声を上げ、悪法を正し、必要な法律をつくる 『そが逸郎通信22号』
◆ 「#検察庁法改正に抗議します」
ツイッターの#(ハッシュタグ)をつけたキャンペーンが立ち上がりの数日だけで430万を超えて拡大し、政府は検察庁法改正案の今国会での成立を断念しました。
「統治する権力が自分たちに都合のいい人間を検察のトップに据えられる法律になれば、権力は悪事を追及されず、やりたい放題になってしまう。許すわけにはいかない。」
そんな怒りが広がった結果です。
主権者の怒りが、統治側の人たちを恐れさせ、ひとまず強行採決はやめさせることができました。背景には、新型コロナの影響で、ネットに向かう時間が増えていたことと、外出もままならずSNS以外に抗議を表明する方法がなかったという事情はあります。しかし、ネット上の運動が成果を上げた初めての画期的ケースではないかと思います。もうひとつ懸念されていた種苗法の改悪も、今国会での強行は見送られたようです。これをきっかけに、これからも同様の取り組みが拡大していくに違いありません
◆ 声なき声、小さな声を聴く?
岸信介(安倍首相の祖父)は、日米安保改定を強行した際、反対するデモ隊のシュプレヒコールが響く中で、「わたしには声なき声が聞こえる」と言ったそうです。
「声なき声が聞こえる」と言えば、なんでも自分の聞きたい声を聴くことができます。いうなれば幻聴であり、自分勝手な妄想にすぎません。そんなものを根拠に為政者が暴走すれば、そのツケは長く国民を苦しめることになります。
また「小さな声を聴く」と自称している政党もあります。主権者であるはずの国民は、政府が声を聴いてくれるまで大人しくじっと待っていなければならないのでしょうか。
そんなはずはありません。聞こえないふりをすることができないほどの大きな声で、主権者が統治者に言うことを聞かせるのが民主主義です。
◆ 子孫を増やそうと競い合うミーム
R・ドーキンスという生物学者が、ミームという面白い考えを提起しています。生物の遺伝子が、多くの子孫を残そうと互いに競争するのと同様に、情報やものごとの捉え方(ミーム)も生存競争して増えようとする、というのです。
相矛盾する考えは、自分こそ正しいと主張しあい、互いに相手の問題点を指摘しあいます。批判に晒され、生存競争に負けまいと考えを突き詰めることで、考えは理論武装され、ミームとして遺伝子同様に変異し、進化していきます。間違いを克服し深まっていくわけです。
我々凡夫は、自分だけは損をしたくない得をしたいという執着で目先の反応を繰り返し、その結果かえって大きな苦を招き寄せてばかりいます。そんな凡夫が寄り集まって社会を運営しているのですが、その際に、間違いをなるべく少なくしていく方策は、批判しあい、議論しあい、考えを深めあうことしかありません。その議論の過程で、最も正しいところに近づいた考えが、説得力を得て、賛同者を集め世の中に広がることができます。
議論の勝敗は、相手を論破して黙らせることではありません。人々の共感を集め、賛同者(≒子孫)を増やして増殖したミームが勝ち残るのです。
最初に声を上げる人は、恐竜の支配する世界に、初めての哺乳類を生み出すようなものです。大地を揺るがす恐竜の足元で逃げ惑うちっぽけなネズミのような、頼りない新たな見解は、少しずつ賛同者を得て、補強され、深められ、たくましく育ち、やがて雄たけびを上げ恐竜を追い詰めることになるでしょう。
「経済活動には化石燃料が必要だ、原発は不可欠だ、軍事力がなければならない」といった古い考えは、遠からず恐竜のように、あるいは天動説のように、消え去るに違いありません。
ミームを生んで育てるという発想で、自分の考えを表明し、みんなに批判してもらい、考えを深め、賛同者を得て大きな声にしていけば、世の中を住みやすく変えることができると思います。
◆ 大きな声をあげるには
では、どうすれば大きな声があげられるのでしょう。
多くの人の賛同を得て声が重なれば大きな声になります。しかし、それは、最初はひとりの小さな声で始まるのです。地球温暖化を指弾するグレタ・トゥンベリさんも、はじめはひとりきりで座り込みをしていました。それまでは、目先の経済の都合だけが世の趨勢だったのに、今では共感の声がうねりとなって世界中に広がっています。
蟻の巣穴から、堤防が崩れることもあるのです。
声の上げ方は様々な方法があります。
新聞・雑誌への投稿や、ホームページ、ツイッター、Facebookに書き込んだりするのもひとつです。リツイート、シェア、「いいね」をするのも広めることになります。仲間に呼び掛けて集まるのも、駅前や街頭でのスタンディングも、署名活動や座り込みも可能です。
中川村では「全村挙げてTPPに反対するデモ」をやりましたが、手続きは警察署への届けだけでとても簡単でした。そして、新聞など報道にもたくさん取り上げられました。
伊那市高遠の矢澤親男さんは、カジノIR関連法案に反対する陳情をたったひとりで伊那市議会に提出し、ひとりを除くすべての議員の賛成を得て、採択されました。伊那市議会は、矢澤さんの意見書を伊那市議会議長の名において衆参両院議長と内閣総理大臣に提出したのです。そして今、矢澤さんは、冒頭で触れた検察庁法の改定を、先送りではなく廃案にするように求める陳情(or 請願)を準備しておられるそうです。
わたしがかつて伊那谷の各市町村議会に提出した「緊急事態条項に反対する請願」は残念ながらどこにも採択されませんでしたが、種子法や種苗法についての意見書は日本各地で採択され、多くの県で条例に結実しています。行政や議会を動かすことは、少人数でも(ひとりであっても)可能なのです。
仮にどれだけ運動してもうまくいかないときには、最後の手段として、非暴力不服従があります。
非暴力は言葉どおりで意味するところは明白ですが、不服従とはなにに服従しないのでしょうか。あえて端的に言えば、悪法に従わないのが不服従です。
ガンディーは、イギリスのインド植民地政府が塩の取引を専売にしていることに抗議して、海岸までの行進を主導し、みずから塩をつくりました。アメリカの公民権運動では、白人専用席への座り込みが行われました。どちらも当時の法律に抵触する行為です。
ただし、非暴力不服従は、悪法に服従せず敢えて背きますが、堂々と顔を晒して行うのです。この点は、顔を隠して暴力を用いるテロ行為とは決定的に異なります。
悪法とはいえ法に背くわけですから、逮捕されることもあります。逮捕されれば、法廷闘争で法律が間違っていることを主張するのです。
非暴力不服従は、ミームを拡散し、賛同者を増やしていくための最後の手段だと言えるでしょう。非暴力不服従については、沖縄でダグラス・ラミスさんから教えてもらいました。
◆ lawmaker を増やし育てる。
悪法に立ち向かうといっても、いつまでも不服従を続けているだけでは仕方がありません。悪法を廃止、改正しなければなりません。それをする場所は国会です。国会の議決で悪法を正し必要な法律を制定するところまでもっていかないと、完結した成果を上げたことにはなりません。
国会議員のことを英語では、lawmaker といいます。まさに「法律をつくる人」です。根本的な考え方が自分と共通する lawmaker が国会に少なければ、いくら声を上げ続けても、最終的な成果に落とし込むことができません。
ところが、わたしが立憲民主党の総支部長の立場になって痛感したのは、主権者の政治嫌いです。特別な問題意識をもたない人だけでなく、例えば環境問題などに関心の高い人の中にも、政党や選挙を汚らわしいもののように遠ざけている人が少なくありません。
確かに政治に汚職や利権、癒着はつきものです。しかし、だからといって、毛嫌いしていれば、政治を都合よく利用しようとする人たちが都合のいい lawmaker を増やし、自分たちに都合のいい法律ばかりをつくらせることになります。かつての労働者派遣法や、種子法の廃止、種苗法改悪などはその典型です。法人税と所得税の税率が下がり、その分消費税率が上がるのも同じ原因です。一部の人たちが政治を利用して得をしたしわ寄せは、選挙に行かない人たちに背負わされます。
主権者は、みずから声を上げつつ、政党や政治家を、自分たちのポケモンとして育て増やし、国会というリングで闘わせることも考えねばならないと思います。
今回の検察庁法改悪阻止を縁として、主権者がさらに知恵とノウハウと大きな視野を身につけて、国会を動かし、悪法を正し、必要な法律をつくって、世の中の仕組みをよりよくしていくに違いないと期待します。
2020、5、21 立憲民主党長野5区総支部長 そが逸郎
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