諛追従かなにかで、突きつめた検討もせずに決定して、後から様々な問題が露呈したが、いまさらやり直しは体面上できないので、弥縫策を継ぎはぎしながら進むしかない。残念なことに、これが実際のところではないでしょうか。
新型コロナウイルスのクルーズ船への対応や一斉休校の判断は、幅広く検討し、突きつめて考えた上のものではありませんでした。要は、思い付きだったのです。
政府は、拙速な指示・命令を発出した後、それによる問題が現れ、批判の声が上がっても、邪険にしてめったに真摯には取り合いません。なおざりな対応でお茶を濁すことを繰り返すうち、問題はどんどん肥大しますが、それでも考えを改めることはできません。逆に、ますますその方向に突き進みます。間違いを認めれば、これまでやってきた過ち(例えば、辺野古の海の環境破壊)を遡って元に戻さねばならなくなるからです。
北上田さんは、講演の冒頭で「政府は、既成事実を積み上げることで、県民を諦めさせようとしている」と指摘されました。しかし、積み上げた既成事実に縛られているのは、実は日本政府の方なのです。やがて、山積した問題がにっちもさっちもいかなくなって、破綻することになります。
思い返せば、先の戦争でも、同様のことが繰り返されました。
インパール作戦は、当初から兵站(物資の補給)に無理がある、という指摘がありました。しかし、牟田口司令官は、弾薬や装備を水牛などに運ばせ、いざとなればそれを食糧にするとして、これをジンギスカン作戦と豪語し、上層部を説き伏せ、作戦を強行しました。現実には、水牛に荷を負わせて山道を歩かせるのは無理なことで、しかも攻撃を受けた動物たちは驚いて遁走し、食糧のみならず、貴重な装備弾薬まで失うことになりました。前線からの補給の要請に牟田口司令官は応えることなく、現場の(精神的)努力で状況を克服することを要求し、「白骨街道」と呼ばれる悲惨な結果を生みました。
攻撃を受ければ、動物は逃げ去ることなど、誰にでも想像できます。
航空機による体当たり「神風」も、イメージとは異なり、与えるダメージの乏しい攻撃でした。爆弾は、ぶつかって甲板を突き破った後、艦の中で爆発するように設計されています。しかし、航空機の突入スピードは、投下した爆弾の落下速度よりずっと遅く、しかも航空機自体がクッションになるので、爆弾は艦の表面外側でしか爆発せず、艦の構造に届くダメージにはなりません。そんなことは、日本軍の中でも多くの人が分かっていたはずです。しかし、「神風」は中止されず、多くの航空機と若い命が消耗されました。
他にも、特攻機「桜花」など、立案の時点から破綻している作戦は、たくさんあります。そもそも、中国への侵攻は、先の見通しもないまま、場当たり的、それいけどんどん的、なし崩し的に進みました。その延長として米英との戦争状態に突入したわけですが、その際にも、国力の差は認識しながら、相手の準備が整わないうちにギャフンと言わせて講和に持ち込むというラッキーなシナリオだけを想定し、うまくいかなかった場合のことはまじめに考えていませんでした。その結果、敵味方のおびただしい命に悲惨な最期をもたらし、無条件降伏に至ったのです。
深く考えず安易に都合のいい想定で事を始め、批判に応えることなく、みずから積み上げた既成事実に縛られ、後戻りできなくなる。そして、どうしようもない状況に陥ると、努力で解決せよと現場に要求する。これは、インパール作戦でも、新型コロナウイルス対策でも、辺野古新基地問題でも同様です。辺野古の問題では、防衛省の現場職員が安倍政権や米軍から対応を押し付けられて苦労していることでしょう。しかし、破綻して被害を被るのは、政府でも政府の現場でもなく国民です。残念なことに、これは我が国政府の歴史的な傾向であるようです。
ただし、わたしは、政府の政策は常に完璧であるべきだ、と主張するわけではありません。人間はみな凡夫です。凡夫とは、平凡な普通の人という意味であり、それは執着に基づいた反応だということです。完璧ではあり得ません。間違いを繰り返します。
間違いを繰り返す凡夫が間違いを少なくする方策が、熟議の民主主義、すなわち、少数意見も含めて互いに批判し合い、批判から学び合って、考えを深め合うことです。多数決ではありません。執着する凡夫は、正しいものではなく、強いものに群れやすいからです。そして、批判してもらうためには、情報公開も必要です。
これと正反対の考え方が、自民党が憲法に加えようとしている緊急事態条項です。首相が「緊急事態!」と宣言しさえすれば、権力が首相に集中し、国会が制定するのと同等の効力を持つ政令を好き勝手に発することができ、国民の権利も制限できる制度です。
思い付きの愚策で問題を引き起こし、後戻りどころか突き進んでさらに事態を悪化させて「緊急事態」を作りだし、それを根拠にして独裁的権力を手中にする。
愚かな凡夫に権力を集中させれば、悲惨な結末が待っています。その結果を背負わねばならないのは、権力者ではなく、普通の人たちです。
賢い政権にするのではなく、情報公開をしてきちんと批判・議論に応じる政権に替えなければならないと考えます。
2020年3月8日 立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎