ご縁を頂いた方々にお送りしている『そが逸郎通信』。
「理想と現実の視点から、非武装中立論をどう考えるか」という質問を頂いて、返事を書きました。

(写真は、辺野古の海。海保のゴムボートの後ろは米軍キャンプ・シュワブ「弾薬庫」方面。2017年1月、曽我撮影。撮影地点の下あたりが、問題となっているマヨネーズ状の軟弱地盤)
* * 長沼昌司さんから * *
そが逸郎 様
コロナ禍の昨今、如何お過ごしでしょうか。
いつも「そが逸郎通信」を送信して頂きまして、ありがとうございます。大変に勉強になります。
13号を拝読いたしましたが、理想を追うことと、目先の利得を追う者との違いがよく分かりました。私は、理想を追うことが大事だと思います。特に政治家は、国家のこと国民のことを考えて、現実の問題を解決することは、責務だと思いますが、やはり、最後に理想的な国家や国民を如何に築き上げることができるかを考え、悩み、熟議することが大事かと思います。また、公明正大が求められるものだと思います。誤魔化しや言い逃れなどは許されるはずがありません。
そのことを立憲民主党に大きく期待するところです。私の仲間と共に応援していきます。頑張ってください。
こんな俳句ができました。「正論がゆゑの空しさ冬銀河」
正論と言えば、石橋政嗣氏の「非武装中立論」がありますが、御見識をお聞きできたら、幸甚に思います。
令和2年4月13日 長沼 昌司
* * 曽我からの返信 * *
ご意見ありがとうございます。
正直に申し上げると、「非武装中立論」という言葉は知っていますが、内容はきちんと承知していません。石橋政嗣さんも、お顔は分かりますが、社会党の政治家でいらしたというくらいで、恥ずかしながらそれ以上の知識はありません。
ツボを押さえたことは書けませんが、お許しください。
「9条を守れ」と主張する平和主義は、現実に目を向けない理想主義である。そのように揶揄する人たちがいます。
しかし、その人たちの「現実主義」は、現実をさらに悪化させていると考えます。
安全保障のジレンマです。
「相手が軍事力を高めている。この現実の前では、しかたがない。こちらも軍事力を増強するほかない。」
お互いに自分の安全を高めるためと主張しながら、眼前の現実に妥協することで、かえって危険を高めあっています。
向こう側の政治家は、軍事力増強を「相手が悪いから、しかたがない」と弁解しますが、本当は、自分たちがそれを望んでいるのです。敵を仕立て、その幻影を誇張することによって、統治権力は自分たちへの支持を高め、支配力を強めようとします。現実主義者が主張する「危険な現実」は、そういう思惑で始まります。
思惑でつくりだされた幻影は、しかし、すぐに勝手に膨張し、現実の危険に発展します。「現実主義」が幻想の危険を現実化するのです。軍需産業で儲ける連中の思うつぼです。
人は誰も、欲望や不安や憎悪に走りやすく、過剰反応をします。統治する側は、権力を自分たちに集中させたいという欲望から、敵を仕立て、大衆に不安と憎しみを植え付けます。相手方は当然「現実的」な対応をすることになり、その結果、対立するもの同士、それぞれの国民を巻き込んで、疑心暗鬼と憎悪はエスカレートしていきます。悪循環が雪だるま式に膨らんで、ある時ふとしたきっかけで緊張に火が付き、恐れていた危険が現実化するのです。
この悪循環を、どこかで誰かが断ち切らねばなりません。
疑心暗鬼に陥って破壊の道具に富をつぎ込むことの愚かさは、誰にでも理解できる単純なことです。国民が懸命に働いて生み出した富は、暮らしを豊かにすることに使うべきです。それぞれの国や地域が豊かになって、助け合えば、みんながさらに豊かになります。
ところが、いつまでたっても恐怖や疑心暗鬼を抜け出せません。それは政治や外交が愚かで貧弱だからです。愚かで貧弱な政治・外交が、大量破壊兵器・大量殺人兵器を手にしている。これは大変危険なことです。軍事力に頼らずに、信頼しあい助け合える国際関係を築くことができる政治力・外交力を育てねばなりません。それが非武装中立論だと思います。
非武装中立論は、理想主義でありましょう。しかし、理想は、理想として掲げるだけではダメで、どのように達成するかが重要です。
そのために必要なのは、たとえば情報収集力と情報分析力です。現実になにが起ころうとしていてどう進展していくのか把握できなければ、正しい対応はできません。
そして、それ以上に重要なのは、理念です。目指すべき理念を突き詰めて考え、血肉化することです。
幸いなことに、理念はすでにあります。日本国憲法の前文です。
「主権が国民に存することを宣言し、」「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、」「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思」い、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認」し、「全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓」っています。
これが日本の政治・外交を貫く理念であると、全世界に発信し、理解してもらわねばなりません。そういう発信力・広報力も必要です。
そして、現実の政治・外交の複雑な利害関係の中で、その理念に基づき一貫して行動することが大切です。
最後が一番難しいでしょう。目先の損得に惑わされない高潔さ、圧力に屈しない気丈な勇気、相当な腹のくくりが必要です。
しかし、本当にこの理念に基づき、「自国のことのみ」ではなく「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏を免かれ、平和のうちに生存する」ために汗を流すなら、日本は、世界中の人々から尊敬され、愛される国になれるでしょう。わたしたちにとっても誇れる国にすることができます。憲法前文が「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」というのは、「日本は世界に手本を示すぞ」という心意気の表明です。これこそが、最高の安全保障でもあると思います。
ところが現実の日本は、「国家の名誉にかけ、全力をあげて…達成することを誓」いながら、その努力を一度でもしたことがあったでしょうか。「自国のことのみに専念して」米国にひたすら阿諛追従してきたと言わざるを得ません。
憲法前文に掲げた理念を実現していこうとするとき、大きな障害となるのは、米国との関係でしょう。これまでのような米国盲従ではなく、米国とも理念に基づいた外交をしようとすれば、米国政府はどうするでしょうか。
米国政府の意向以上に、米国に忖度する日本の官僚がどう動くかも気がかりです。
在日米軍と官僚の間で諸問題を日常的・定期的に協議する日米合同委員会というものがあります。ここでの取り決めは、国会にも報告されず、憲法にさえ優先する効力を有するそうです。官僚の中でもエリートが出席し、これに参加していたことでさらに出世していくそうですから、日本の官庁の多くは、政治家の顔でも国民の顔でもなく、在日米軍の顔色を見ているのかもしれません。
普天間の米軍基地の辺野古「移設」に関して、当時の鳩山総理が「最低でも県外」をいったんは約束しながら撤回し、政権は短命に終わりました。しかし、これは、実は外務官僚が鳩山氏をだましたからだと言われています。
また、村長として何度か東京に行った折に見聞きして感じたことですが、自民党の中には、ロッキード事件がトラウマになっていて、「米国に逆らうとつぶされる」という恐怖があるようです。小沢氏が陸山会事件で起訴されたことも、大勢の国会議員を連れて訪中したことで米国の怒りを買ったことが原因だと考える人は少なくありません。
つまり、米国そのものよりも、米国を過剰におそれる日本の政治家と官僚が、米国に忖度して日本国憲法前文の理念に基づく政治と外交を邪魔しているのかもしれません。
日米合同委員会については、米国の国務省にも否定的な意見があるそうです。米国市民の中には、日本国憲法前文の理念に共感してくれる人も少なくないでしょう。米国との関係をまっとうなものにしていくことは、非常に難しいことかもしれませんが、まったく糸口のないことではないと思います。
もうひとつ大きな障壁になりかねないのは、ほかならぬ主権者です。先ほど書いたとおり、人は不安や憎悪を煽られかねません。大衆の怒りや心配にプロパガンダで火をつけることは容易です。それを警戒して、細心の気配りをしながら進めていかねばなりません。
ですから、非武装中立が理想だといっても、一気にそこに飛び移れば失敗します。当面は、国民が不安を抱かない程度の抑止力は保ちつつ、同時に、他国が脅威と感じるような軍事力増強はせず、政治力・外交力を高め、情報収集力・分析力を磨き、理念を伝える広報力をつけ、個々の外交問題に理念に基づいて真摯に対応する。そして、世界中の市民が、自国の政府に「日本のやり方を見習え」と言ってくれるような実績を積んでいくのです。このようにして、焦らず丁寧に時間をかけて、軍事力に頼らず、外交力・政治力、理念の力へと重心を移していくことが必要だと思います。
そのためには、保身のために米国に媚を売るだけの自民党から政権を奪取した後、長期的安定的に政権を維持しなければなりません。
たくさんの難題が立ちふさがるきわめて困難な道筋です。しかし、だからといって、あきらめて「現実」に妥協していれば、いつまでたっても世界をよくすることはできません。身をよじりつつ隘路を広げ進んでいくしかないと思います。
またご意見お聞かせください。
2020年4月21日 そが逸郎 立憲民主党長野5区総支部長