ベーシック・インカムとは 2021,1,11

 ベーシック・インカムについてお便りをいただき、説明する返事を書きました。多くの方にも読んで頂きたいと思い、ここに掲載します。
 ご批判お聞かせください。

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2021年1月11日

〇〇 〇 様

 お葉書頂きました。有難うございます。

 新型コロナが猛威をふるっていますが、具体的な備えがまったくなされていなかったことが露呈しています。国民への精神論的呼びかけばかりで、戦時中の日本もこうだったのだろうと想像します。「コロナとの戦争」という表現がありましたが、まさにそのとおりで、合理的に先を読んで準備することのできる指導部でないと、多くの国民の命が危険に晒される。政権交代が必要だと痛感しています。

 さて、ベーシック・インカム(BI)について葉書を頂きました。
 コロナ対策としての可能性や、また竹中平蔵氏による真意不明のBI提案などで、BIがまた少し注目されているようです。

 残念ながら、BIの定着した日本語はまだありません。わたしなりに定義すると、こうでしょうか。

 全個人を対象に無条件・無審査で定額の生活保障を定期的に継続して給付すること

 対象は、世帯ではなく、個人という点が、ひとつの味噌です。BIがあれば、家庭内暴力など高圧的な人間関係からの離脱が容易になります。
 逆に、何人かでそれぞれのBIを持ち寄って生活すれば、暮らしは楽になりますから、結婚する若者も増えるでしょう。生まれた子供にもBIは支給されますから(何歳からかは、制度設計による)少子化対策にもなります。いろいろな形の共同生活が増えると思います。

 失業保険のように、働く気があるけど仕事のない人だけが対象ではなく、働いて収入のある人、大金持ちの資産家も対象です。それどころか、働く気のない遊び人も対象です。それゆえ、生活保護のような、申請や審査は必要なく、プライバシーをあれこれ詮索されることもなく、役所の手間もかかりません。申請してから給付されるまでの待機期間もありません。大金持ちも初めから定期的にもらっているのですから…。BIは全員に等しく給付されます。

「なぜ金持ちにまで?」という疑問があるでしょう。けれども、税金は所得に応じてしっかり払ってもらえばよいのです。BIは、税制度の抜本的改革とセットです。

 働く気のない人にも給付する、という点に多くの人は反発するでしょう。しかし、今、競争社会のストレスで鬱になる人も多い。なにか全く新しいことを創造しようと呻吟している人も、周囲からは遊び人にしか見えないでしょう。お金にはならないけれど、社会貢献に邁進する人もいます。賃労働だけが労働とされる社会は歪です。
 反対に、大きな利益を上げているけれど、世の中に害をもたらしているとしか思えないビジネスもあります。
まっとうなBIは、生存のために不本意な賃労働に甘んじることから解放してくれます。生存のためではなく、みずから感じる意義、やりがいのために働くことが可能になります。
 また、近い将来、AIが多くの仕事を奪う、とも言われています。その状況になった時も、BIは救済策になるでしょう。コロナ対策にもなるはずです。

 それでも、「BIなんかを始めたら、みんなが遊んで暮らすようになる」と考える人もいます。実際、ヨーロッパでのアンケート調査ではそういう答えが多かったそうです。しかし、「では、あなた自身はどうしますか」という問いには、多くの人が、「今の仕事を続ける」、「別の仕事をする」と答えました。つまり、この心配は他人への猜疑心にすぎず、「他人は遊ぶだろうが、自分は働き続ける」のです。

 わたしは、人間は意義を感じられない生活には耐えられない、と思っています。BIを得て遊んで暮らしたとしても、せいぜい数年が限度でしょう。なにか自分なりに意義あることをやり始めまるはずです。

 BIの危険性を敢えて言えば、新自由主義者に悪用されることです。冒頭でふれた竹中平蔵氏の意図もこれではないかと危惧しています。つまり、名ばかりの低額のBIでセーフティネットは確保されたと強弁して、最低賃金や社会保障を廃止しようと考えているのかもしれません。
 本当のBIは、繰り返して申し上げれば、意に沿わない賃労働を辞めることを可能にする額でなければなりません。逆に言えば、人の嫌がる仕事の賃金は、BIによって正当に上昇するでしょう。

 結論的に言うと、BIは、人をしがらみから解放し、生きたい生き方を可能にしてくれるのです。贅沢を諦めれば、自分のやりたいことに時間をつぎ込むことができます。勿論、金もうけがしたければ、存分にそれに打ち込むこともOKです。また、農山村で農業などをして暮らしたいという若者が少なからずいますが、彼らの背中を押すことにもなるでしょう。地方の人口減に歯止めがかかり、農村社会に活力が戻ると思います。

 BIは、人生観や社会に劇的な変化をもたらすでしょう。大変革過ぎて何か副作用もあるかもしれず、慎重な研究が必要ですが、外国では実証実験なども行われており、わたしは大きな期待を感じています。

 またご意見お聞かせください。

そが逸郎

BIについては、以下の記事もご覧ください。
 https://itsuro-soga.com/2020/09/04/
 http://mujou-muga-engi.com/b-income/

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新型コロナウイルス 経済対策

 表題の件、なんとかせねばならんといろいろ考えた試行錯誤を、メールニュースで発信しました。ここにも掲出します。

◆ そが逸郎通信 第9号 3/22

 <新型コロナへの緊急経済対策として国民に現金給付するのは間違い>

 新型コロナウイルスによる経済的打撃が広がっています。それに対する緊急経済対策として、自民党は国民への現金給付を検討している、との報を耳にしました。
 これは間違った施策です。

 国民への一律の現金給付は、新型コロナウイルスの影響に苦しんでいる人たちの救いにはなりません。一番困っているのは、旅館などの観光業、飲食店、映画館やコンサートなど人を集めて楽しませる商売です。そこに客足が途絶えてしまったのは、客にお金がないからではありません。病気に罹るのが心配だからです。また、工場の生産ラインが止まってしまった原因は、部品の供給が滞っているからです。したがって、国民に現金を給付しても、客足や部品供給は回復せず、資金繰りの行き詰った人たちを救うことにはなりません。

 国民全体への現金給付ではなく、これらの、新型コロナの影響で本当に困っている人たちに的を絞って対策をとるべきです。大企業の救済は無用。中小零細、個人事業主を対象にして、例えば、簡便・迅速な繋ぎ資金の融資でまずは急場をしのげるようにした上で、昨年(または過去数年)の同時期の売り上げ・利益と今年の実績を比較して、減少分の一定割合を現金給付するといった方策はどうでしょうか。
 個別にはさまざまなケースがあるでしょうから、きめ細かく設計せねばなりませんが、ともあれ、ながらくビジネスを続けてきた人たちが、一時の流行り病のために廃業に追い込まれるなら、経営者や労働者といった当事者のみならず、消費者にとっても大きな損失です。そうならないように、実効性のある対策をとらねばなりません。

 苦しんでいる人たちの救済にはならないのに、自民党は、国民一般への現金給付を新型コロナウイルス対策としてやろうとしています。これは、新型コロナウイルスを口実にして、国民の歓心を買おうとしているのだと思います。選挙にむけた思惑でしょう。極めて大規模な買収行為です。しかも、税金を使った…。福祉を削る時には財政赤字を喧伝するのに、自分たちの選挙のためには、的外れで効果のない(選挙対策にはなる)税金の無駄遣いをするのです。

 今、新型コロナウイルスに悪乗りをして、わざと物議をかもすような施策を打ち出し、やっている風を装う政治家が湧いています。不合理・的外れな思い付きですが、それを指摘・批判されると、「やる気のない評論家はでしゃばるな」と威圧します。自民党が検討している国民への現金給付も、その類だと考えます。

 以上が今回の『そが逸郎通信』の主題です。

 ところで、国民への現金給付と言えば、ベーシック・インカム(BI)もそうです。実はわたしは、BIに大いに期待しています。今の逼塞状態を打開してくれるかもしれないと考えるからです。自民党が検討するコロナ緊急経済対策とBIとの違いについても論じておきましょう。

 BIというのは、条件をつけずにすべての個人に健康で文化的な生活に必要な現金を一律に給付するという考えです。BIの場合は、永続的定期的に現金給付するのに対して、自民党の緊急経済対策は、一回限りの単発です。BIは、一時的な今の救済だけではなく、将来にわたる見通しと安心感をもたらします。それによって、人は、自分はどう生きたいのか、じっくりと考えることが可能になります。贅沢をあきらめれば、自分らしい生きたい生き方を可能にするのがBIです。生存のために意に沿わぬ仕事に縛られることはなくなります。人の嫌がる仕事の対価は、必然的に上がることになるでしょう。勿論、贅沢な生き方をしたければ、BIを受給しながらしっかりと稼ぐことも可能です。
 一時的な「緊急」経済対策とは違い、BIは、人々の人生観、ひいては文明のあり方さえ変える、根底からの変革なのです。

 降ってわいた新型コロナウイルスのずっと前から、日本社会・日本経済は長期的・構造的な問題に陥っていました。
 昨年10~12月の実質GDP成長率は、消費税増税によって、年率にするとマイナス7.1%という惨憺たる結果になっていました。消費増税の大失敗をコロナウイルスが攪拌隠ぺいしたといえます。
 そもそもそれ以前から、株価ばかりが吊り上げられ、「穏やかな景気拡大」と喧伝されながら、実質賃金はマイナス、国民の購買力は失われて内需はやせ細っていました。非正規雇用が当たり前になり、年金もあてにできず(麻生氏の2000万円発言)、将来が見通せない若者は結婚など自分事とは思えない状況に置かれ、その結果、少子化はますます進み、人口減少によって経済は一層縮小するという悪循環に陥っています。これは、ひょっとすると資本主義経済制度の行き詰まりであり、人類の文明史な隘路に一番先に踏み込んでいるのかもしれません。

 これを脱却して、文明史の次の時代を拓く可能性があるのがBIです。人々の人生観・労働観も一変させる根本的な変革になります。それだけに、拙速に実行すればどのような副作用があるか分からず、慎重な制度設計が必要です。(不十分な金額のBIを口実に生存が保障されたとして、福利厚生や福祉、セーフティネットをなくすことを目論む輩もいます。)

 わたしは、自民党が検討している新型コロナ対策緊急経済対策の現金給付に反対し、BIの可能性には、期待しています。

 (BIについては、『ベーシック・インカムは妙案かも』http://mujou-muga-engi.com/b-income/ をご覧ください。)

2020年3月22日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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◆ そが逸郎通信 第11号 3/27

 <新型コロナに対応する生活保障私案 政府通貨+ベーシックインカム的現金給付>

 前々9号(3/22)の新型コロナウイルス緊急経済対策に対する考えに、3通ほど返信を頂きました。どれも賛同のメールでしたが、同時に非正規雇用の皆さんを心配する言葉もありました。

 わたし自身、9号を発信した後、考えが不十分だったと反省していました。事業継続だけを念頭にして、雇い止めされた非正規雇用の方や、不幸にして事業をたたまねばならなくなった経営者やその被雇用者の方々の暮らしをどう支えるか、考えを巡らせていなかったのです。

 今回の大規模な経済縮退に対応する生活支援を、煩雑な手続きの間を置かず迅速に実行するには、条件をつけない国民一律の現金給付は、有効な方法かもしれません。
 折しも、アメリカ上院では昨日、大人一人に1200ドル(≒15万円)、子供には500ドルの現金給付を可決した、との報道があります。
 年収7万5000ドル以下という条件があるようですが、そういった条件の審査に時間がとられるなら、無条件にしてもいいでしょう。コロナ禍が収まった後、とるべきところからその分の税金を集めればよいのです。すべての個人に等しく給付して、とるべきところから税金を徴収するというベーシックインカムの考え方です。

 MMT(現代貨幣理論)の考えからすれば、コロナ対策給付を後から税金で回収する必要も、必ずしもないのかもしれません。また、もし国債を積み上げることの悪影響が危惧されるなら、思い切って政府通貨を必要額発行することも検討できるでしょう。
 (政府が国債を発行して日銀から日本銀行券を利子付きで借り受けるのではなく、政府みずからが通貨を発行するのが政府通貨。現行の日本のお金は、お札は日銀券だが、硬貨は政府通貨。政府通貨の素材や額について縛りはない。政府通貨を発行しても、だれかに返す必要はないし、当然金利も発生しない。)

 勿論、現金給付であれ、実行するにはクリアすべきさまざまな課題があります。窓口で現金を渡すのか、口座に振り込むのか、口座番号の登録をどうするか、住民票のある役場に行かねばならないのか、対象者は日本国籍に限定せず住民票のある人全員にすることでいいいか、などなど。
 しかし、これらはどんな支援策でも工夫して対処しなければいけないことです。やらない理由にはできません。

 今回のコロナ禍からなんとしても暮らしを守らねばなりません。そして、そのために智慧を絞った結果として、コロナ禍以前から現れていた現代資本主義経済システムの行き詰まりを克服する新たな仕組みのヒントが見つからるなら、災い転じて福となる、です。

 (MMT、政府通貨(≒公共貨幣)については、拙ブログ https://itsuro-soga.com/2019/12/21/ を参照ください。)

2020年3月27日 立憲民主党長野県第5区総支部長 そが逸郎

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