前略
昨日、お許し頂いた場所にポスターを掲示しました。大変ありがたく、感謝申し上げます。
ついでの折に見て頂いて、もし問題ありましたら、ご連絡ください。やり直します。
頂戴したお手紙、拝読しました。
野党がなかなかうまく協調できないのは、ひとつには、自分の考えへのこだわりのせいでしょうが、単に理論上の相違よりも、自分(たち)の都合やメンツによる部分が大きいような気がします。
世の中をよりよくするには、みんなにとってどうがいいのか? それをしっかり議論すれば、一致はできなくても相互理解は深まるだろうし、なんとか折り合うこともできるはずだと思います。ヨーロッパの大陸諸国の多くが、選挙後に政策協議をして連立内閣を組む際のやり方から学べるところがあるのではないかと思います。
次に、税金の集め方と使い方について。
まず消費税は、やはり、なくしていくべきだと思います。所得が少なくて、得られた所得のほとんどすべてを生存のために費やさねばならない(消費のすべてが生存のため)人と、楽しみのためにも消費できる余裕のある人、消費のみならず貯蓄のできる人、さらにはお金を増やすためにお金を使える(投資のできる)人がいます。前者程、消費税の負担感は重いでしょう。生存のためだけに得られた所得のすべてを使わざるを得ない人にとって、消費税は、人頭税に等しいものだと思います。そして、そういう人が増えています。
また、消費税は、GDPの6割と言われる個人消費の足を引っ張ることになるので、景気に悪影響を与えます。
今回、消費税を10%にして今後は安泰かと言えば、少子高齢化が進む中、景気が上向いて税収が増えなければ、国家財政を守るため、また再び国民負担を増やし、福祉を削らねばならないと言われています。
ところが、消費税は、国民の購買力を削ることなので、景気には悪影響をもたらします。
それに、少子化の真の原因も、若者が自分一人の生存だけで精一杯という状況に追い込まれていることにあると思います。経済的ゆとりと将来の安心感がなければ、好きな人ができても、幸せな家庭を築いて二人で夢に向かって、かわいい子供も育てようという気持ちにはなれません。
消費税は、景気にも少子化にも悪影響を及ぼします。目先の国家財政悪化にブレーキを掛けたいという目的で、長期的にはまったく逆の効果をもたらすちぐはぐな税制が消費税です。
消費税ではない税を考えねばなりません。ほとんど税を払っていない大企業が多々あるのですから、法人税率や法人税の抜け道となる税控除についてしっかり検証せねばならないと思います。株売買に伴う利益が分離課税20%とされ、累進課税を免れていることも再検討が必要です。グローバル企業への課税の仕組みをつくることや、トービン税といった新たな税も考えられます。
税金の使い方も、若者が将来に展望を持てるようにせねばなりませんし、必要な福祉を第一優先にしてそれを削るようなことがあってはならないと考えます。
しかし、消費税を上げずに(逆に下げていきつつ)暮らしを支えて、「今のゆとりと未来の安心」を感じてもらえるようにするには、直近では、財政赤字は避けられないのではないかと思います。それを肯定してくれる理論としてMMTは一部から脚光を浴びているのだと思います。
しかし、政府債務を野放図に拡大することには、不安があります。また、自民党は、お友達優遇が徹底しており、自民党政権下で財政規律を緩めれば、暮らしを支えることではなく、縁故資本主義、つまりお友達だけが得をすることになるでしょう。
公共貨幣システムも、公共貨幣をどこにどう使うかにはルールがなく、それは政治の判断であることは、MMTと同様です。ただ、政府債務もゼロにできるという主張には、魅力を感じます。
(公共貨幣については、このページを下にスクロールして頂くと、記事があります。)
公共貨幣は、MMTよりもさらにハードルが高いと思います。現時点では、思考実験の域を超えていないでしょう。しかし、わたしの読んだ本の著者、山口薫さんひとりの思い付きではなく、100%マネーをはじめ、この本の主張を構成する理論は、傍流であったとはいえ、それなりに長い歴史があるようです。
ともかく、「国家税制の赤字が積みあがっているから、消費税増税が必要だ、福祉は切り下げねばならない」という洗脳に対抗し、広い視野で考えることを助けてくれるが故に、公共貨幣はおもしろいと思います。
(金利のないシステムになったら銀行のビジネスモデルはどうかわるのか、それについても著者は書いています。それを検証する能力もゆとりもわたしにはありませんが、読んで頂いてまたご感想をお聞かせくだされば有難いです。)
次に、れいわ新選組をどう評価するか。確かにポピュリズムかもしれません。安冨歩さんも言っておられましたが、れいわ新選組は、山本太郎ひとりの頑張りで成り立っています。組織として成り立っているとは言い難いし、ましてや、今すぐに政権を担いうる組織とはとても言えない。しかし、そういった評価で切り捨てることはできません。
多くの人が安倍政権のやり方に怒りや苛立ちを感じているのに、政権は続いています。その理由は、怒りや苛立ちが広がっていないからでしょう。
「政権争いなんかに関わっていられない」そんな言葉を耳にしました。そこから推察するに、「自分たちの暮らしとはかかわりのないところで一部の人たちが争っている。そんなことには関係なく、自分たちは自分たちの暮らしに取り組む」、そういう気持ちがこの言葉の後ろにあると思います。しかし、本当は、自分たちの暮らしのためにこそ、政治はあるはずです。
政党や政治家は、ポケモンのようなものではないでしょうか。主権者は、ポケモン・トレーナー。主権者は、自分の考えに沿った政党(ポケモン)を調教し、鍛えて、闘わせる。これが本来の主権者と政党・政治家の関係ではないでしょうか。であるのに、「自分たちの暮らしとは関係のないところで政党や政治家は権力争いをしている、勝手にやってろ」と思われています。その結果が、投票率の低さです。
低投票率の中、政権と縁をつなぐことで得られる旨味(モリ・カケのような利権、女性を暴行しても握りつぶしてもらえるとか、花見に招待される、とか、「オレはXX先生と懇意だ」といって大きな顔ができるとか)を知る人たちが選挙に熱心に取り組んで、小選挙区の効果もあって、支持率はさほどでもない自民党が多くの議席を獲得しています。そして、その人たちに都合のいい、法律や制度や基準を作っていく。放射能の安全基準や残留農薬基準がまさにそうです。消費税増税もそう。そのようにして政治や選挙に関心のない人たちが割を食わされる。
この状況をどう改めていくか、とても大きな問題だと思います。「主権者よ。自覚しろ。しっかりしろ」と言えば、上から目線です。主権者も政党も、身もだえしながら答えを探さねばならない。れいわ新選組は、そんな身もだえのひとつではないでしょうか。
れいわ新選組の取り組みに注目して、学ぶべきと事は学ばねばならないと思っています。政治を自分事として感じ、自分でも動こうとする主権者の動きを引き出し、それに呼応していくれいわ新選組の能力は、うらやましいと感じます。
また是非ご意見お聞かせいただければ嬉しいです。
草々
****様
2019,12,25 曽我逸郎